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へんなひとだー、と思う。書き方がかなり独特。解説に「喜劇性」とあったけど、たしかに。はぐらかすような、ぬめるような、微妙なとちり方したり。うまいことはまってくる時は気分よく読めるのだけれど、ちょっと一読じゃむずかしいかな。だいいち、結婚生活のことはよくわからんし。でもやっぱり妙に気になるところはある。
奥さんが亡くなって、第三部の最後のあたりのセリフなんかちょっと泣けそうだったよ。
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登場人物を突き放したような文体、台詞が多い割に淡々と進んでいくストーリー、感情移入しにくい登場人物、噛み合ない関係性。
薄気味悪さのある歪な小説だと思う。
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小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫)に収録されている短編『馬』が非常に面白かったため、『馬』を長編小説に発展させた『抱擁家族』(講談社文芸文庫)を読んだ。何かを象徴しているのだろうと思わせる箇所はいくつかあるのだが、それが何を象徴しているのか複雑でひどく難解であった。登場人物も狂っている。だが、その狂いの中には、人間の本質的な事柄が描かれているように感じた。何度も読み返したい本だ。今回は第1回としてサラッと振りかってみる。
家族の関係性を主題とした小説である。講演、翻訳で生計を立てる主人公の三輪俊介とその妻の時子、息子の良一、娘のノリ子、家政婦のみちよ、三輪家を出入りしているアメリカ兵ジョージが主な登場人物だ。俊介がアメリカに出張している期間、トキコは家でジョージと情事をしでかす。そのことを知った俊介は、陰部に傷みを感じるようになり、事あるごとに「痛い、痛い」と連呼する。そして、ジョージを家から追い出す。ジョージが去った後、時子はセントラルヒーティングつきの家を建てることを提案する。実際に家が建てられ三輪一家が転居するころ、時子は胸に腫瘍ができ病院で摘出するも、転移していることが発覚する。ホルモン注射を打つも病状は悪化し続け入院する。程なくして時子は病院のベッドで亡くなる。妻、時子をなくした俊介は再婚を試みるも、事あるごとに時子のことを思い出し、再婚することができない。そうこうするうちに息子の良一は家に居づらくなり家出する。
馬とジョージ
短編『馬』においては、主人公に欠けている男性的なものを馬が代替する。一方、『抱擁家族』においては俊介に欠けている男性的なものをジョージが代替する。215項、以下の妻の台詞は、「私はあなたに欠けている男性的なものをジョージで補っていた。本来それはあなたが持っていてしかるべきものだが、持っていないためジョージで代替したのだ」という意図を読み取れる。
「あの男は、ジョージは、あんただったのよ。あんたがジョージだったのよ。私はそういうことは、あんたにいえなかったのよ。あんたなら、そういうふうにいうけどもね」
ジョージはアメリカ人、それもアメリカ兵である。小島信夫にとって、アメリカとは圧倒的な精神的抑圧者であった。それは『アメリカン・スクール』等の初期短編にあらわれている。『馬』という短編が『抱擁家族』という長編に化けたのは、「男性的なもの」と「抑圧者たるアメリカ」が結合したからではないだろうか。
家
時子とジョージの情事を知った俊介は怒りジョージを追い出す。その結果、三輪家には男性的なものがなくなってしまう。そこで、時子はセントラルヒーティングつきの家を建て転居することを提案する。ここで時子は、セントラルヒーティングに男性的なものを付託したであろうことが読み取れる。(暖房と表記せず、カタカナでセントラルヒーティングと表記するあたり、アメリカという要素も付託されたであろう。)
10年前に海水浴に行った後も時子は突然「家」を建てると言い出す。それに対して俊介は以下のようなことを考えている。
いったい、あの海から帰ったあとで時子が急に家を建てたい���いいだして、自分に金を都合させて、半年の間に実現させたのは、どういうつながりがあるのだろうか。「家庭の幸福」を求めていたのだろうか。自分の力を見せつけるためにああしたのだろうか。36項
彼女は家庭の幸福を求めて家を建てたのだろうか。短編『馬』においても妻、トキコは家に執着する。あたかも家を建てることによって、建て続けることによって家族は維持されるとでも言わんかのようである。講談社学芸文庫『抱擁家族』の背表紙には「妻の情事をきっかけに、家庭の崩壊は始まった。たて直しを計る健気な夫は、・・・」とあるが、私は『馬』と『抱擁家族』ともに崩壊しつつあるのではなく、時子は、家を建てるという行為を継続することによって、俊介は妻の言いなりになり、建設費用を稼ぐことによって、その都度、「私たちは家庭をやりくりしているのだ」ということを確認して合っているように読めた。逆に言えば、家を立て続けるという行為なくしては家として在りて在ることはできなかったのだろう。彼女は家庭の幸福を求めて家を建てたとも言えるし、読者には不気味に感じさせるほどの強迫観念に囚われ家を建てたともとれる。時子の死後、三輪家に出入りするようになった清水は俊介にこの家を売るようにすすめる。それに対して、俊介は泣くような顔になり売ることを断固拒否する。時子と俊介で築き上げた家が俊介にとっては、2人の絆そのものであったのだろう。
家を壊す部外者
『抱擁家族』は以下の強烈な出だしで始まる。
三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。7項
そして最後は以下のように終わる。(良一が家出をした後)
「こんどはノリ子が・・・・・・」
ノリ子が出て行くことはあるまいが、その代り・・・・・・。俊介は外へ出ると、坂を走っておりた。彼の家の犬が吠えだした。山岸を追い出すのだ。いや、その前にみちよを・・・・・・
時子はそうでもないが、俊介は時子と子ども(良一、ノリ子)以外の全ての人間が三輪家を崩壊させる醜悪な者であるかのように捉えている。そういった例は挙げ出せばきりがない。時系列的には、「家政婦みちよの出入り→ジョージと時子の情事の発覚」であるがゆえに、俊介は時子の浮気が原因で外部の人間を家庭を壊すファクターと捉え始めたわけではない。俊介は外部を排除することによって内部の凝集力を高めようとしたのであろうか。この論点に関しては特に、納得のできる推論に達することができなかった。次読むときはこの点を注意して読みたい。
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読みにくい。非常にリーダブルな文章なのにも関わらず、読みにくい。粗筋だけ見ると、なんだかその辺のドラマによくありそうな俗っぽいリアリズムなんですけど、誇張された喜劇性と全編を貫く狂気のおかげでなんとも奇妙な小説。わたしは小島信夫の「アメリカン・スクール」を読んだとき、戦後日本におけるアメリカ、その価値混乱のはなしだとおもったのですが、そういうステレオタイプな時代性を読み取る解釈は「抱擁家族」だとさらにしやすい。しやすい、のだけど、なんていうか、それだけではない。家とか、アメリカとか、戦後とか、女性とか、なんかいろんな記号はあるんだけど、そういう記号的読解から零れ落ちていくものがなければ優れた小説にはならない。わたしはもともと悲劇と喜劇が表裏一体になったような物語が大好物なんですが、この小説はその一体性がものすごくおそろしい狂気を招いていて、気持ちが悪いし、こわい。でも敗戦からもこの小説が書かれた1965年からも遠く離れた時代に生きるわたしに、この小説が最も訴えかけるものはそれ。
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私にとって不思議と言うか絶えず落ち着かない異和感を与える小説空間でした。 壊れてしまった家族なのではないのかと読み進むうちに想いました。このようなへんてこな会話って日常生活に起こるのだろうかと想いました。読んでいて楽しい作品では決してありません。なにかしっくり来ないまま作品は終わってしまいました。とにかく今まで味わったことのない作品です。いや、待てよ。似たような作品に出逢ったような気がします。そう、島尾敏夫著『死の棘』での作者とミホ夫妻の会話の雰囲気が朧げに浮かんできました。私の勘違いでしょうか。
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保坂和志さんの本が好きだという話をしていたら、小島信夫さんの本を薦められたので、読んでみた。私が保坂和志さんの小説に持っている関心と、小島信夫さんのこの小説では、あまり接点がないように感じたのだけど、小説として楽しんで読んだ。読み進めてわかったのだけど、この小説は保坂和志さんの『書きあぐねている人のための小説入門』に引用があった。
私はあまりこの小説に関心が惹かれなかったので、ありきたりな感想しか持てなかった。一つ思ったのは、この小説の台詞が、時代の差もあるのだろうと思うのだけど、あまり口語で使わない言い回しや語尾だったので気になったのと、誰が喋っているのかわかりにくく感じる箇所が多かった。摩擦の多い人間関係だなと思った。
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[ 内容 ]
妻の情事をきっかけに、家庭の崩壊は始まった。
たて直しを計る健気な夫は、なす術もなく悲喜劇を繰り返し次第に自己を喪失する。
無気味に音もなく解けて行く家庭の絆。
現実に潜む危うさの暗示。
時代を超え現代に迫る問題作、「抱擁家族」とは何か。
第1回谷崎賞受賞。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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アメリカかどっかで刊行されている世界文学全集的なものには、小島信夫のアメリカンスクールが常連らしい。ということで、代表作を読んでみたが、合う合わないでいったら合わない小説だった。
気持ち悪い読みにくさがあるのは、それぞれの登場人物にまったく共感できないからなんだろう。妻が死ぬ当たりまでは、何か分かる感じがしたんだが、それ以降がよくわからん。というか、この息子と娘がまったく理解できない。娘にいたっては、読み飛ばしたかもしれんが、だいたいの年齢すら不明。なんとも不思議で気持ち悪い小説だった。
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何もかもが噛み合わない。さっぱりした文体と舌足らずで宙に浮いた語りで居心地が悪い。男のエゴ。家の閉鎖性。女性の謎。
勝手な男と、それに対して焦点を結ばない犯行を続ける妻に、昭和の家族の典型的な暗さを読み取ってしまった。
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フェミニズムやジェンダーに興味があった頃に、なにかの本で紹介されていて購入した本。
H31.4.30再読。
平成最後に読み終えた本となった。
もう、早く読み終わりたくて仕方がなかった。
文章自体は読み易いので、すぐ読了できたけれども、読んでいて始終苦痛だった。
奇妙で不愉快。
当時まだ主流であった(今だってまだまだ拭い去れない)「家父長制」の崩落が描かれているように感じた。
崩れゆく「家族の形」とか「絆」のハリボテを躍起になって支えている或る家族、という印象。
各々役割を演じながら、そんな自分や家族を相対的に観察して、修正を施そうとしてもどうにも上手くいかない。
綻びは広がり続け、ついには決壊してしまう。
家は欠陥だらけ、妻の病気は進行して死に至り、狂っていく主人公、出て行く息子、噛み合わない歯車があったことで全てが狂ったのか、あるいは全ての歯車がそもそも微妙にズレていたのか。
「主婦」という部品を求めて早急に再婚相手を探す俊介や子供達が恐ろしかった。
いちいち煽るようなみちよも怖い。
こんな複雑な感情を喚び起こす、奇妙な読書体験を提供してくれる本はそうない。
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タイトルとはほど遠い、じわじわと家庭が崩壊していく様子を描いたもの。ちょっとしたアクシデント、病気、思い違い、仕事、店員など、なんでもない小さなことが家庭に入り込んで少しずつ歯車が合わなくなっていく。「問題」を無くしていくと最後に残るのは自分だけという不幸。
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主人公がほとんどわけのわからぬ周囲の言説に振り回され、さらに自身の言動に対してすら実感が薄くなる、この愉快な狂気が実に優れている。
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興味を持つきっかけは、福田の採点本。その後もあちこちで賞賛のコメントを見かけ、これは是非読んどかないと、ってことで。『仮往生~』のことがあったから、読むまではちょっと不安だったけど、こちらは良かったです。家父長たる威厳を示したいけど、だんだんそういう風潮でもなくなってきている父親の葛藤とか、一歩下がって支えたい願望もありながら、米人の乱入とか自身の闘病とかでそれどころじゃなくなった母親とか。あくまで会話分を中心に、そこから色んな情景が浮かび上がってきて、読み心地も良好。なかなかに素敵な読書体験でした。
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家に出入りする米軍士官への嫉妬から
家族は仲良くあらねばならないという理想を引っ張り出して
妻を拘束しようとする夫の話
しかし所詮それはプライドを守ろうとする行為でしかなかった
ゆえに道化にはなりきれず、お大臣の夢を語るでもなく
なにより敗戦国の美徳観念が抑制をかけるのか
何をやってもかっこつけに見えて
妻のみならず、みんなに馬鹿にされてしまう
ところがその妻も
米軍士官の誘惑を受けた負い目があるのか
あるいは貞節を傷つけられた恥の意識に苛まれてか
どうもヒステリーで支離滅裂になっており
そのことが小説を悪文に見せてわかりにくくすらしているのだった
それでも家長の威厳を保つため、主人公は
家をポストモダンに新築するが
まもなく癌で妻が死に
新しい結婚相手を探すうち
要するにわれわれは自由主義と封建主義のダブスタで生きてるのだ
進歩的とはそういうことだ
そうわかってきて、生前の妻の偉大さが身にしみると
家政婦の誘惑も目に入らないのだった
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面白いことは間違いないのだが、その面白さが一体どこからくるものなのか、今ひとつ上手く言葉にできない類の小説だった。
ただ一つ言えるのは、主人公である三輪俊介の内省がめちゃくちゃリアルに感じたいうこと。
そのリアルさというのは、だれもが思っていても敢えて言葉にしないような、でも意識するかしないかのギリギリのところで確実に思っていて、それが明文化されたときに、思っていたことに初めて気がついたように感じるような、そんなリアルさである。