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戦後の空気が色濃い日本のある家族。
アメリカ人と関係を持ちながらも悪びれることもなく、ただただ唯我独尊であり続ける妻。
なんやかや葛藤しながらも、それを受容し続ける夫。
勝手気ままに振る舞う息子と娘。
そして、クセの強い家政婦。
脆いような、実は意外にタフなような家族の関係。
これも一つの家族の形か。
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何だか何がしたいのかよく分からんおっさんは、ある意味シンパシーを感じないこともない。突然怒ってみたり、と思ったらいじけてみたり、妻とも文句を言ったり言われたり、本当に、実にどうでも良いことばかりで、これが2000年後に未来人が戦後の日本人のおっさんがどんな暮らしをしてたかを調べる際には、映画や小説や、はては素人の日記なんかに比べてもリアリティがあるかもしれんけど、言うても面白いかっって言ったらつまらんにょ。
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『アメリカンスクール』の煮詰まった文体から力が抜け、以降小島信夫の作品を彩るのはのらりくらりと抽象的でどこか滑稽な語り口。
転換点とも言える本作の、シリアスな内容なのに笑えてしまうギャップが最高に面白い。
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たしかに家族の話なんだけど、切り取るところがすごい独特な気がする。自分の家に変な人がたくさんいる。(変人がいるという意味ではない)〈家族としてあるべき姿〉という概念がずっと物語の中に漂っていて、まあ言い換えればそれだけが浮かび上がっているというべきか。
主人公と妻の話だと思って読むから、妻が亡くなってもこの話が平然とつづいていくのがやっぱ変。でもだからこそ、〈家族としてあるべき姿〉が浮かび上がっている気がする。でも登場人物、とくに主人公の気持ちを追うのがむずかしい。
一読したうえでは、おもしろい!とは自信を持って言える確固たる感触は持てていないのだけど、これを読んだ人と語りたい感じはある。
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時子が浮気をし、病気でいなくなって初めて彼女が妻の存在を持っていたことに気づき、自分は家庭の中の夫、父になろうとして「なろう」としている時点で本物ではなく妻からも子供からも空回りして、でも自分の家族は紛れもなくここにしかないという喜劇。(後書きにも喜劇という文字があったけど、読んでて疎外感とかもがく悲しさしか感じなかったけど、思い返してみるとそれは喜劇と呼ぶしかない)
私小説なのかしら。
時子の乳癌が、大丈夫、病室の◯◯に比べればまだ大したことないと思ってる間にあっという間に容体が悪くなって衰えて死んでしまうのが怖かったな。
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ものすごく奇妙な文体。妻の不貞がきっかけで…というプロットは濱口竜介っぽくもある。易しい言葉遣いでするする読めるのに意味がわからない。登場人物の思考回路はまったく予想がつかずあれよあれよと別人のように豹変していく。いきなり時間軸が飛んだりするので余計に厄介。
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重層的な作品。
ジョージ=アメリカ・占領軍・GHQであったり、妻の時子=戦前の天皇制・伝統であったりなど、あきらかに戦後の日本の体制を描いていると見える。
死んだ時子のいた日本間(アメリカ式の家の一区画である!)に友人の木崎とともに寝に行く息子の良一も示唆的だ。
「家」にめちゃくちゃ執着する。最初の家を、妻=戦前の日本がジョージに寝取られたのちに仮の住処を一度挟んでからアメリカ式の家に住む。ただそのまま乳がんが見つかって時子はどんどん容態が悪くなってやがて死ぬ。妻=天皇がいれば雨漏りもしなかっただろうにと嘆く場面もある。
「家」が文化とか、そういう文化的な伝統みたいなものの暗喩として働いている。その中でうごめくさまざまな登場人物たち。
妻が死んでからは、新たな妻・主婦を探そうとみんなが躍起になる。神としては死んだ天王に代わる倫理的支柱を求める。「魚の眼」に思えるような女性を新たに妻にしようとする。人間化した天皇の個人としての性格は無視して、ただ象徴としての、機関としての主婦を求めていく。
家にいると自由がないと困ったり、やっぱり家にいる方が自由だと感じたり、「家」をめぐって自由に関する意識もねじれている。核家族という新たな形式にも未だ慣れることはない。
しかもこの小説、そういうメタファーを一切とっぱららったとしても面白い。服屋の店員が妻の病名を聞かなかったり、娘の泣くのをちょっとだけ見下したような目線で見たり、そういう人間の美しくない機微を逃すことなく捉えている。大谷さんが玄関で転ぶのを俊介が目に入れてしまうこともそう。
ジェンダー的な読み方もできそう。