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ユングとか、チベットとか、無意識の世界に惹かれた時期がありました。
ひとつの芸術作品としても、チベット死者の書は魅力的です。冒険があるからです。
強い光を恐れないように、という言葉が繰り返されるのが印象的でした。
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魂を構成する根源的要素の均一性。元型。
ヒッピーの「全身の融解、流体感覚」ユングの「集合的無意識」
LSDによる「研ぎ澄まされた感覚の昂揚」「永遠の時間との接触」意識の拡張
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さーて、珍しく毛色の違った本の紹介をします。
別に宗教に興味があるという訳ではなく
最近、チベットの問題が盛り上がっていると思うのですが
それに関して、不思議なことがあったので、この本を読んでみました。
内政不干渉とかまぁそういうのは置いておいて
ヨーロッパの方々が彼らの生活にほとんど関係ないような
チベットの問題について、なぜあそこまで
抗議運動をしているのか気になっていました。
どこに共感しているのだろうと不思議だったんです。
ヨーロッパの人独特の人権に対する考え方とも考えましたが
世の中には人権蹂躙なんてもっと頻繁にあふれているのに
マスコミが取り上げないだけなのかなぁとか思っていました。
そんな時、どなたのコラムか忘れてしまったのですが、先月の日経新聞の中
のコラムに、この本が英訳されてヨーロッパで広まったから
ヨーロッパでは抗議行動が激しく起きていると書いてありました。
なので、早速購入して読んで見る事に。
この本は死んだ後49日かけて解脱するらしいのですが
そのプロセスについて書いてあります。
えーと、仏教に関する知識がないせいか
わからないですが、よくわかりませんでした。
ちなみに、背表紙には60年代ヒッピー達に
大変受け入れられた一冊と書いてあります。
こういう本も世の中にはあるんだなぁと思った一冊。
今でも普通に売っているって事はどこかに需要があるんでしょうね。
興味ある人は読んでみても悪くないかもしれないですね。
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肉体に宿る命には終わりがある。
終りがあることを僕らは理解している。
だからこそ、大切に生きようと思うんだ。
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そのたびに思うけれど
同じ翻訳本でも訳が違うとこうも中身が変わるものか
つまりは読み手が変われば
同じ本でも別の解釈となるということだ
有限界の言葉の限界がこの部分性にある
簡便ということが
急がば回れを証明している
とは言うものの
手っ取り早く正解を洗脳してしまう過ちを犯しているだろう
この本の問題点は変わらない
依存に至る前の情報交換と摺り合わせと磨き合うことの
切磋琢磨以上に干渉することの弊害を感じる
過ぎたるは及ばざるが如しだ
伝えることで閃き学ぶというお互いの対等性に気付くべきだ
今という波の範疇を超えて
未来や過去に執着すると今を担保にして
切りのない強欲という不安恐怖に取り憑かれてしまう
自律した意識は成長するが知識を含む物質現象は
食物連鎖で見るように
溜め込み腐らせ錆びさせる事ができても
成長させることなどできない筈だ