得体の知れない人がたくさん登場します
2019/01/15 23:26
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
梅崎先生にはまことに失礼な話だが、これほどおもしろい小説を書く人とは知らなかった。もっと早く読むことができていたならと思う。まじめな私小説を書く人とばかり勝手に思い込んでいたのだが、主人公をとりまくまわりな可笑しな登場人物にとても興味をひかれた。「桜島」の耳のない女、「幻化」でのあんまり気安く話かけると毒づく漁村の女など得体の知れない人が総動員なのだ。「幻化」の主人公がすぐに人のまねをするのは精神病の一種だと聞かされていたので、「しかしおれは、反射的に真似するんじゃなく、時間を隔てているからな」と自分に言い訳するところなどは噴き出してしまう。他の作品も読みたい。
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梅崎春生,生涯の作品のどれも,すこし鬱気味で,虚無的なトーンに染まっていて,それでいて渋いユーモアに満ち満ちていて大好きです。
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「ぼんやり焔の色を見ていた。焔は、真昼の光の中にあって、透明に見えた。山の上は、しんと静かであった。物の爆ぜる音だけが、静かさを破った。兵隊が話し合う声が、変に遠くに聞えた。なびく煙の向うに、桜島岳が巨人のようにそびえていた」(「桜島」)。いいなあ、この文体。
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先生に勧められて読んだ本。
表題の3篇の他に、梅崎のデビュー作「風宴」が入っている。
代表作の「桜島」もよかったけれど、私がとても好きだと思ったのは晩年に執筆されたという「幻化」だ。
東京の精神病院から脱走してきた男が、戦争中に軍務に服していた南九州へと向かう。奇妙な同行者といっしょになったり、一人になったり、土地の子どもと知り合ったりしながら、戦争中の記憶をたどっていくのだ。
自分が異常なのか正常なのかわからない。
何から逃げているのか、どこへいくのかわからない。
何もかもがはっきりしないまま、はっきりさせようともしないまま、かつての記憶に現在の人々を重ね合わせるように、人と出会い、別れながら移動を続ける男の物語だった。
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死と向き合う。生きる意味を考え直す。幻化にはそんなキーワードが見えてくる。主人公に昔生きた土地をたどらせる行為は、晩年の作者の意思の表れか?阿蘇の淵に立つ男に、「歩け」と「飛び込め」の相反する思いを投げかけ、実は自分自身に投げかけている思いではないか、と思わせているところに、作者からのメッセージが込められているような気がする。
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島で魚釣りをする話?の短編を読んで梅崎春男に興味を持った。この小説では戦争体験が多く、共感しづらい点も多く。ただ、独特な視点からの細かい行動描写、心情描写はさすがでありました。暗い内容が多い様子。
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『桜島』では、広島への原子爆弾投下を示す「大きなビルディングが、すっかり跡かたも無いそうだ」「全然、ですか」「手荒くいかれたらしいな」「どこですか」「広島」の淡々とした会話が印象的でした。玉音放送は「何の放送だった」「ラジオが悪くて、聞こえませんでした」「雑音が入って、全然聞き取れないのです」は、実際どこもがそのような状況だったのではないかと思わせます。『日の果て』はラストが鮮烈でした。『幻化』は、精神病患者の逃避行なのですが、死の影が絶えず付きまとっている印象を持ちました。
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梅崎氏の内面描写は本当に精緻だなあと感嘆していたけれど、解説をよんで彼に独特なのは他者への目線なのだという視点をもらって膝を打った。単に内省的なのではなくて、必ず心の動きと連関する他者の存在がある。だからこそつまらないモノローグにはならなくて、作中人物の心の動きが嫌に生々しいので、読者に対して己の中にもある昏い何かを、刺激してくるのだと思う。その生臭さとある意味風流な陰翳をもった彼の文章をとても好ましく感じる。その意味では特に『風宴』は秀逸だが、これが処女作だというのだから恐ろしい。
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なんと言っても「幻化」が素晴らしい。
過去にNHKのドラマとして、映像化されているらしい。
映像的な風通しと息苦しさに、読者は右往左往しながら、火口の男たちのセンチメンタルに息を呑みます。
こういった精神疾患を患った主人公を作品にした作品はとても多いけれど、これは決定版かも。
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『幻化』は、戦争文学である『桜島』とは異なり、戦後文学であるという点がやはりポイントなのだろう。戦争があり死が身近であった青春を振り返り確かめることを通して、生がよりくっきりと感じられた。
『幻化』を読んでいる最中は人称がいつも気になった。三人称で書かれていると思ったら、主人公の幻想(?)では一人称的な書き方となっている。これによって、主人公の精神が本当に病んでいるのか、病んでいたとしてもそれによる幻想が必ずしも非現実であるとは言い切れないような感じとなっているのではないだろうか。
『日の果て』のラストはまるで映画のクライマックスのような時間感覚によって、主人公の心理に迫る描写が面白かった。
解説が良かった。解説者の本作に対する思い出話ほどどうでもよいこともない。このような解説が増えて欲しいものである。
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『幻化』
<空気のような狂気>
全体を通してユーモアなのか狂気なのか明確な線引きを拒む軽妙な語り口ですすんでいく。狂気があまりにも透明で空気のように紛れ込んでくるので、ふとするとわたしたちは知らぬ間にそれを呼吸している。
しかし知らぬ間に呼吸し得るということは、普段からわたしたちは同じ種類の狂気を呼吸しているということで、彼の語りはその正常と異常とが溶け合ったわたしたちのごく当たり前の世界を、ただ微視的に描き出しているということになるのだろう。
<おかしさについて>
「天才と狂気は紙一重」と言うけれど、梅崎春夫の作品を読んでいると「笑いと狂気は紙一重」のほうがしっくりくる。
おかしさとは笑えるものでもあり、狂っていることでもある。
<虚無と共にあること>
作品の最後で、主人公と偶然連れ合うことになったセールスマンは自分が飛び込むかどうかを賭け、阿蘇山の火口の周りをゆっくりと歩いていくのだが、その姿はぽっかりと空いた虚無の口のすぐ隣を、たどたどしい足どりで歩いていくわたしたちの姿そのものに思えた。
それを見て主人公は「元気をだせ!」と内心声をかけるが、ぐつぐつ煮えだす虚無が消えうせるわけじゃない。その横を荷物を抱え、汗を拭いながらなんとか歩き続けていくことしかできない。主人公も、わたしたちも、皆等し並みに。
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九州で読むにぴったり。戦争が描かれていた。
いまのわたしと感覚が合う気がするが、当時普通はこういうこと考えられなかっただろうなと想像する。
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初期の作品3つと、最後の作品「幻化」が収録されている。「桜島」などつとに有名なものはたぶん高校生の頃読んだと思うのだが、手元になく読み返したかったので買った。
それにしても講談社文芸文庫は高い。ハードカバー並みに2,000円するものもあり、ちくま学芸文庫よりも更に高い。売れ線でない本を敢えて売っているラインナップは魅力的だけれども、高いのでなかなか手を出せない。異様な高さの代償として、一つ一つの巻末に「作家案内」や「著書目録」が入っているのは、それはそれで意義があるのだが。
本書の巻頭に収められている「風宴」(1938《昭和13》年)は24歳の頃書いた処女作で、翌年雑誌に掲載された。この作品は良くなかった。文学的表現を振り回しているけれども青年の心情の中身は空洞であり、意匠の乱発の割には読んでいてまとまったゲシュタルトが得られない。文学的意匠が空回りしているのだ。だから、なんだか無意味に気取って書いているようにも感じられてしまう。
しかし、そのような気取りは次の「桜島」(1946《昭和21》年)ではかなり緩和されている。作者が実際に召兵で赴任した坊津と桜島を舞台とするが、人物や出来事は全くのフィクションだという。戦争における小隊の空気がリアルに描き出されている。本編はやはり、日本の戦争文学として好個の作品と思う。良い。
続く「日の果て」(1947《昭和22》年)はフィリピンから復員した作者の兄から聞いた話を元にして書いたものらしい。ここでは、戦争で敵兵を殺戮するのでなく、規律から外れた仲間の兵士を命令によって殺害しに行く物語である。非情であらがえない「命令」という理不尽な正義のために、死んでいかなければならない人間の命の弱さが浮かび上がる。これも悪くないが、私は「桜島」の方が気に入った。
最後の「幻化」(1965《昭和40》年)は50歳で亡くなった梅崎春生最後の作品だが、これが素晴らしい作品だった。精神科病院から逃走し、「桜島」を書いた元となった作者自身の戦争体験やその前の学生時代といった記憶を蘇らせつつ、旅をするという、無意味なようでいて「死」に向かって、それに寄り添ってひたひたと歩み続ける生の空虚感、はかなさなどが読み進めていくとみなぎってきて感動させられた。
最近私は松本清張や横溝正史など、娯楽系の小説も多く読んできたところだが、本書などを読むと「文学だなあ」と思う。梅崎春生が受賞したのは直木賞の方だが、やはりこの作家は純文学の系列に属している。娯楽的な領域に住んでいるわけではない。
エンタメ系小説の読書と、純文学系のそれとでは、楽しみの質がやはり違っていると感じる。どちらもすこぶる充実したものであり得るので、全部を楽しんでいきたい。
梅崎春生はリバイバルの兆しが無く、講談社文芸文庫のラインナップも絶版となっているものがあるようだけれど、もう少し読んでおきたい。
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解説にある通り、他者に対する観察が非常に正確で、人への親愛を感じた。
遺作の『幻化』は読んで良かったと思える出色の出来だった。
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戦争という事実の記憶は、戦後66年経って、まだどれだけ生きているでしょうか。私たちは、その記憶を保ち続けることはできるのでしょうか。
梅崎春生は、いわゆる「戦後派」の作家。梶井基次郎の影響を指摘される、鋭敏な感覚を持つ作家です。彼の代表作のひとつ、昭和21年9月発表の「桜島」は、作者自身の体験をもとにした作品。終戦の迫る1ヶ月余りの時間を、鹿児島県の桜島の海軍基地で過ごす暗号員の話です。日本の敗色濃厚な状況で、情報がなかなか入ってこないことにいらだちと不安を隠せない上官や主人公の、極限に追い込まれた精神状態が描かれています。
「その夜、私はアルコールに水を割って、ひとり痛飲した。泥酔して峠の道を踏んだ時、よろめいて一間ほど崖を滑り落ちた。瞼が切れて、血がずいぶん流れた。窪地に仰向きになったまま、凄まじいほど冴えた月のいろを見た。酔って断れ断れになった意識の中で、私は必死になって荒涼たる何物かを追っかけていた」。無頼とも言えるこの文章は、実際に生命の極限に曝された時だけ生まれるものでしょう。梅崎の小説は、今もまだその時間を、本という印刷物に封じ込めているのです。
しかし一方で、今回この小説を再読してみて、私は、2011年という現在において、この小説が悲鳴を上げ始めていることも感じました。梅崎の体験をリアルに感じることは、それを阻むだけの時間がすでに経過していて、難しくなっているのです。いわゆる「戦争文学」の命脈が危うくなってきています。21世紀の現在において、戦争を語る意義を考えるきっかけとしても、読んでおきたい作品です。併録の「日の果て」、後年に書かれた「幻化」も、戦争を題材にした作品です。(K)
紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2008年8月号掲載