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武蔵は小次郎からの手紙を受けて山に一人籠もる。将軍家御師範役の大役も目にくれず、我が道を行く。また、伊織に思いがけない身内が発覚する。しかし、それもまた不幸となるのか。江戸と柳生家の間で行き違いばかり起こる。最終巻への布石は充分に整った。どのように終焉を迎えるのか。。。
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~内容(「BOOK」データベースより)~
わが国の新聞小説で「宮本武蔵」ほど反響を呼んだ小説はないであろう。その一回一回に、日本中が一喜一憂し、読者は武蔵とともに剣を振い、お通とともに泣いたのである。そしていまひとつ気になる存在―小次郎の剣に磨きがかかればかかるほど、読者は焦躁する。その小次郎は、いち早く細川家に仕官するという。宿命の敵、武蔵と小次郎の対決のときは、唸りをうって刻まれてゆく。
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武蔵と小次郎の動向が主に描かれています。
いよいよ運命の決戦に向かって、物語の潮流が大きく動き出しています。次はいよいよ最終巻、この流れがどういう結末を見せてくれるのか、とても楽しみです。
全体を通じて人と人とのつながり、というものが特に描かれていると思います。何事も人から始まる―このことを強く感じます。
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ライバル小次郎の仕官。苦労人武蔵はそれでも焦らず、自己の道を着実に進もうとする。最後に勝つのは着実に進歩を遂げるものだ!早く出世したものではない。
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江戸では、取り入り上手な小次郎のお武家勤が決まる。いるよなーこーゆーヤツ…とか、すっかり感情移入のラスト2。
その江戸の周辺で、第一巻から続く良縁悪縁が組紐のごとくサブストーリーとして拗れていく。いや、寧ろこじれすぎて笑える。
表の顔は信仰深いが実は犯罪組織の首領、国家転覆を狙う大蔵がラストにどう絡むかが楽しみ。
江戸の時代って泰平の世のようなイメージだけど実際テロリストとか多かったのかなー
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他人のため、天下のために身を捧げるという承太郎に対し、沢庵が
「自己が基礎ではないか。いかなる業も自己の発顕じゃ。自己すら考えぬなどという人間が、他のために何ができる」
と述べるところが印象的だった。
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将軍家の話だとかがでて来て、少し雰囲気が変わった部分あった。今回も武蔵が登場しないシーンが半分くらいあり、そうなると前半の巻であったような痛快さもやや欠ける。
これまで展開した話が、この巻含め残り二巻で、綺麗に収束するのを期待している自分がいて、それに反してまだ新しい登場人物があったりと一向に収束に向かっている気がしない。
また勢いを取り戻して、且つ綺麗に刈り取られて終わることを、最後の巻に期待。
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だいぶ娯楽小説っぽくなってきた(いい意味で)。多くのキャラクターがところどころで絡み合っていくのが面白い。武蔵は意外と出番が少ないんだな。
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「それが不幸か僥倖かは、後になってのみ分ることで、人生の事々はすべて、回顧される時にならなければ、ほんとの薄縁とも不幸ともいわれないものであろう。」
「『自己の一身など考えていては天下の大事はできませぬ』
『青二才』
沢庵は、一喝して、城太郎の頬をぐわんと撲った。城太郎はふいを打たれて、頬をかかえたが、気をのまれたように為すことを知らなかった。
『自己が基礎ではないか。いかなる業も自己の発顕じゃ。自己すら考えぬなどという人間が、他のために何ができる』」
「学者の部屋の真理は、世俗の中の真理とは必ずしも同一ではない」
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宮本武蔵第7段。 否が応でも高まる最終章への期待。懐かしき賢人たちも登場し、心は踊る。 正義とは何か。大儀とは何か。命をかけるべき道とは。筆者の問いは、読者に深く突き刺さる。 「いかなる業も自己の発顕じゃ。自己すら考えぬなどという人間が、他のために何ができる」
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月日が経ち同じ人物であっても全く違うものとなって行くように、人と人との関係も変わりゆく。その関わり合いの焦点であるところに次第に物語が一点に収束していく。その先とは武蔵と小次郎の決戦。早最終一巻に一体どのような結末が待つのか。
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またまたすれ違いの妙。
しかしこんなに子供を舞台回しとして上手く使っていたのか、完全に忘れとりましたが感心しきり。
子供を上手く使う作品はメリハリが絶妙に効くとは当方の持論。
さてさて最終巻へ向かいますか。
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武蔵のいない所で、見ず知らずの他人同士が、武蔵の名前を通じて繋がりを持っていく所が良い。
2014/9/3
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結末に向かう第七巻。
ついにこの小説もラスト一巻となり、
武蔵の周囲の人物、又八、朱美、お甲、城太郎、
と言った人々にもそれぞれの結末が待っていた。
佐々木小次郎との巌流島での対決に向け、
武蔵の物語は収束へと向かいつつあるが、
お通とは意外な縁が明らかになるも、
やはりすれ違う。この期に及んですれ違う。
二人の結末は果たしてどうなるのだろうか。
そして誰もが結末を知っているであろう
佐々木小次郎との巌流島での果し合いの
決着はどのように描かれているのだろうか。
この小説をネタバレ無しで読める私は幸せである。
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積ん読チャレンジ(〜'17/06/11) 18/56
’16/09/16 了
「四賢一燈」と名付けられた、柳生但馬守宗矩、北条安房守氏勝、沢庵宗彭と武蔵の夜の一席から始まる第七巻。
安房守は将軍家御指南役に武蔵を推したいと考え、また三人ともお通さんを娶ることを勧めてくる。
結局、将軍家御指南役への推挙はお杉婆による風評被害から立ち消えになるが、世の賢人たちから支持を受ける人柄、闇に潜む柳生但馬守宗矩を看破する洞察力の鋭さなど、彼の非凡さがありありと見て取れる。
また推挙が取りやめとなったその日、武蔵は剣客としての力量のみでは無く、文化人としても非凡さを見せつける。
江戸城を辞する際、彼は屛風に絵を残す。
その描写が何とも言えず良いので以下に引用したい。
「「--門」
武蔵は、そこの豪壮な門を跨いで、ふと振り顧った。
入るが栄達の門か。
出るが栄達の門かと。
人はなく、まだ濡れている屛風のみが残されてあった。
一面に武蔵野之図が描いてあった。大きな旭日だけを、わが丹心と誇示するように、それだけに朱が塗ってあって、後は墨一色の秋の野だった。
酒井忠勝は、その前に坐ったまま、黙然と腕を拱(く)んでいることしばし、
「ああ、野に虎を逸した」
と、独り呻いた。」(P291)
この巻では、結局のところ仕官につくことはなかったが、武蔵という人間が剣客として一定の評価を世間から得、また宿敵佐々木小次郎も遂に細川家に仕官することが決まる。
それぞれに旅から旅を繰り返してきた二人であるが、因縁めいたその二人の運命も決着が近いことが予想される。
小野治郎右衛門忠明(神子上典膳)と小次郎の息詰まる決闘も見所の一つ。
武蔵と小次郎という二人の傑物の台頭は、そのままこの時代における剣客の世代交代を象徴していると言って良いだろう。
また、今巻でも登場人物同士の再開と悲しいすれ違いが描かれている。
というかある種クドいほどに各人物の人生の糸が絡み合わない(笑)
一巻から孤児として描かれてきたお通さんと、武蔵の新たな弟子・伊織が姉弟であったという衝撃の事実。
侍の子として生まれながら、奈良井の大蔵の下で泥棒に身をやつしていた城太郎。
その城太郎に沢庵は久しぶりに出会うことになるが、再開の一瞬前に城太郎の父・青木丹左衛門と出会っていたという運命のいたずら。
互いの顔を知らないながらも、同じ師に仕える兄弟弟子として不運な形で出会った城太郎と伊織。
その奈良井の大蔵に運命を狂わされた城太郎と伊織の許に現れて道を示す沢庵和尚……
沢庵はまさしくこの物語に救いをもたらす存在であり、各登場人物に対する処方箋のような存在だ。
この人がいなければ物語は破綻していたとさえ言えるだろう。
前巻までは一読したことがあったが、この巻の途中からは全く読んだことがなかったので、とても新鮮気持で物語を楽しむことが出来ている。
結びの巻となる次巻も楽しみだ。
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気に入った表現、気になった単語
「先人ヲ追イ越スハ易ク
後人ニ超サレザルハ難シ
と、あるが、その語を今ほど痛切に覚えたことはない。柳生とならび称されて、一刀流の全盛を見、老来やや人生に安んじているまに、社会の後からはもう、こんな麒麟児が生まれつつあったのか--と、大きな驚きをもって、小次郎を見たものであった。」(P68)
「「--わしも、世間を去る」
と、忠明も立った。弟子の座の中に嗚咽がきこえた。男泣きに泣き出した者もあるのである。愁然と、うなだれ合っている弟子たちの頭を、ながめて、
「励めよ、皆」
忠明は、最後の--師の言として--師愛をこめていった。
「なにを憂い悲しむのか。おまえ達は、おまえ達の時代を、この道場へ、潑剌と迎え取らねばならぬ。明日からは謙虚になって、一層、精を出して磨き合えよ」」(P80)
「小次郎は飽くまで、忠明を眼下に見た。心で眼下に見ながら、口では、--自分も今日まで随分、達人にも出会ったが、まだ貴公のごとき剣に対したことはない。さすがに、一刀流の小野と音に響いただけのものはある--などと褒めて、おのれの優越感を、その上へもっと高めた。」(P81)
「君のため
世のため
なにか惜しからむ
すててかひある
いのちなりせば
「……でしょう。先生」
「意味は」
「わかってます」
「どう?わかってるか」
「いわなくたって。このお歌がわからなかったら、武士(もののふ)でも日本人でもないでしょ」
「ウム。……だが伊織。それならお前はなぜ、白骨を持ったその手を、さも汚いように、先刻から忌(いと)っているのか」
「だって白骨は、先生だって良い気持じゃないでしょ」
「この古戦場の白骨は皆、宗良(むねなが)親王のお歌に泣いて、親王のお歌どおりに奮戦して死んだ人々だった。--そうした武士たちの--土中の白骨が、眼には見えぬが、今もなお、礎となっていればこそ、この国はこんなにも平和に、何千年の豊秋(とよあき)が護られているのではないか」
「ア、そうですね」
「たまたまの戦乱があっても、それはおとといの暴風雨(あらし)のようなもので、国土そのものにはびくとも変化がない。それには、今生きている人々の力も大いにあるが、土中の白骨たちの恩も忘れては済むまいぞ」(P92)
「とたんに、伊織は
「あっ、日の出!」
指さして武蔵を振り顧(かえ)った。
「オオ」
武蔵の顔も、紅に染まった。
見る限りが、雲の海である。板東の平野も、甲州、上州の山々も雲の怒濤の中にうかぶ蓬萊の島々であった。」(P131)
「伊織はおぼろげながら、わが師と頼む人の境遇を、初めて考えてみたのだった。敵の多い人だということが子供ごころにも分った。
(おいらも偉くなろう)
いつまで、師の身を無事に、そして永く師を奉じるためには、自分も一緒に偉くなって、師を護る力をはやく持たねばならないと思った。」(P264)
師匠思いの伊織のいじらしさ。
「「なに、小次郎からの書状? ……」
仇と呼び合う者とはいえ、絶えたる者はなつかしい。まして、互いに砥石となって磨き合っている仇である。
武蔵はむしろ、心待ちしていた消息でも手にしたように、
「どこで会ったか」
と、その宛名書きを見ながら伊織に訊ねた。」(P271)
「獄から解かれた武蔵にはまた、将軍家師範という栄達が待っていた。
だが武蔵は、それよりも沢庵という友、安房守という知己、新蔵という好ましい青年などが、自分のような、一介の旅人に、席を温めて待ってくれる志の方に、遙かなありがたさと、人間の世の限りなき隣の恩を思わせられた。」(P283)
「「昨日、ご老中よりの御飛札により、お召しを承って罷りこした宮本武蔵と申す者でござる。控え所詰めお役人方までお申し入れ願わしゅうございます」」(P285)
「先には、藁草履の見すぼらしい一山僧にしか見えなかったが、そこに坐ると、運慶の鑿(のみ)の力にも劣らない権威を背なかに示している。」(P383)
「とある薮中(やぶなか)の石に、誰が刻んだか、こんな歌が彫ってあったのがふと見出されたのです。……
百年(ももとせ)の戦もせなさん春は来ぬ
世の民くさよ歌ごころあれ
と、いうのです。--これを見て私はなお胸を打たれました。七たび生まれてこの国を護らんと仰っしゃった大楠公の御心は、名もない一兵にまで沁み徹っていたものとみえまする。」」
(P395)
【えい‐たつ栄達】
[名](スル)出世すること。高い地位、身分を得ること。「栄達を重ねる」「栄達を願う」
【水見舞】
洪水や嵐などの水害のあったのを見舞うこと。
【平仄(ひょうそく)】
つじつま、条理。「平仄があわない」
【蒲柳(ほりゅう)】
体質が弱いこと
【千載(せんざい)】
一千年。長い年月。
【妖冶】
[名・形動]なまめかしく美しいこと。また、そのさま。妖艶
【ひっ‐せい 畢生】
一生を終わるまでの期間。一生涯。終生。「畢生の大事業」「畢生の大作」
【具相】
仏教で、相好を具えていること。また、それを具えているもの。
【相好】
①仏の身体にそなわっているすぐれた特徴
②顔かたち。表情。「相好を崩す」
奇特(きどく)/あだかも
=きとく/あたかも
現代とは発音が違う言葉。