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下巻に入り、ますます勢力を拡大する狩猟社。
世界の強者になろうとする日本を、狩猟社を、僕らはどう思うのだろうか。
村上龍はゼロが好きな気がする。
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ザ・セブンと戦うために様々な面から狩猟社という組織を形作っていくのが下巻。
だが、それは結果的に自らが嫌ってきた「システム」の中に組み込まれることにも繋がっていくという何とも言えない無力感を伴った作業でもあるのが印象的。その狭間にあるジレンマを意識の底に置くことで復活したゼロだが、次第にズレが生じてきて・・・。
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私は現在学生であるが将来社会人となり
社会のシステムの一員となる。
組織の中のシステムで自分が自己の信念を持ちどのように
機能すべきか考えさせられた内容であった。
ただ上からの指示を受け、その任務をこなすだけといった社会の歯車と
機能している人間を政治的な状況において淘汰する。
私はチームやシステムの中で自分の価値を見出そうとする。
誰かのために役立っていると認識することで自分に存在を認めることができ、
自分に誇りを持ち、まさらに組織に貢献しようと身を注ぐ。
この書の主人公である鈴原冬二はそういう考え方を持つ私と全く逆の考え方をもつ人間で世の中に強い人間のみが生き残るべき思想の人間である。
もし私のような人間がこの書に登場していたら真っ先に射殺されていたであろう。
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どうして、この作品を読み終えて身震いしたのかわからない。
結末は読めていたのにどうしてかわからない。
わからないことばかり。
負けてるなぁ。
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学校の先生からぜひ読んでみなよー
と言われ、初めて手を出した村上龍の本です。
と思ったら、半島を出よは
読んだ事がありましたね。
それでも、感じましたがこの方は
反体制が大好きな作家のようですね。
正直なところを言うと、この人の本は
あまり好きではないと思います。
読んでいて、わくわくもしないし
なるほどと思えたり
共感できるような描写もあまりありませんでした。
相性が悪いのかな?
この本もがんばって読もうと思いましたが
実は途中で断念。残念です。
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村上龍作品は“限りなく〜”を読んで苦手意識があったけど、今回の作品は割とすんなり話に入っていけました。ただ、本のカバーに“経済小説”と書かれている様に、政治や経済に関する専門用語が頻発されているので、興味が無い人には面白くないかもしれませんのでご注意を!
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2009年2月24日読了。この作品の初版が1987年、ということに驚く。政治・経済・軍事・情報・医療・IT技術について、2009年の今から見ても実にリアリティがあり高精度の未来予測となっているようだ。作中の人物が語るとおり、情報戦においては攻める方が守るよりはるかにたやすいということがよく分かる。偽情報でも一度ネットに出回れば、「出回った」という事実を消すことは出来ないし、ある人物を消そうと思えばいかに24時間365日の警護があっても、たった一度のチャンスがあれば100回失敗しても成功なのだから・・・。ただ、下巻のこの本の結末はある種曖昧・感傷的で腑に落ちない印象。ゼロ、とは何を象徴する存在だったのか?
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「二・二六決起将校と大東亜戦争中の一部の内務官僚。将校たちは、その純粋さ、官僚たちは、戦争勃発当時から既に敗戦後のシュミレーションをやっていた。」p58
「よく晴れた、日曜の朝おばあさんが孫二人を連れて、森に山菜を取りに行った。その時トラに遭遇してしまった。とげの付いた木の杖で注意をそらしてからおばあさんはトラに飛び掛り、耳を食いちぎった。この話は中国で話題になった。おばあさんはインタビューで圧倒的に強い敵にギリギリまで追い詰められたとき残された唯一の手段、それは戦うことだ。」p105
「石原莞爾 戦争史大観」p118
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率直な感想としては、長い。笑
まー、あとがき通り、彼はきっと自分がどれだけ本を読んだか自慢したかったんだろうね。
専門家が読んだ時の反応が気になる。
今回かトウジの世界感を出すためには経済・政治のシステム描写が必要だったからあまり嫌悪感はなし。
そこはやっぱりおもしろい。
最後ところ、なんか見たことある光景だなと思ったら、やっぱりあとがきで説明してくれてました。
ここだけは、おーーーーってなった。
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たとえシステムに抗い、システムを自分で作ったとしても、そのシステムに取り込まれる。システムからは逃れられない。
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村上龍で最も読みたかった『愛と幻想のファシズム』。
何せ、周囲に絶賛する人が多いので。
村上龍が頻繁にテーマにしている「置いていかれる人々」と「うっ屈としている日本社会」を露骨に描いている作品だった。
鈴原冬二はおそらく村上龍の理想の人物像なのだろう。
すごく思考がシンプルで、揺らがなくて、「正解」を知っている人間。世の人みんな何が正解かわからなくて、流されている気がしている中、こんな人が現れたらカリスマ性を感じられずにはいられないだろう。
この作品を読んだ人はみんな、「自分はこの狩猟社会を生き抜いていける人間になりたい」という思考になると思う。だから「考えることをやめてはいけない」「知識をつけなきゃきけない」「行動をおこさなくていけない」という熱に駆られるんに違いない。
でもどの方向にむかって頑張ればいい?何の実力をつければいい?とかいろいろ考えているうちに、何も考えなくなる。考えなきゃいけない、行動を起こさなきゃいけないと思いながら時間だけが過ぎていき、気づけば「置いていかれる」ことになる。
「何が正解か」なんて考えなくてはいいのではないか。
「勢い」で行動を起こす。そこから何か始るに違いない。
それにしても、なんで庵野さんは冬二と剣介の名前をこの2人から採ったのだろう。全く性格違う気がするんだが…
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最後に鈴原冬二はシステムに取り込まれてしまったのだと思う。システムに同化したと言うのかもしれないけど。そこがゼロの死によって強調されていたように感じた。
あと、米ソによる共同統治は広く見れば強者が弱者をカンリするという意味で、冬二の目指した世界と変わりがないと思った。冬二の思想は、初めは狩猟社会の復活、次に強者と弱者という圧倒的差別社会、そして、自分が管理する立場になる(ここは通過点なだけかもしれないけど)と変化した気がする。
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鈴原冬二を党首とする政治結社「狩猟社」。私設軍隊「クロマニョン」と豊富な資金力をバックに、日本をあるべき姿「弱者・精神的奴隷不要の狩猟社会」へ戻すため立ち上がる。
もうゼロが絶対的にかっこいい。それでいて完全にふたりとも変態だから、キャラだけみても最高に面白い。ゼロとトウジの絡みで二ヶ月暮らせる。村上龍作品のなかでいちばんすき
日本は外からの評価をあまりにも気にする、それだから情報が皆無になったときに狼狽えてしまう。ファシズムがそれらを包み込むとき、日本という国家がどのようにうごくか、そのはたらきというものはどこまで強固なものなのか
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最悪のシナリオの最高の小説。
国、企業、主義、思想、政治、経済。
この小説のような状況になった時に日本はあるかどうか考えさせられた。
内容は難しく、理解するのにはそれなりの知識が必要。ただ、おもしろい。
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【ネタバレ注意】
ファシズム・鈴原トウジを否定したいという気持ちが自分の中にどっかにあって、下巻で滅んでいく姿を期待してたんだけどな。。。明確にアンチテーゼを打ち出せない自分になんだかモヤモヤする。