紙の本
森の中に入る
2020/06/15 16:51
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
バッタやミミズまでもが裁かれていたという現代人には信じられないような法慣行の深層を文化や自然に求め、さらに日本と西欧の動物観や環境保護にまで踏み込んで考察している、今でなければ手にしなかったであろう書。
紙の本
今では理解出来ないこと
2019/03/08 12:34
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投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
動物が裁判にかけられるという、今の時代で考えるとちょっとよくわからない事例について考察している本。
前半部分では主に実際の資料から読み取れた実例を挙げていて、ちょっとだけどの様な説が唱えられているかというのの解説が入る。
後半部分では中世から近世にかけての西洋の技術や文化、思想の移り変わりとそれらの関わり方を交えて、動物裁判が行われていた当時のことが考察されている。
最後の方に日本と西洋の自然への関わり方の差についてちょっとだけ触れていて、場所が違えば思想は変わる物だなぁ。という感じになる。
紙の本
自然を法の下に置く
2000/11/30 22:15
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投稿者:sfこと古谷俊一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
犯罪(人殺しや農地荒らしなど)を犯した動物を、通常の裁判制度にのっとって判決を下し、絞首刑する。涜聖を侵した動物や昆虫を、宗教裁判で破門や火刑に処する。12世紀から18世紀のヨーロッパに広く存在した、そのような動物裁判について、事例を紹介し、その背景となる心理を探るという本です。
冒頭、人間の子供を食べてしまった豚のシーンあたりは、たいへん印象深いかと思います。当時の豚は猪に近いですし、猪はたいへん危険な猛獣ですから、理解はできるのですが。そういうことがありうるのだ、というあたりにまで、なかなか気が回らないんですよね。
自然を人間の持つ法体系により処分する、祭儀体系により悪霊として処理するというのは。著者の言うほど中世ヨーロッパ特有の現象でもないとは思いますが。そういった考え方が過去にあったというのは、興味深く読めると思います。
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わかりやすい。動物裁判から入って中世の自然観を説き、その後動物裁判を問い直すという、何とも私好みの本でした。それにまた、図版が可愛いの何の。表紙では、ウサギさんが聖書(のような本)を読んでいますよ。これはもしかして獣の聖地巡礼ですか? とりあえず、動物裁判という現代から見たら、とても非合理的で無意味なものも、中世の暗闇から(今ではこの言葉は古いですね)の産物ではなくむしろ、啓蒙主義から来たものだったということがわかったわけですね。
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新書は初めて読んだ。
とりあえず好きな世界史の分野で目についたタイトルを借りてみた。
普段読むのは小説ばかりなので著者の考察に入ると読むのがしんどかったが内容は面白かった。
今の自分たちからすれば動物を人間と同じように裁判にかけ処刑したり破門したりするのはバカバカしい、というか思いつきもしないような突拍子もないことだが、当時の民衆たちは大まじめ。
たくさん例を挙げてくれているので割と読みやすいほうなのかな。分からないけど。
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立花・佐藤のブックガイドから。中世ヨーロッパの動物に対する人間の裁判についての本。結構おもしろかった。パロディのような感じで。新書だから仕方がないけど、かなり短い印象を受けた。
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法廷に立つブタ、ネズミに退去命令・・
興味を持って読みました。
中でも獣姦罪の罰がすごかったですね。獣姦自体が私にとって衝撃的でしたし・・
動物裁判が起こらなかった日本との違い。そこには宗教が関係していたんですね。一概に、虐待だ!と非難はできない内容です。
でも、ふつーだったかな・・
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[ 内容 ]
法廷に立つブタ、破門されるミミズ、モグラの安全通行権、ネズミに退去命令…。
13世紀から18世紀にかけてヨーロッパに広くみられた動物裁判とは何だったのか?
自然への感受性の変化、法の正義の誕生などに言及しつつ革命的転換点となった中世に迫る「新しい歴史学」の旅。
[ 目次 ]
第1部 動物裁判とはなにか(被告席の動物たち;処刑される家畜たち;破門される昆虫と小動物;なぜ動物を裁くのか)
第2部 動物裁判の風景―ヨーロッパ中世の自然と文化(自然の征服;異教とキリスト教の葛藤;自然にたいする感受性の変容;自然の観念とイメージ;合理主義の中世;日本に動物裁判はありえたか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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評価いくつ、とつけるタイプの作品ではない、と思ってはいるが、
とりあえず★みっつで。
動物裁判=動物が裁かれる裁判のこと。
魔女狩りが平然と行われていた中世ヨーロッパではこんなこともあったらしいよ、と。
そういうことを、データを紹介しながら教えてくれるという新書。
人間、あほか!と思いつつも、
人間と動物の距離は、実は意外と小さいのではないかと思ったりもした。
古代の神話には、動物と結婚する話がかなりあるし、
それが聖婚とされる筋のものもある。
そのころは、人間は、自らが持たない能力をもつ動物に一定?の敬意を持っていたのだろうと推察される。人間と異種が、同じフィールドで語られる、というほうが妥当だろうか。
動物裁判は、そういう、人間と動物の境界が薄かった時代だから成立するのだろう。
何にしても、この作品は自分の持っていなかったデータを提供してくれた。
読みやすい文体であり、例が多いから、短い時間で読了した。
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被告席にて裁きを待つのは、容疑者ならぬ容疑動物。
裁くは人間、広がる光景は今の私たちの常識からは異様なもの。法廷に立つブタ、破門されるミミズ、モグラの安全通行権。出廷しない鼠たちの事情を真面目に弁護する弁護人!
13世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパに広く見られた、動物裁判のお話。
「裁く」というニーズについて考察が深まるかなぁと思って手にとったんですが、西洋の歴史についての考察でした。
普遍的法の存在、人間中心主義・・・とまぁ法学部生でなくても一度は触れた西洋の歴史のキーワードがぽこぽこ出てきます。
問題は、「なぜ一時代にのみこのような事象が発生したか」という、歴史的固有性。この部分、筆者もあんまり自信もってないんじゃなかろうかと思うぐらいまとまり悪いです。
ので、全体的には「事例集」としての色が強いのが物足りないところですが、「ほーう、こんなことがあったんか」と教養としては面白いかと。行われていたこと自体は、だいぶショッキングだけれど。どうにも血なまぐさいですね、西洋に限らず・・・「裁く」手段が身体的に遠隔化されてなかった時代の話は。
読後、日本では確かにありえなかっただろうなぁ、と納得しました。一緒に「日本人の法感覚」もどうぞ。
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13~18世紀の西欧で実際に行われていた奇異な「動物裁判」をモチーフに、アナール派的史観によるアプローチによって、アニミズムの駆逐とキリスト教社会成立を背景にして、当時の法が対象にしていたものや社会風俗などが描かれています。ただ、Reviewerの方が指摘されているように、説明の方向性や主張が曖昧な部分も否定できませんので、新書というフォーマットの性質上、あくまでも読み物あるいは西欧中世の社会史の導入書という位置付けですね。
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動物裁判とは、主に中世ヨーロッパで行われた動物や昆虫たちを被告とする刑事裁判である。被告は人を襲ったブタやウシ、獣姦の対象となったロバ、作物を荒らしたネズミ、モグラ、バッタ、チョウ、毛虫、ゾウムシなど多種多様であった。裁判は人間と同様の訴訟手続に則って進められ、被告には弁護士がついて動物・昆虫たちの生存権、土地所有権、用益権等を主張し、有罪となれば死刑や破門などに処せられた。
著者は、こうした歴史上特異な裁判が行われた背景について次のように考察している。12世紀以降から自然科学の発達により機械論的自然観が芽生え、古来畏怖の対象であった自然が征服と領有の対象となった。17・18世紀になると機械論的自然観が徹底されて自然と人間理性との絶対的区別が定立されるが、12世紀から18世紀にかけては自然も人間理性に服するべきだとの心性を生み出し、一時的に動物裁判を可能としたというのだ
「動物裁判はおろかであり、また残酷である」ことは承知の上で、著者は「立派な弁護士に代弁してもらえる虫たちは、なんの主張もできずに、人間の都合で一方的に駆除されてしまう今日の虫たちよりも、考えようによってはずっと幸せなのではないか」「そうした配慮を自然にたいしてすることのできた人間と文化も、ある意味で豊かであったのではないか」という感想を漏らしている。
これに対して、動物裁判に激烈な反応を示したのがショスタコーヴィッチだ。知人から「動物裁判」について聞いた彼は、興奮して語る知人に対して「きみはどうしようもない人間だ。権力を渇望している。ほかの人々を迫害したいと夢みているのだ。そして、死刑執行人にならないのは、ただただ臆病だからにすぎないのだ」と辛辣な言葉を投げ付けている(『ショスタコーヴィッチの証言』)。
彼の反応は極端すぎるようにも思えるが、動物裁判の背景に人間の嗜虐性を見出し、まさに彼自身が直面していたスターリニズムと通底していると考えたのだ。動物裁判という歴史的現象にどのような感想を抱くかは、我々がどのような現代的課題に直面しているかという問題に関わってくるのだろう。
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中世の動物裁判について書かれた本。魔女狩りなどとも関連が深い。中世独特の法の原点ともいえる考え方から、人間と同じように権利を持った動物を裁く行為に至る。 しかし無機物にまで権利与えるってすごいな。
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人を殺した親豚は死刑、仔豚は嫌疑不十分で無罪、だとか、虫を破門するとか、トンデモネタを笑う本かと一瞬思うけれど、実はヨーロッパの自然観と宗教観の話。日本を対比してみると、自然が悪魔か神か、という発想が見え隠れして面白い。
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2013 8 24
動物裁判の是非→中世から現代までの自然観の変化→手に負えないもの=原子力を扱うこと
など授業で取り扱える内容が多い