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柳田国男が戦後になって今まで抑圧されていた自分の考えを明確に回復させ示したとても重要な作品でした。
もし柳田の考えを明確に知りたければこのちくま全集版26巻が最適です。
文化科学というものが帰納としてあり、そういった姿勢は反省によっている。柳田の言う一国民俗学とは当事者であるものが自らを批判比較吟味する反省によってしかありえない。比較民族学は反省を経ていないという意味でそれほど柳田にとって重要ではなかった。そういった反省は遊侠と倫理の姿勢となる。この場合の遊侠とは弱きを援け強気を挫くという意味です。
マルクスの資本論は副題を国民経済学批判とされている。そこにある批判は柳田の言う文化科学の姿勢である。マルクスがプロレタリアへの遊侠の姿勢になるのは柳田と同じ意味である。それが経世済民と言われるものである。
マルクスの盟友エンゲルスが空想から科学へと言っている。科学とは帰納・反省からの文化科学である。ただ彼は空想=ユートピアを否定してしまった。それによってマルクスと反対に反省と帰納の姿勢を失ってしまったのではないか。
ユートピアとは反省と帰納の姿勢から遊侠と倫理の配慮の先にあるものである。それは決してある得ないしかつてあったこともない永遠の目標=理想郷である。文化科学的ユートピアは重要である。
管理社会のディストピア=暗黒郷を描いた作品にジョージ・オーウェルの1984がある。それは反省を欠いた管理社会としてある。
空想的社会主義者の作品を読んでみたいと思っている。ロバート・オーウェンなどいくらか探してみたい。