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社交界、女優、という華やかな題材だけれど、その胸の内は穏やかではなく・・・。心理描写がお好きな方はサガンは外せないですよ。
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「いつかあなたはあの男を愛さなくなるだろう」
と、ベルナールは静かに言った、
「そして、いつかぼくもまたあなたを愛さなくなるだろう」
『われわれはまたもや孤独になる、
それでも同じことなのだ。
そこに、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ』
「ええ、わかってるわ」とジョゼが言った。
映画の中に出てくるこのセリフを
あたしはもう暗唱できるくらい聞いて、
サガンが大好きになりました
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単純明快な話が好きな方には不向きな
ややこしい話。私は好き。
(ええの?)
ちゃんと人の表だけでなく、裏の毒の部分を描いている。
出会い、別れ、その時は劇的で、
どうしてもアノヒトしか愛せない
と言う気持ちでいたとしても
過ぎ去る時間の中で人は忘れ、
また誰かに出会う。
いつかはあの男を愛さなくなるだろう。
そして、いつか僕も
またあなたを愛さなくなるだろう。
・・・・(省略)そこにまた、
流れ去った一年の月日があるだけなのだ
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気に入ったのは、静かな諦めと、薄笑いの中の絶望と、友人に対する嫌悪と、愚かな自分。
ぼくにとっては、ベアトリスに恋する愚かなアランも、ジョゼと語り合う虚しいベルナールも、ファニーに慰めを求める堕ちたエドワールも愛すべき友人であり、憎悪すべき自分自身だと感じる。
相手がいる身で女と共に寝、感動した口調でその夜だけの愛を語る。
でもそれが酷い事だろうか。肉体的な欲望ならまだ止める理性はあるが
逃れられない悲しみや差し迫った絶望の中でその場の優しさに心許してはいけないだろうか。
辛い時にそばにいて優しくしてくれる人がいたら。
そんなことを考える。
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Pensaba que Sagan fuera buena y empecé a leerlo,
pero actualmente, para mi, no me dio nada de interes....
OK, unica casa que interesante fue que ella, Sagan y yo nacimos en mismo día.
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フランス文学が好きな知人から進められた「一年ののち」を読んでみた。
実にフランス的だと思いました。なんていうか、私からしたら本当どうでも良いことをすっごい色々悩んで一年過ごしてるんだなーっと。笑。
ちょっとアホなんじゃ?って思ってしまうのは普通ですよね?すっごいどうでも良いんだけど、なんか妙にリアリティがあり面白かった。たまにイラってくるけど。
本当フランス映画そのものって感じがした。
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映画「ジョゼと虎と魚たち」でジョゼの名前は
サガンの「1年ののち」からだった…というのに気がつき、
図書館から借りた。
サガンは、20代に「悲しみよこんにちは」を読んだのだけど
なんとオシャレな世界だ…と影響され
普段の生活を、冷めた目でみたりして
ちょっと影響を受けたもんだった。
で、これ。
あ〜、いいなー、この自由&プチ適当感〜!
「ジョゼ虎」の元、特にジョゼ、適当感たまらなく良くて
田辺聖子の乃里子(「言い寄る」〜3部作の最高傑作主人公)を
彷彿とさせる、魅力的な女性。
なるほど、だからジョゼの名前にしたんだな…と。
しかし、
大人になった今読んだせいか
「ま〜、面倒な事をしていく人々だわね〜」という感(笑)
出て来る皆、ぶるじょわじぃーー!全く同感できね〜!!
そして、エドワールとベルナールが混乱して
何度か戻ったり、読書に苦戦したわりに、何故かハマり。。。
続編、「すばらしい雲」を読む事に。
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映画「ジョゼと虎と魚たち」のジョゼはなんでジョゼなんだろうと思って読んでみた。なんでベアトリスじゃなくてジョゼなんだ?しまった3部作なのか。引き続き読まなきゃかな。
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人の数ほど男女関係もさまざま。特別な筋がある本ではなく、複数の男女関係の入り乱れる様子を描いたもの。その中から見えてくる、恋愛関係の曖昧さと、恋愛に求める価値観の違いが面白かった。
今の自分では、彼らの哲学はほとんどわからない。だけど、恋愛に対する様々な価値観に触れられたことは大きい。そして、男と女の間には、超えてしまうと戻れない曖昧な一線があるのかなと考えた。
熟練したように見える人々でも、恋愛感情に弄ばれるものなのかな。
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(1970.12.27読了)(1970.12.19購入)
*解説目録より*
この題名はラシーヌの悲劇「ベレニス」の中の名せりふ「ひと月の後、ひと年の後、われら如何に悩み苦しまん―」からとったもの。パリに住むある階級の男女らがかもし出す一種の交響曲で、時代の雰囲気を描写する宝石のように透明な文章の奥底に淡い虚無感が漂い、「将来のプルーストを思わせる」と評されたサガンの第三作。
☆関連図書(既読)
「悲しみよこんにちは」F.サガン著・朝吹登水子訳、新潮文庫、1955.06.25
「ある微笑」F.サガン著・朝吹登水子訳、新潮文庫、1958.05.05
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一年とは短いようで、人生の全て、始まりから終わりまでの一連の流れがそこには集約されている。そこには必ず一つのベクトルが敷かれており、その流れは何者にもどうする事も出来ない。人はその大きな流れに絶望し、感嘆とする。空虚な流れを、パリに住むある階級の男女間の交流に描いたフランソワーズ・サガンの第3作目。
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孤独から逃れようとして恋をしたり
恋人が居て愛されれば孤独ではなくなる
そんなことは全部ウソだ。
誰かを好きになり愛すれば愛するほどに人は孤独の意味を知るようになる。
身近にその存在を感じるようになる。
どんなに好きでも決して一つにはなれなくて個々の存在であると認めても傍にいることを選ぶ、そして時間が過ぎ一年がたち、その優しい痛みを抱えたまま隣にいる相手を愛する。
いくら時を重ねても誰かを愛しても愛さなくなっても、そこにはただ変わらず流れる一年が毎年訪れるだけなのだと。
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遠くから眺めるとだらだら続いている日常を描いているんだけど投げずになんとなく読んでしまうフランス的な雰囲気のそれ。
あーもうだめだなこの人たちー、とぼんやり思いながら苛立ちの描写には共感するところがあったり。
どこかで終わりを予期しているのにそれは今じゃない、といつも言われているような感覚になった。
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続編を読むために再読。
粗くてエネルギッシュ、初期のブルーハーツのようなエネルギーを感じた。
本当に自分が思ってることに迫っていくワクワク感、書いていて何かが明らかになって進んでいく興奮、それにのっかってただかきつらねた文章。実際にレベルがどうとかじゃなく、本人にとってそれを書くことにどういう意味があるかが何より大事なんだろう。いいなぁ、楽しかったろうなぁ。
一つ一つの言葉が世界を広げていく、やりすぎてる位ロマンチックだけど、この世界ではそれがリアリティー。
短編小説のように説明する言葉の数は少ないが、その選択は的確で、それがかえって人物、展開の濃さをうんでいるとおもう。
おれはこの本好きだなぁ。
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淡々としているけれども実は昼ドラ並にドロドロとしている。
サガンの登場人物達は皆好きになってしまうけれどベアトリスが特に好き。