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紙の本
鹿鳴館の華=大山捨松の実像(哀しき不如帰の悲嘆)に迫った意欲作
2019/07/13 10:04
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投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作は、徳富蘆花の新聞連載小説『不如帰』により罪な継母のモデルに擬せられ、世間の好奇の目に晒された大山捨松の実像に迫り、その人知れぬ苦悩を意欲的に描いた秀作だ。(本書は、武市瑞山の妻 冨の生涯を描く「花は清香にあり」を併録。)
この旧会津藩の武士の娘は、幼名「咲子」を捨て子同然にその帰りを待つ意の「捨松」に改名され、僅か十歳で女子留学生の一人として岩倉使節団に帯同渡米する前半生があるが、著者の関心は、帰国後の二十代半ばに古い言葉で「生さぬ仲」の親子関係を築く後半生に注がれる。
現代ならば専攻した看護学や語学を活かし、看護師、教員、通訳、翻訳家、ニュースキャスター、フリージャーナリストなどの職業婦人として活躍できた筈。だが、米国の女子大を卒業した帰国子女の捨松に、当時の社会で選択し得る道は無かった。
釣り合う結婚相手に出逢うことも困難だったろう。先妻を亡くして幼子三人を抱えた参議・陸軍卿の大山 巌伯爵の後添えにとの縁談話も、戊辰の役で会津を攻めた旧薩摩藩出身の軍人に嫁するなんてとんでもないとの家族の反対で、一度断っている。
西南戦争の反乱首魁 西郷隆盛の縁戚たる大山家とは「朝敵」仲間だとの西郷従道らの説得工作があり、何より相手(大山 巌)の人物次第だからとの米国流アプローチ(デート)が奏功し、旧怨を越えた年の差(18歳)婚が実った。
義理の娘に「ママちゃん」と呼ばれた捨松は、実子と分け隔てなく愛情を注いだ長女 信子を嫁がせたものの、結核を患った花嫁を嫁ぎ先の三島家から突き返され、悔悟の中で義娘の看病に尽くすも世間はその献身を看過し、継子いじめという小説の虚構が大衆受けする。
亡国の帝王の化身たる鳥が「不如帰去」(帰ら去るに如かず)と血を吐くまで啼いて嘆き悲しんだという中国の故事から、ホトトギス(不如帰)は真っ赤な咽喉を覗かせるのだとされる。
明治期世間の誤解や無理解に幾度となく涙に暮れただろう捨松の哀しき悲嘆を思うと、有名税にしては重過ぎる仕打ちに心が痛んだ。鹿鳴館の華と謳われた優雅な貴婦人像は必ずしも正鵠を射たものではなく、傍目に映る上辺のイメージだったと気づかされた。
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