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言われてみれば、マツタケってまともに食べたことがない。永谷園のマツタケ味のお吸い物くらいだ。あんなに高くなければ一度腹いっぱい食べてみたいが、いまどき天然物しか手に入らない、という食い物がひとつふたつあっても悪くない気もする。
その一方で、人工栽培が可能になれば大商いになることがわかっているから、昔から日本人は一生懸命研究しているわけだが未だに日の目を見ない。なんかよくわかんないけどデリケートなんだろうな、程度の認識だったぼくだが、本書を読んで難しさが少しわかった。マツタケはマツタケだけで独立して生活している生き物ではないのだ。松はもちろん、周辺の環境や菌類の複雑なネットワークの中のニッチに居場所をみつけて生きている。おまけに、森林の遷移の過程の一部で出るもので、永久に出続けるものではない。それはマツタケに限った話ではないが、特に環境に大きく左右される、ということなのだろう。
著者はマツタケの専門家だが、マツタケの人工栽培についてはええかげんにせよ? みたいなスタンスだ。学者としてマツタケの不思議さ、難しさに魅了されると同時に、商売として、あるいは食い物としてマツタケマツタケ言われるのにはうんざりしているらしい。ちょっと気持ちがわかっておかしい。
日本人のマツタケ、朝鮮半島の朝鮮人参、フランスのトリュフなど、現地では宝物扱いされるのに、他の国ではどうってことない、という食べ物があるのはおもしろいな、と思う。アメリカにもマツタケっぽいのは出るらしいが、血なまこになって探すのは日系人ばかりらしい。そういえば中国産マツタケって聞くけど米国産って聞いたことがないな。なぜだろう。トリュフは和名ではセイヨウショウロといい、日本でもとれることはとれるらしいが、とって食べる人はいるのだろうか? 味違うのかな。