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反文学論(講談社学術文庫)

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みんなのレビュー6件

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紙の本

人として。

2004/07/06 06:38

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る

『マルクスその可能性の中心』と『日本近代文学の起源』の

「私が英文学をやってみようという気をおこしたのは、英文畑の三人の批評家、福田恆存、江藤淳、吉田健一の影響だったのである」というようなプライヴェートな話がぽろりと出てくる。すごく「人間的」な感じである。その感じは、田中小実昌さんの「ポロポロ」を評する柄谷さんの、なんだか壊れかけてる感じの文章にも表れている。

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田中小実昌さんの『ないものの存在』という「哲学」にまつわるエッセイを集めた本のなかに、「たんきゅうする」という四十ページほどの文章がある。柄谷さんから『探究2』を送られた田中小実昌さんが『探究2』について語る、ふわふわ(ポロポロ?)した感触のエッセイである。

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『マルクスその可能性の中心』のなかに引用される「神聖家族」の一節。

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柄谷さんは書く。「外界に対する関心はありあまるほどありながら、それでいてそこに致命的な外界喪失がある……重要なのは、のちにのべるように、彼らを「外界から隔離しているのは、国境でもなく心理的な病でもなくて、彼らの言語体系そのものだったということである」

脱線ついでに、小実昌さんと交友の深かった色川武大さんの遺作『狂人日記』より。「言葉の難しさ」を実感し、やがて「つながり」を求めるに至る男が、精神病者としての「自分」を語る言葉。

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たとえばこんな処に、「泣き顔が微笑みにかわる 瞬間の涙」(瑠璃色の地球)があるように思う。

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紙の本

反文学論

2001/11/11 01:54

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:333 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 文藝批評を集めたもの。柄谷行人は気軽に書いたと書いてあったが、そこに書かれているのはまさに70代文学を的確に捉えた批評ばかりである。
 鮮やかに文学というものを捉えた評論ばかりである。
 

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紙の本

柄谷行人唯一の文芸時評集

2003/07/08 09:21

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る

柄谷行人の唯一の文芸時評集。
こういった本に感想を書くのはむずかしい。評論として一本の線があるわけではなく、時間的連続性のもとに論が連なっていて、何かを語るとすればその批評の方法などを掴んでいくというやり方があるのだろうが、私がそのような試みをしてもあまりうまく行かないだろうと思う。
ひとつ、確固とした認識の方法といえば、今日自明であると考えられているものが、制度に他ならない、というものだと思う。

「過去は、とりもどされるためにあるいは研究するために書かれるのではなく、われわれが生き考えている地平の自明性そのものを転倒するために書かれる」38頁

という部分や、

「文学に理論はいらないという人達は極楽とんぼである。なぜなら、彼らが理論でなく実感だと信じているものは、概ね十九世紀に確立した理論にすぎないからだ。現実があり、風景があり、内面があり、私がある、と彼らはいうだろうが、それらは近年に作りだされた、そしてそのことが忘れられた一つの制度にほかならない。しかも、この制度は大学の制度などと違って、自然かつ自明な意識としてある。「文学」の外にイデオロギーがあるのではなく、「文学」がイデオロギーなのだ。(中略)文学に拠って自己確立(自己実現)しようとか、あるいは文学に閉じこもるべきではないとかいった議論は、すでに「文学」である。「文学」はそれによって無傷のまま生きのびる」220頁

という末尾の言葉はそのまま、「日本近代文学の起源」へと受け継がれ、風景、内面、私といったことの自明性を、起源が忘却された制度に過ぎないと喝破していく。
本書では、そのような認識がぽろぽろとこぼれながら、月々の小説についてサクサクと評価を下しながら進んでいく。その意味で読みやすく、柄谷の他の本への導入にもなるのだろう。

この本のなかで出てきた人物のなかで、記憶にあるものを列挙してみる。
大江健三郎、山口昌男、古井由吉、中上健次、田中小実昌、三田誠広、江藤淳、津島佑子、小島信夫、唐十郎、富岡多恵子、藤枝静男、耕治人、島尾敏雄、阿部昭、小林信彦、安岡章太郎。
読んでみたいと思った人もいるし、そうでもない人もいる。これらの名前のかなりの部分に興味があるなら手に取ってみるのも悪くないかも知れない。

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2009/01/05 08:28

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2009/11/01 21:46

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2014/05/29 08:54

投稿元:ブクログ

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