紙の本
復刊希望
2017/03/28 15:12
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投稿者:ルイージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
聴覚障害者を、ただ単に受け入れ気遣いと好意で迎え入れるのとはまったく異なる、この島での社会の構成員としてごくごく自然な受容。詳細かつ説得力のある貴重な社会学的レポートです。ぜひ復刊を期待したい。
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限られた島内で婚姻を繰り返した結果聴覚障害者が多くなった実在の島。
耳の聞こえない人がたくさんいて、聴者同士でも距離が離れていれば手話を使うくらい手話が身近にあった島。
聴覚障害はコミュニケーションの障害ともいわれるくらいで、逆に言えばコミュニケーションに不都合がなければ「ちょっと足を引きずっている程度のこと」と認識される。
障害の軽重って、けっこう環境に左右される部分もあるんだな。
「今どきしょうがい児の母親物語」の「障害児は健常児の教育のために存在するわけじゃないけど、健常児が障害児に適応するために一緒に居ることが必要でもある」という発言を思い出す。
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大変に興味深い本でした。アメリカのヴィンヤード島では300年にわたって、健聴者が島の手話を覚え、聾者と健聴者が分け隔てなく暮らしていたことの記録と考察。 比較文化論や文化人類学の教科書みたいな感じもし。 これを読むと、耳が聞こえないということよりも、社会と(が)、コミュニケーションがうまく取れないことこそが、ハンディーキャップとなりうるのだと納得。人間、人間と社会を見つめ直すいいきっかけになった。
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アメリカのとある島では、聴覚障害児の出生率が異常に高く、聞こえる人も聞こえない人も、皆が手話で話をしていた。島で生まれた子どもは英語と手話を自然と身に付け、島の外から来た大人でさえも、「なにしろ手話を覚えないわけにはいかなかった」。そこで暮らすためには、英語と手話は等しく必要な言語であった。
手話を言語として認める動きが世界的に加速している。日本においても、「手話言語法」の成立に向けて当事者団体が動き始めている。手話が言語として社会に溶け込み、誰もがそれを使えるようになったとき、そこに生きる人々はどのような「日常」を過ごすのだろう。
「みんなが手話を知っているのは当然だと思っていた」。300年近くにわたって誰もが手話で話した島で、聞こえない人々は、そして聞こえる人々はどう生きたのか。そこで暮らしていた人々の声を集めつつ、遺伝、言語、歴史などの面から島について記録をした一冊。
(お薦め本レビュー応募作品2012★感動しそうで賞/人間総合科学研究科博士後期1年)
▼附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=326394&lang=ja&charset=utf8
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遺伝性の聴覚障害者が多数存在する島として有名な、アメリカ・マサチューセッツ州のマーサズ・ヴィニヤード島のレポート。内容は、島のろう者がどのように暮らしていたかに関する聞き取り調査、ろう者が生まれる家系の調査、ろう者の社会的立場、手話に関する考察など。
中でも特筆するべきは、ヴィンヤード島において、ろう者は健聴者と同じ暮らしをしていたということだ。地域のコミュニティに溶け込み、健聴者と同じように仕事をし、結婚し、家族を養った。同時代にアメリカ本土でろう者がどのような境遇にあったかを比べると、ヴィンヤード島のろう者は非常に恵まれた環境にいたことがわかる。話し言葉が使えないろう者が地域のコミュニティに加われた理由は手話にある。もともとろう者が多かったヴィンヤード島では、健聴者も手話が使えて、ろう者とのやりとりの他、船同士の連絡、人に聞かれるとまずい話をするとき、あるいは教会の礼拝時にこっそりおしゃべりする時などに使われていた。
ひとつ言えるのは、ろう者の壁は聞こえないことそのものよりも、まわりとコミュニケーションがとれないこと、そこから生まれる社会の差別にあることがわかる。
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比較的少人数の隔離社会であったマーサズ・ヴィンヤード島は、劣勢遺伝の聴覚障害者を 155人に一人の割合で生み出した(村によっては 25人に一人。一方、同時期の北米全体では5728人に一人)。この島では、健聴者も幼ない頃から聾唖者との対話に親しんだため、島の人はほとんどの人は英語と手話のバイリンガルで、聴覚障害が何らかの社会的ハンディキャップになることは無かったという。
現在でこそ手話言語が音声言語と同等の言語機能を有することが理解されるようになったが、「聾者は言語を解せず、したがって知性もない」と信じられていた時代はそれほど昔の話ではない。たとえば、この本で掘り起こされるのは1600年代後半から 1900年代前半までの島の歴史だが、この期間、世界中のほとんどの国では聾者は迫害と貧困のうちに一生を終える他はなかった。しかし、一方でこの島の聾者は何のハンディキャップもなく社会生活を送っていたというのだから、驚く他はない。驚愕のエピソードにはこと欠かないこの本の中でも、特に感銘を受けたのは情報提供者へのインタビューの中で出てくる以下の会話だ。
「アイゼイアとデイヴィッドについて何か共通することを覚えていますか?」
「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」
「ひょっとして、二人とも耳がきこえなかったのではありませんか?」
「そうそう、いわれてみればその通りでした。お二人とも耳が遠かったのです」
失なわれつつあったこの島の歴史をインタビューと(なんと電話の発明者として有名な)グラハム・ベルの文献で掘り起こした著者の執念もすごい。