紙の本
宮中生活の語り部 女房という存在
2017/11/12 20:58
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投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
本棚の整理をしていて、久しぶりに読んでみたが初読のときよりも情緒深く感じた。
先日読んだ永井路子の「望しは何ぞ」の舞台を女房の視点から語った作品だが、紫式部の娘、賢子の目を通してのことなので、権力闘争や後宮の入内合戦も、当時者たちより一歩も二歩も引いた冷静でいながらも、哀しみのこもった視線が印象的である。
みなしごとなって女房として出仕した賢子の孤独感、心の拠り所を求めての男性遍歴、若宮の乳母としての精勤、全てが深くこちらの心に沁みるのは、女性の生き難さがそのまま自分に響いてくるからだろう。
源氏物語は、このような女房の視点で語られた体裁になっているが、なるほど宮中生活、権門の私生活の生き証人であるのはまさに賢子のような女房たちだったのだと改めて思った。
また時間をおいて読み返したい作品だ。
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源氏物語が好きな方には、ぜひ読んで欲しいです!紫式部の娘、賢子の一生の物語です。期待しないで読んだのですが、これがなんと面白い!和泉式部とのつきあいや内裏での恋愛。藤原道長の最期など、結構衝撃的でしたね。オススメでーす!
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(2008.10.23読了)
「源氏物語」の著者、紫式部の名前はわかっていない。香子という説もあるが、定説にはなっていない。清少納言は、父親の苗字が清原なので、清の一文字がつけられて清少納言であるように、紫式部は、父親が藤原為時なので、藤式部と呼ばれていたが、源氏物語が有名になってからは、紫の上から一文字取られて紫式部となった。
紫式部は、藤原宣孝と結婚し、生まれた子供が、この本の主人公「賢子」です。
賢子は、「かたいこ」と読む説もありますが、この本では、「かたこ」と振り仮名してあります。百人一首のなかの
有馬山猪名の笹原かぜ吹けばいでそよ人を忘れやはする
(「あなたは私がつれないとお恨みですけれど、私の心はあの有馬山の猪名の原にそよぐ風の音のように揺れています。どうしてあなたを忘れることができましょうか」)
の作者、大弐三位が賢子なのだそうです。
物語は、賢子の12,3歳のころから始まります。屋敷の主人の藤原為時は、越後の国守として赴任しており、母親の紫式部は宮仕えに出ているので、賢子の面倒は、乳母の右京が見ています。
紫式部には、式部の乳母の姪の淡路がついて走り使いをしています。
右京と淡路が、この物語全体に登場し、賢子の行く末を見守ることになります。
紫式部は、皇太后の彰子の許しを得て、賢子の宮仕えが始まる。祖父が越後の守なので、越後の弁と呼ばれることになる。一緒に働くのは、和泉式部の娘の小式部です。
間もなく、紫式部の父の藤原為時は、任地から戻り、越後の国守は、甥の信経に譲った。
長和4年2月、紫式部は、死亡した。(111頁)
母の紫式部の書き残した、宇治十帖の分が、草稿のままなので、賢子が清書して、藤原為時の手で、道長に渡された。
賢子は、藤原道長の息子の頼宗にあこがれ、頼宗も賢子に好意を示しながら、という形で物語は進められるが、宮廷の女房たちは、男たちに翻弄される立場だったようで、権大夫公信に弄ばれ、藤原道兼の長男兼隆の子供を産みます。女の子で、佐保と名付けられます。
乳が良く出るので、兼隆の勧めで、親仁親王の乳人を務めることになった。
佐保が6歳になった時、兼隆に預けることにした。
30歳を過ぎて、兼隆と別れ、頼宗と親しく付き合うようになる。
佐保が14歳になったころ、久しぶりに呼び寄せて会った。
賢子が「源氏の女君ではだれが好き?」と問うと、佐保は、「私はね、花散里の君が好きですの。美女ではないけれど、心が優しく穏やかで、親切ですもの」と答える。
親仁親王も成長し、性に目覚め、賢子と頼宗のなかを嫉妬するので、別れざるを得なかった。頼宗は、賢子を結婚させることにし、高階成章に白羽の矢を立て、賢子も了承する。
賢子は、40歳にして、50歳の男と結婚した。賢子は妊娠し、男の子を生む。後に為家と名乗る。祖父の為時の一字をもらう形にしてもらう。
親仁親王は、後冷泉として即位したので、賢子は、典侍に進み、従三位をいただいた。
読んで感じたのは、火事が実に多いことです。天皇の居場所があちらにこちらのとしょっちゅう移ります。
宮仕えの女房の生活を垣間見ることができるとともに、源氏物語の続きを読んでいるようでもあります。
(2008年10月27日・記)
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描写の美しさに感動。
しかし賢子が一番愛していたのはいったい誰だったのか。やっぱり頼宗なんでしょうか。
個人的には読んでいて頼宗との恋愛はそんなにも感慨深いものは感じられなかったのだけど。
どちらかといえば兼隆や成章との穏やかで静かながら満たされている恋のほうが素敵に思えた。
これは個人的な理想もあるだろうけど。
しかし当人には安心できる恋よりも激しく想いが揺さぶられる恋のほうが印象に残るというのはなんとなくわかる気はします。
それにしても帝には戦慄を覚えてしまいました。
経緯は違えど百合はなの運命が賢子が公信に乱された時を思い出して切なくなった。
彼女の場合さらに相手が悪いので。
途中まではついていけた系図も後半はこんがらがってしまった。
そしたら最後のページに親切な系図が載っていたという。。
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為時は越後守として任地へ、宣孝と死別した式部は枇杷殿へ出仕、賢子は乳母が養育…ってのは確かに肉親の縁が薄いようだけど、受領階級の娘の育ちとしてはあるあるのような気もする。
具体平親王への想いから『源氏物語』…なんて、面白い切り口。具平親王って、色んなところでチョイチョイお名前を聞くけれど、中々生存中の描写がない。どんなに魅力的な方だったんでしょう…。もっとも、この話でも紫式部が1/3くらいのところで亡くなり、後半は賢子の半生。
賢子が、乳母として仕えた後冷泉の死に際に日記を譲り受ける場面が、帝の幼少期からの想いを受け止められなかっただけに、重い。
あれ、でも、篠玲子『あかね雲』では、賢子ってば後冷泉の父親・後朱雀(敦良親王)にも求愛されてたよなあ…。