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オオカミ。時に獰猛と恐れられ、時に郷愁と憧憬を呼ぶ、肉食獣。ライオンや虎がネコ科の王とするならば、オオカミはイヌ科の王と呼ぶにふさわしい存在だ。
日本では、明治期を境に、人々の意識の変化、銃器の使用、縄張りの減少、伝染病の蔓延など複数の要因が絡まり、土着のオオカミは絶滅した。
日本において、オオカミはかつてどのように生きてきたのか。人との関わり、生態をつぶさに追う、ニホンオオカミ研究集大成の1冊である。
初版は昭和56年(1981年)刊と、いくぶん古い(私が読んだのは新装版で1992年刊)。
明治31年(1898年)生まれの著者は、在野の研究者で、動物学を独学で学んでいる。すごいのは、実行の人だった点で、犬やオオカミはもちろん、ネコ科、ハイエナ科、ジャコウネコ科、クマ科と様々な動物を邸内で飼って起居をともにし、間近で観察したことである。但し、著者がさまざまな動物を飼い始めた昭和期には、ニホンオオカミはすでに絶滅していたので、飼育したのは朝鮮・満州・蒙古産のオオカミだ。
このほか、現在、日本犬の血統書発行で知られる日本犬保存会の設立に関与し、動物文学会を立ち上げてシートンなどの優れた動物文学を日本に紹介し、またフィラリア研究会を作って疾患克服にも努めた。
そうした豪腕・異才の著者が古来のニホンオオカミに関する記録を集め、伝説の中の姿と、実像に迫ったのが本書である。
イヌ科18種の総説に始まり、犬とオオカミの比較、史料で見る古代からのニホンオオカミの歴史、狼害とオオカミ狩りの記録、オオカミの伝説、ニホンオオカミの形態、その絶滅、オオカミを飼育した人の記録と続く。
DNA分析などの進んでいない時代であるから、分類はもっぱら形態による。イヌ科の分類で重要になってくるのは、四肢の指の数(前が五本、後ろが四本のものと前後とも四本のものに分けられる。オオカミも犬も前者)、歯式(門歯・犬歯・前臼歯・臼歯の各種類の歯の本数を、上顎・下顎に関して記載する)、頭骨や全体の骨格の形状・長さの比率である。
イヌ科の動物の各論を読んでいくと、意外に様々な動物がいることに驚かされる。コヨーテやジャッカル、キツネやタヌキなどもイヌ科の仲間である。これらの中にも飼い慣らされた例もあり、犬との間で交配した例もある。
こうしたものを見ていくと、際だってくるのがオオカミと犬の「近さ」だ。2種は、かなり近い仲間で、掛け合わせると生殖能力を持つ子供が生まれる。科の下の分類の属(カニスCanis)が同じで指の数や歯式も同じである。相違点は、腸の長さ、成長年数、吠え声、足跡、頭骨の形、歯の大きさ、毛皮などである。例えば、頭骨を見ると、犬の頭骨には(若干の例外があるが)、横から見た場合に凹み(ストップ)がある。オオカミにはこれがない。
ニホンオオカミを語る場合には、種が絶滅しているため、どうしても文書の記録や剥製・標本によるしかない。これが隔靴掻痒の点でもあり、一方でロマンを誘う点でもあるのだろう。
一度人に飼い慣らされた後に野生化した犬も、オオカミも、両方、山犬と呼ばれていたのもややこしい点だ。それだけ両者が近しかったということもあるだろう。
古来、オオカミは害獣と神獣の間を行ったり来たりしてきた。
農耕から見ると、オオカミには益獣の側面が大きい。作物を荒らす猪や鹿を駆除してくれるためだ。
だが、人が襲われる例は時折あり、子供が食われるといった痛ましい事件もあった。
とはいえ、概して、オオカミはむしろ慎重な生き物で、やたらと人を襲うものではなかったようだ。よくある送り狼の伝説も、縄張りの中に入り込んだ何者かを確かめようとする警戒心と好奇心からくるものだったと考えられる。
これが絶滅にまで傾いていく流れの中には、狂犬病の影響が大きいようだ。1800年前後から、「病狼」に咬まれ、しばらくして亡くなるといった例が目立ってくる。治療としては傷に灸をすえて体液を流出させ、消毒するといった方法が有効だったようだ。この頃に狂犬病が流行して、狂躁期の狼が人を襲う例が多かったとすると、つじつまが合う。
本書で一番意外だったのは、オオカミが飼い慣らされた例がそれなりにあることだ。オオカミは容易に人には馴れないとは言うが、このあたり、オオカミの亜種間での気質の相違などもあるのかもしれない。
著者が飼ったオオカミなどは、飼い主の顔を見ると喜び、尾を振り、顔をなめ回し、体をすりつけ、甚だしいものは小水をもらしたという。犬の、いわゆる「うれしょん」を思い出させる。また犬と一緒に飼うと、通常は吠えないオオカミも、犬よりは稚拙だが吠えるようになるのだという。
ただ、やはり犬とは異なり、顎の力が強いためさまざまなものを噛み壊し食いちぎることも目立ち、敏捷で身軽であるため網を飛び越さないように忍び返しを付ける必要があった。食べ物に対する執着が強いものが多く、食事中に近づくのは危険だったという。
著者の所有したオオカミではないが、生来温厚だったものが、一度、飼い主以外の者に打擲されたために、すっかり気質が変わり、最終的には処分しなければならなくなったという痛ましい例もある。
全般として、犬とオオカミの近さ、人と犬・オオカミの関係について、さまざま考えさせる好著である。
本書を読むと、人為的かつ単発的に犬とオオカミ、さらには他の種が交配させられている例が少なくなかったことが窺える。犬がオオカミから派生してきた種であることは確かと言ってよいように思うが、その起源は一直線にはたどれない、ジグザグの複雑なものであるようにも思える。
それにしても、古代のヒトはとにもかくにも野生のものを飼い慣らしていったわけである。そこにあった好奇心や忍耐、野生のものと向き合う気合いのようなものを想像すると、何だかうへぇぇと恐れ入ってしまう気もする。