紙の本
宮崎駿つながりの鼎談といった趣の本
2011/01/30 22:04
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投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
2009年まで22年間刊行されていたアメリカの有名男性誌『エスクァイア』日本版の1991年3月号と1992年3月号に掲載された鼎談を、速記録をもとに再構成し、著者三人が大幅に加筆、訂正したものです。
著者というか鼎談の主は、1918年生まれで1998年に亡くなった作家・堀田善衞、1923年生まれで1996年に亡くなった作家・司馬遼太郎、1941年生まれのアニメーション映画監督・宮崎駿です。この3人がなぜ鼎談することになったのか、どこにも書かれていないのではっきりとはわかりません。この3人の名前が並んでいて、「ああ、この3人の話なら」と思わせるものがあったのかどうか、今になってしまってはさっぱりとわかりません。ただし、堀田善衞と司馬遼太郎は宮崎駿が「愛読者」と自認しているので、宮崎駿のために企画されたものだったのかもしれません。1991年から1992年にかけてというと、ちょうど宮崎駿が映画『紅の豚』を制作し公開に至った時期のように思います。実は映画の宣伝も兼ねていたのかもしれません。
だからなのかどうか、本書の終わりに宮崎駿だけが「あとがき」を書いています。そしてその中で、
「心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義者の仲間にだけはなりたくありませんでした。自分がどこにいるのか、今この世界でどう選択して生きていくべきか、おふたりなら教えていただけると思いました」
とありますから、やはり宮崎駿のため(?)の鼎談だったようです。確かに、全編を通じて宮崎駿はどちらかというと司会進行のような立ち位置でしたし、最初に自らを「書生」と位置づけていましたから、要は堀田善衞と司馬遼太郎の話を一緒に聴きましょうという感じです。
そして、その話題は果てしなく大きく、また堀田、司馬両氏の博識と理念を伺い知ることができるような内容でした。
のっけから「20世紀とは」と題された章で、20世紀を総括してしまいそうな勢いです。さらに、「国家はどこへ行く」と題して国家の成立について、主にヨーロッパ人の意識と日本との違いなどが語られています。
そんな中で私としては、イスラム・トルコ文化圏の世界に与えている重要さのことや、宗教に関する話題のところ、日本人のありようについてなどは目からうろこ状態でした。
これがすべてというわけではないでしょうが、全編を通して読んでみると、宮崎駿の精神形成の源の一端を知ることができたようで、それはそれで面白く読めました。また、宮崎駿はファンでもあるし、今や有名なアニメーション監督ですし、司馬遼太郎も国民的作家と言われるくらいの人で若い頃には何作も作品を読みましたが、堀田善衞は今まで私の読書歴の中には入っていませんでした。しかしこれを読んで、堀田善衞の作品も読んでみようと思えてきました。
そんな鼎談ではありましたが、実はこの本は宮崎駿の絵が載っているというところが、私にとっては一番の魅力だったのかもしれません。
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宮崎駿の関連でこの本を読んだ。いやはや、とんでもない鼎談だ。博覧強記ぶりに恐れ入る。それをしっかりと受け止める宮崎駿もただ者ではない。若い時から秀才だったというが、本当にそうなのだろう。
惜しむらくは、あとがきの宮崎駿の言葉の通り、私も一つ一つの言葉の定義をきちんとしておかないものだから、交わされる話題についていけない場面があった。それでも、とんでもない知性が展開する場面に居合わせる喜びは十分に味わわせてくれる。
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購入時何度も読んだ本ですが再読。
対談本、というか鼎談本なので気軽に何度も読めます♪
天下の宮崎駿も堀田善衛・司馬遼太郎、2人の前ではさすがに三下か(笑)
(そもそも分野が違うんだけれども)
この2人、得意分野のことを喋ってるんだろうけれどもそれにしても凄い。
今更ながら恐るべき知識量・・・。
この2人の中に入っていってる宮崎駿もさすが・・・。
文庫本が出てるらしいので購入してまた読み返そうと思ってます。
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ヨーロッパ人というのは、大雑把にいえば二種類ある。
一つは貴族を含む上層階級で、親戚がヨーロッパじゅうにいる。ベルギーにもぼんにもアムステルダムにも、パリにもジュネーブにもいるという、そういう仕掛けになっている連中です。こういう連中は、戦争がおこると困るわけです。インターナショナリストというより、むしろコスモポリタンです
メージャー首相は、貴族階級でなく、サーカス芸人の息子で、高等教育を受けていない
ジブラルタル 1713 ユトレヒト条約というスペイン王位継承戦争の講和条約で譲った イギリス領
ギリシャがトルコに支配されたことから、イスラム世界の賢人たちが、アリストテレスなどを勉強していた。それをヨーロッパが取り戻して、キリスト教神学をアリストテレスの哲学で整えていく
騎士道は、イスラムから11世紀頃輸入した
西洋の城郭、あの凹凸の矢狭間などもイスラム世界からもたらされた
アリストテレスがヨーロッパにでてきたについては、最初にエジプトのアレキサンドリアでアラビア語に訳されているのです。そのアラビア語版を、スペインのトレドでラテン語に重訳したわけですね
だから、おそらくは、ギリシャ語からアラビア語に、それからラテン語に直した。その間にずいぶん違ってきたんじゃないかと思う
スペイン語でフラメンコというのは「異なるもの」という意味。フランダースから来た人たちに支配されてきた。スペインの人たちとは異なるものの人たち、異人、外人ですな。それでフラメンコと読んでいた
スペイン語でフラメンコはオランダ人という意味
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国の成り立ちや宗教の話なんかが興味深かった。
それにしても、ものすごい人たちだなぁ…
宮崎駿さんが 「先輩方、教えてください!」みたいな感じなのがまた良い。
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堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿の三巨匠の鼎談。約三十年ほど前のものだから内容が古く、現代にはそぐわない話題も沢山ある、が、国の成り立ちや宗教についての見解など興味深い意見も散見され、なによりその知識量に驚かされる。我々はあらゆる国々の歴史や文化を、それぞれ固有のものとしてぶつ切りで捉えがちだが、全ては繋がっていて無関係なことなどなにもなく、よって日本の歴史小説を書くため、あるいは日本という国を客観的に捉えるため、巨匠たちは必然的に、繋がる方々の世界へと触手を伸ばしていかなければならなかったのだろう。私は常々、キリスト教圏の文学は聖書を読まなければ真に理解はできないだろうなと思ってきたが、歴史を知る、文化を知る、という手段もあるのだと、目から鱗が落ちた。
にしても先輩二人の宮崎さんへの無茶振りが面白い。たしかにご希望通りのアニメーションができたら素晴らしいし面白いだろうけど、、、宮崎さんのタジタジ具合よ。全体的に先輩二人とその二人の話を聞く後輩、という図式が心地良かったです。
以下特に印象に残った話題。
・ロシアはほとんど商売というものを個々に一生懸命やったことがない。重要な単語はイスラム系の言語から導入された。自分たちが商品経済の中にいたことがないから、もし資本主義になったとして、最悪の資本主義国になりかねない。
・ドグマで支配するのは大領土国家の一つの型。今の中国とロシアは、宗教が社会主義に挿げ替わっただけ。
・あの平和の人トルストイが「セヴァストポリ物語」で「征服は悪い、しかし結果はよかった」と書いている!!!
・徴兵制を開発したのはナポレオン。それまでは傭兵制が主だったため、より安価で強制力のある戦争ができるようになった。
・ヨーロッパ人には二種類ある。一つは上層階級で親戚がヨーロッパ中におり戦争を嫌う(困る)コスモポリタン。もう一つは中産階級から下のナショナリスト。ヒトラーを支持したのはこの人たち。
・イギリスの王室はドイツのハノーバー家からきたプロテスタントの人たち。だから日本の皇室とイギリスの王室に対するそれぞれの国民の捉え方も根本的に違う。
・信長と秀吉の主従関係の中身は請負制。
・古い薩摩家中では"冷えもんとり"という奇習があった。ユニークさというのは、世間という普遍性に照らしてのユニークでないと理解できない。
・ガウディのサグラダ・ファミリアはこの当時不法建築。2018年に許可が出ている。
・国際化というのは日本の中の国際化であって、日本人が積極的に外国へ行くことではない。近所在住の半分が外国人になる、そういう国際化が実現するかもしれないということ。
・日本は十三世紀の鎌倉幕府成立からすでに脱アジアだった。その後一度もアジアであったときがない。
・ジャガイモがヨーロッパ人を救った
・「なにもウイスキーまで作らんでいいじゃねえか、おれたちはね、日本の酒作ってないよ」
・パリの街全体を見わたして、「これはみんな減価償却ずみだな」と言う共同通信の社長。