紙の本
夜の光と影を湛えたアイリッシュ短編集
2004/04/23 03:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風(kaze) - この投稿者のレビュー一覧を見る
夜の光と影、夜の匂い、夜の孤独。
アイリッシュ(ウールリッチ)の作品を思う時、そうした夜のムードを実にうまく捉え、描き出した作家だと思う。そして主人公の男を、それまでの日常空間から突然暗闇へと突き落とし、ただならない孤独と不安感味わわせるサスペンスの妙、それを描き出すことに恐ろしく長けていた作家だったなあと思う。
私がアイリッシュの作品を初めて読んだのは、小学生の時だった。あかね書房から出ていた『見えない殺人犯』を読みながら、どきどきさせられ、夢中にさせられたのが忘れられない。今でも、あの一冊に描かれていた挿絵のいくつかがぱっと脳裏に浮かんでくる、それくらい何度も読み返してはどきどきする恐さを満喫した。
後年、アイリッシュ短編集5の本書を読んで、その作品が「コカイン」だったことを知った。ああ、これこれ、これだったのかと、ひどくなつかしい気持ちになったものである。
アイリッシュの中・長編では、特に『黒いカーテン』『暁の死線』に愛着があって面白く読んだものだが、作品の完成度、サスペンスの出来映えから言うと、短編に優れて面白いものが多いのではないだろうか。ひとつひとつの作品に出来不出来の差こそあれ、どれもサスペンスの巨匠の巧みな技を感じさせてくれて素晴らしい。
ところで、アイリッシュの作品の雰囲気、味わいに非常に通じる絵を描いた画家がいる。20世紀のアメリカを代表する画家で、エドワード・ホッパー。夜の都会の光と影、そこに生活する人間の孤独感を見つめ、絵に表現した。「ナイトホークス」という絵が特に有名だが、それ以外にも、モノクロのデッサン画などを見ると、アイリッシュ作品の雰囲気ととても近しいものを感じる。タッシェンジャパンという出版社から、『エドワード・ホッパー』という画集が出ている。アイリッシュ作品のファンには、一度ぜひ見てもらえたら、と思う。
昨日から、クレイグ・ライスの『もうひとりのぼくの殺人』を読み始めた。冒頭の場面を読みながら、アイリッシュのサスペンス作品の雰囲気を思い浮かべずにはいられなかった。そして、大好きなアイリッシュの、なかでも気に入っている短編について何か書いてみたくなった次第。
創元推理文庫から出ている6冊の『アイリッシュ短編集』。サスペンス作品がお好きな方なら、どこから読んでもきっと楽しんでいただけるはず。なんせ面白くて、スリリングな作品がごろごろしている、そんな宝の山のような作品集だから。
投稿元:
レビューを見る
短篇集。ジャンルで言えばミステリだと思うけど、謎解きよりドラマをメインに据えてて物語色が強い。余韻の残る作風、なんとなくO・ヘンリを連想した。
投稿元:
レビューを見る
「死ぬには惜しい日」(Too Nice a Day to Die)Bizarre 1966.1
これが一番よかった。ニューヨーク、故郷の母は死に、父とは疎遠、弟や妹もそれぞれの人生、恋人も無く、自殺しようと部屋のガス栓をひねった女性。そこに「デリカテッセンの店ですか?」とまちがい電話が。それで自殺する気が失せ、街に出ると、ハンドバッグをすられるが若い男がとりかえしてくれる。・・そこから 数時間のうちに気持ちが通じ合った二人。夕食を店でということになったが、女は「死ぬには惜しい日」になったそのデリカテッセンの店にこだわる・・
ああ、これは幸せにしてほしかったなあ・・
文中で女の姉は結婚して日本にいる、また自分のような孤独な女は、ロンドンにもパリにもきっと東京にもいる、などと出てくる。テレビも、21インチの四角の中で・・ など、発表年をみると1966年1月だった。
修飾文は健在だ。発表時62才なのだ。晩年は筆が衰えた、などと言われているが、これを読むと、瑞瑞しい空気に満ちている。
女は自殺を思いとどまり外へ行くが、
「映画演劇とは過去の評価、ドラマ化された他人の過去の評価である」
男と歩き始めると男は、
「女は、自分が行けないいろんなところへ、男なら行けると思うらしい。たしかに男は行ける。・・君は知っているだろうか、だれか耳元でわいわい騒ぐところでも、人は孤独になれるってことを」
だんだん二人が親密になると、
「空には、はや一番星が出ていた。それは若いふたりのダイヤのエンゲージ・リングを思わせた」
・・「きょうはすばらしい日だった。死ぬにはすばらしすぎる日だった」・・
「リンゴひとつ」(An Apple a Day) 短編集"After Dinner Story"のための書き下ろし 1944
宝石店に客として入り、すきを見てリンゴの中にダイヤを1つかくして、窓下で待っている相棒にリンゴを投げた泥棒。しかしリンゴは通りかかった母親の押す乳母車の中に入り・・ 次は・・次は・・ となかなか宝石泥棒の手に落ちない。コメディにしたらおもしろいかも。
「コカイン」(C-Jag 改題:Cocaine;Drem of Death;Just Enough to Cover a Thumbnail)ブラックブック・ディテクティブ1940.10
失業中の若い男トミー。おもしろい所がある、とほんの顔見知りの男に誘われるままついて行った。部屋に通され親指に粉をふりかけられ・・ 家に戻り目ざめると、シャツに血が・・ ベッドの下からはナイフが・・ 昨夜のことは意識もおぼろだ。同居させてもらっている姉の夫は刑事だった。義弟の話を聞き、一肌脱ぐ。刑事はすごく優秀だ。・・ってうまく推理できすぎ。
「葬式」(Your Own Funeral 改題;Funeral;That's Your Own Funeral)アーゴシイ1937.6
知り合ってすぐ結婚した二人。実は男は指名手配犯だった。逃げたつもりだがFBIに包囲され、男が隠れた場所は・・
ウールリッチのには、知り合って相手のこともよく分からずに、しかし惹かれて、すぐ結婚する、というパターンがけっこうあると思う。1930年代40年代はけっこうそういう結婚があったのか。
また女が買い物をして、紙袋を持ち、しかし張り込みに気づき、袋をほうりなげ、アパートに戻る、といったところの文体が場面が浮かぶように生き生き。
「日暮れに処刑の太鼓が鳴る」(Senor Flatfoot 改題;One Night in Zacamoras)アーゴシイ1940.2
南米のサカモラス国にチフスで入院中の指名手配の男を引き取りにきたオルーク刑事。着く間もなく反乱が起き、ホテルの部屋の隣が革命政府軍の本部になってしまった。そこに囚われた市長の兄妹が時間差でやってきて、市長を逃す。が、反乱軍将校の1人が殺され、兄妹は犯人されてしまう。そこでオルークが一肌脱ぐ。1
南米を遅れた国、として描いている。ちょっと進展がまどろっこしい。
他に、
「高架殺人」(Death in the Air)(コーネル・ウールリッチ短編集1所収)ディテクティヴ・フィクション・ウィークリイ1936.10
「わたしが死んだ夜」(The Night I Died)(コーネル・ウールリッチ短編集 別巻)ディテクティヴ・フィクション・ウィークリイ1936.8
「夜があばく」(The Night Reveals)(コーネル・ウールリッチ短編集1)ストーリイ19.6.4
「妻が消える日」(You'll Never See Me Again)(コーネル・ウールリッチ短編集2)ディテクティヴ・ストーリイ1939.11
1975.1.24初版 図書館
投稿元:
レビューを見る
今回収められた9編を読むとアイリッシュの作風は単なるサスペンス・スリラー作家という安直なフレーズでは収まらずに、サスペンス・スリラーの手法を用いた都会小説という思いを強くした。
まず最初の「高架殺人」は高層ビルひしめく都市の間を縫うように走る高架列車で起きた殺人であり、これは都会でなければ起き得ない事件。
「わたしが死んだ夜」は都会にしか存在しない浮浪者が殺人に関与しているし、「リンゴひとつ」は1つのリンゴが人から人へ渡る物語。その人たちは都会で生きていくのに明日の食事さえも摂れるかわからない人たちが大勢出る。1つのリンゴは隣り合う人々の手に渡るが彼らには全く関係性がないのも都会の人の繋がりの希薄さを示して非常に印象的。
「コカイン」も都会の膿が生んだ麻薬が引き起こす事件。
「葬式」は冒頭の買い物から逃亡劇へと移るシーンで路地裏の複雑さを描いているし、「妻が消えた日」もひょんなことで怒った妻の行方が判らなくなる物語で、妻がいなくなることはその夫のみの事件であり、周辺に住んでいる人物は誰も事件には関わっていない。正に群衆の中の孤独である。
9編中、最も良かったのは「リンゴひとつ」と「日暮れに処刑の太鼓が鳴る」の2編。
「リンゴひとつ」は以前『晩餐後の物語』に収録されていた「金髪ごろし」という作品があったが手法的にはあれと似ている。
「金髪ごろし」は金髪美女が殺されるという見出しのついた新聞を買う人々それぞれのドラマを描いた物語で、新聞売り場一点を定点観測していたが、今回は対象をリンゴに移して、その1つのリンゴが渡る様々な人々の物語を描いた作品。そのリンゴというのが宝石泥棒が宝石を盗むのに細工をしたリンゴで薄皮一枚の中に5万ドル相当の宝石が眠っている。これが盗みの手違いで傲慢な夫人や会社の金を横領し、その埋め合わせが出来なくて苦悶している夫婦、浮浪者などに渡っていく。
こういった作品の場合、アイリッシュは貧しき者に救済の手を差し伸べるのがパターンなのだが、今回はそうではなく、あくまで洒落た結末に着地している(この結末がいいかは別の話)。正直3番目にリンゴを手にする夫婦が宝石に気付くものだと思っていたが、さにあらず、絶望した夫は列車へ飛び込み、自殺する。この作品でアイリッシュは「貧しい者たちにもチャンスは平等に訪れてはいる。ただそれに気付くのが難しい」と云うメッセージをこめているように思った。
「日暮れに処刑の太鼓が鳴る」は非常に贅沢な一品。中南米を思わせるサカモラスという架空の国を舞台に物語は語られる。その国ではたった今政権交代が起き、新しい政府の頭には双子のエスコバル兄弟が鎮座する事となる。元市長を人質に大金をせしめようとするが、元市長の娘と息子がその将軍の下へ訪れた翌日、双子の片割れがナイフで刺されて死んでいるのが発見される。そのナイフは元市長の娘がかどわかされようとして抵抗した際に将軍に取られたナイフだった。激情したもう1人のエスコバルはその兄妹を処刑しようとするが、その場に居合わせたアメリカの刑事が犯行時間にずれがあることを示し、真犯人を捕らえようと乗り出す。
これは『暁の死線』や『幻の女』を思わせるデッドリミットサスペンスの手法を取っているが、それだけではなく、わずか60ページ足らずの中にクーデター物、ウェスタン小説、そして最後のアメリカから来ている刑事が容疑者の有罪を証明するための捜査行も洞窟を舞台にして、宝探しのテイストを持ち込んでおり、冒険小説の要素も入っている。
しかし、それら以上に興味深かったのが、アイリッシュが想定した架空の国サカモラスである。この警察とか裁判とかいうものがない国での殺人事件の捜査という趣向が非常に面白かった。サカモラスでは将軍が疑う者が犯人だと決まる。つまり「疑わしき者を罰する」という考え方。そこに居合わせたアメリカから来た刑事オルークは当然、容疑者は証拠を出して有罪を証明しなければならないという刑事捜査の原理に基づいて行動する。この概念自体から彼らに教えなければならないというのが非常に面白く、野蛮な国に近代の考えを持ち込むミスマッチの妙を半ばコミカルに描いている。アイリッシュでは異色の部類に入る作品だ。
また今回も前回の『シルエット』で感心した、物語を途中から始める手法は健在で、特に今回は極力情報を排して物語のスピードに留意した作品があった。
それは「葬式」と「死ぬには惜しい日」の2編。他の作品が50~60ページであるのにこの2編はそれぞれ30ページ、20ページと非常に少ない。しかしそれがゆえに物語のスピード・テンポは非常に特徴的だった。
「葬式」はチャンピオン・レインという全米指名手配犯のFBIからの逃走を描いた短編でいきなりチャンプの妻が買い物の最中にFBIに勘付かれた事に気付き、逃げ出すシーンから始まる。
最初の2ページではハメットを思わせる状況のみを語った三人称で街角によく見られる買い物風景を描写しているが、女性が周囲の男性の正体に気付くや否やスピード感溢れる逃亡劇に変わり、物語が一気にアップテンポへシフトチェンジする。そこから怒涛の銃撃戦と息つく暇もないほどだ。この辺の手際が見事。
そしてこの物語ではチャンプが何を犯したのか、そういった説明を一切省いている。そういう意味では大きな物語の起承転結の「起」「承」自体が省かれていると云える。
そして「死ぬには惜しい日」。こっちは自殺を決意した女性ローレルが主人公。ローレルが自殺を決意したその日、いざ実行しようとすると間違い電話が掛かってきたので気が散ってしまい、気分転換に外を散歩する事にした。公園のベンチで休んでいるとカバンを置き引きに取られてしまったが若い男性が捕まえてくれた。ドウェインというその男と何となく話すようになり、道々話しているとお互い気が合うのが解った。恋めいた感情が生まれ、やがて家の前に着いた時、ローレルは死ぬのを辞めようと決意するのだが。
最初の自殺を行おうとするローレルの自殺を行う事自体億劫な感じを与える倦怠さから気晴らしに散歩に出て男性を知り合い、部屋の前で交わす会話までの物語は非常のスロー・テンポだが、最後1ページで突きつけられる皮肉な結末はそれまでのスロー・テンポを完膚なきまでに破壊するほどの衝撃。長い「静」のシーンからいきなり落雷の如く訪れる激しい「動」のシーン。読者は無情なまでに物語の只中に置き去りにされるような感じがした。
この作品ではローレルの自殺を決意した直接の原因は語られない。そういう意味では「葬式」同様、大きな物語の「起」、「承」の部分を排除している。
同じ構成を用いて、2種類の物語のテンポチェンジを見せる、アイリッシュの手腕に感心する。
その他については簡単に寸評を。
「高架殺人」はスリムな体型でニックネームが「はずむ足どり(ステップ・ライヴリー)」なのに動きは鈍重、階段の上り下りさえも嫌うというライヴリーはユニークな設定なのだが、ちょっとした面白みがあるだけでストーリーに寄与していないのが勿体無い。
「わたしが死んだ夜」、「コカイン」、「夜があばく」と「妻が消えた日」は正にアイリッシュサスペンスならではといった作品。妻との保険金詐欺を働いた男に訪れる皮肉な結末、コカインを吸った記憶が曖昧な男が犯した殺人事件が本当にあったのかを捜査する話、夜中にいなくなる妻が放火魔なのかどうかと疑惑が募る話、実家に帰った妻が行方不明になる話とバリエーションは豊かだ。どれもこれも内容は濃い。
ただこの辺はアイリッシュ作品を読みなれているがゆえに新鮮さを感じなかった。こういう贅沢な感想が云えるのもアイリッシュのレベルが高い故なのだが・・・。