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小川洋子のファンは多い。きっと女性に。
というのも、その語り口によるものだろう。
この『妊娠カレンダー』にも小川洋子らしい語り口は健在。 静かで、流れるような文体。
『ブラフマンの埋葬』にしても、『博士の愛した数式』にしても、その静かで、やさしい雰囲気が漂っていた。
そしてこれは、静かで、冷ややかな空気が漂っている。
ひんやりとした、冷たい、空気、よりも重量のある水?が、流れているような、その流れに流されるように読まされる。そんな作品だった。
妊娠カレンダーはいまいちしっくりこなかったけど、ドミトリィや、給食室の話は、だいぶそのひんやりとした雰囲気に慣れてきたのでうまく流れることができた。
ひんやりとしたその空気に、女特有の冷たさというか、冷酷な部分を好む女の性?を感じられた気がする。
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小川洋子さんの短編集。ただ芥川賞受賞作の「妊娠カレンダ−」の方は、まあ、ふつう。すごいのは同時収録の「ドミトリイ」。お話はこんな感じ。「東京の古い学生寮を、主人公は数十年ぶりに訪れる。そこには相変わらず、手足のない老管理人が住んでいた。ただしその学生寮に、学生はもう誰一人住んでいない…。」この手足のない老管理人が水を飲む場面の描写なんかぞわぞわしてくる。で、物語自体に含まれた謎も気になる。物語のうねり、そしてカラダがむずむずするような描写が合わさって、傑作短編ができあがった。(けー)
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レビューはブログにて。http://tempo.seesaa.net/article/4248721.html
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妊娠も出産も祝福に満ちあふれている。多分経験のないひとならそう思うかもしれない。経験のあるひともそう思うかもしれない。
でも必ずしもそうではなく、たくさんの黒い部分を持っている。
恐怖、不安、体調不良。
妊婦に読ませたくないというレビューもちらほらみかけたけれど不安に思っている妊婦にはぜひ読んでほしい。自分だけではない事を知ることができるのだから。
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女性向け。妊娠のエッセイだと思ってたら全然違った。女性が主人公の短編3つで、それぞれが本当は孤独じゃないはずなのに孤独な人たちが淡々とでも非日常な風景と出会う。現実味と非現実のバランスが良い。
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表題他全3編まったりとした雰囲気で独特の表現が面白い。のんびり読みたい午後のひと時の1冊。05.11読所要日数4日
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一番初めに読んだ小川洋子はこれだった。妊娠カレンダーの淡々した私にとても共感してしまって、破壊された赤ん坊を見たい、と思った。
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芥川受賞作と言うことで手にとりました。さすが芥川賞、むずかしい・・・なぜ芥川賞って難しいんでしょう?当の芥川氏の著書は近代文学の中では読みやすいエンターテーメントな作品が多いのに・・・不思議です。
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あれ、誰だったっけ? ほら、狭い空が広がったところを抜けたところに昔チョコレートを作っていた機械が置いてあって、今でも錆びた匂いに混じって微かにチョコレートの匂いがするって言ってた人! って思わず友人に尋ねてしまいそうになります。それくらい印象的な作品。(『夕暮れの給食室と雨のプール』より)
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とても大好きな作家さんです。この人の作り出す世界感がわたしの身体を透き通るように消し去ってくれるんです。
読みながらいつもそう思います。好き。
個人的には母が亡くなる直前に読み終わった最後の本でした。
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恐らく妹のつけている日記なのだろう。出産を控えた姉とその妹、姉の夫による、出産までの記録である。
姉は元々神経質で、約十年間に渡って精神科医の所に通っているが、妊娠の為にそれがよりいっそう激しくなっている。匂い全てに異常に敏感になり、苦しがって泣き始める。ものが一切食べられなくなる。その時期が終わると今度はひたすらに食欲が増し、「食べる」というよりも、食べ物を休み無く「補充する」というのに近い行為を繰り返す。土砂降りの夜に、急に枇杷のシャーベットが食べたいと訴えだしたりする。
妹と、姉の夫の二人はその姉の要求にただ付き合う。弱々しい印象のある夫は、雨の中シャーベットを探しに出かける。特に妹はとにかく姉の神経質さに反抗しない。泣いている姉を慰め、化粧品や石鹸等の匂いのあるものは残らず姉から遠ざける。キッチンを使う事をやめ、庭で食事をとる事にする。一転して食欲を回復させた姉の為に、空っぽ同然のキッチンストッカーから、どうにか食べられそうな物を見つけようとする。
しかし、その妹の行為から、ほっと安らぐような優しさや温かさを感じとれないのは何故だろう。そういえばこの物語自体、妊娠を通じて心に感じられる喜びや決意や責任感、困難だけれど胸を震わせるような期待感等で埋め尽くされてはいない。(そういう話だと思っていたので今まで手に取らなかったのだが)むしろそういうものは全く描かれていないに等しい。
姉を通じて妊娠の経過を知る妹も、その当事者である姉も(取り乱しはするが)どこか冷静だ。「おめでとう」の言葉に辞書をひき「それ自体には、何の意味もないのね」とつぶやき、赤ん坊を「染色体」としてしか認識できない妹や、産まれてくる子供がもしも指がくっついていたりシャム双生児だったりしたならと恐ろしい想像を、しかも普段の他愛もない話をするのと同じように、次々に口にする姉の様子を見ると、妊娠とは実態の掴めない、ぐにゃぐにゃ変形する、未知の巨大な生き物のように思えてしまう。五ヶ月目のお祝いの日にも、盛り上がっているのは夫の両親だけで、当の三人だけが実感から隔離され、周りを取り囲む人々の笑顔を、まるで硝子一枚隔てて眺めているかのような、互いの感情の呼応しなさを感じる。
子を持つ事が、即喜びばかりでない事は私にも解るが、しかしこの状況にはそれ以前のものを感じるのだ。真っ白で柔らかな産着や笑顔、新しい命というものよりは、白く冷たい病院のタイルや手術道具等の方が何だかしっくりくる。
妹は、日に日に食欲を増幅させる姉の為に、大量のアメリカ産グレープフルーツでジャムを作る。妹の頭の中では、そのグレープフルーツには防かび剤PWHが使われており、染色体をも破壊するという警告の記事と、目の前のジャムの鍋と、姉のおなかの中の子供の事とが結びつく。そうと知りながら姉にジャムを作りつづける妹の行為は、呪いをかけている姿を連想させた。しかし「呪い」などという、強烈で濃い感情を伴うものに例えるのは誤解を招く事かもしれない。そういう毒々しい感情が露わにされているわけではないからだ。姉の体内でPWHは着々と堆積していく。しかしそれはきっと目にはっきり見える変化としては現れてこない程度であるだろう。その微かな破壊を知っているのは妹だけだし、その進行状況は恐らく赤ん坊や姉よりも、妹の頭の中で明瞭な映像として膨れ上がっていくものだろう。ささやかな侵蝕は、実体は伴わないものの、むしろ妹の中で進行していくものかもしれない。
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家の中にあるものがヒントになって小説が書ける。才能だなーと思う。書ける人は何だって書けるんだと思った。
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妊娠って、実はすごいことで、でも怖いことだと思う。どんどん体が変わっていくわけだし。
この作者の淡々として、ちょっとひやりとした現実味のない文章が妙に好き。
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小川洋子の作品で
初めて読んだもの。
高校生のとき。
最初はなんともいえない
たゆたう表現にとまどった。
それから四年後
妊娠カレンダーの著者とは
知らずにのめりこんだ。
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情景描写がリアルすぎるかな。どんな場面か想像することなく、ダイレクトに見えてしまう。しかし、シチュエーションを想像しなくてすむ代わりに、人間の持つ本能を考えさせられる。これは狙いなのか?普通の日常を描いているのに、怖いのよ・・なぜか(^-^;