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日本に民主主義はなかった。「知らしむべからず、依らしむべし」とは過去の政治手法ではなかった。これまでに全く無かった視点から、見えにくかった日本の姿が浮き彫りにされた。
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前作に引き続く下巻であるが、そのページや情報量に飽きることなく、読破できた。内容としては、歴史的背景や政治家のやりとりなどといった既視感が多いものとなったが、後半部より書かれた日本社会の展望は読むに値する。この権力システムを覆すためには革命を期待する他なく、その一歩としてはこの権力システムを正しく理解することである。そのことを改めて認識させてくれた点で、有難い。外国人が多く述べるように、著者も日本人は自らの身を犠牲とすることを美徳とするキライがあると否定的に述べている。ただ思うに、自分を含めた日本人もこの価値観に隠された権力関係には明確に、あるいは薄々気づいており、その上でその価値観にコミットしているようにみえる。まだ一考の余地はある。
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この記述は当てはまる、理解できる。あるいはこの記述は当てはまらない、筆者の思い違いだというような基準を自分で持ちつつ、読むといいだろう。私は責任の所在が不明確な〈システム〉になっているという意味のところには強い共感を持てた。その解決策の提示はお粗末だなと思ったが、紙幅を考えると仕方ないし、それを考えるのは読者にゆだねられているのだろう。
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◆上下巻にわたり精緻に分析した日本の政治・官僚システム。その帰属者や寄生者へ「王様は裸だ」と批判的直言をする一方、翻って国民には、仕方がないと済ませるな、問題を議論せよ、政権担当者に問え、と熱い叱咤を開陳◆
1994年(底本1990年、原本1989年)刊。
著者は蘭ハンデルスブラッド紙極東特派員。
日本の戦後(似非)民主主義と経済至上主義、それらを体現した権力行使の内実を圧倒的な質量の事実の重みをもって解読しようする書。下巻。
本書刊行時、(恐らく政官財にて)非難や偏見とも取れる反感に溢れたという。それは当然であろう。裸の王様に向かい、お前は裸だと。善人面をしていた悪人に対しお前は悪人だと、圧倒的な事実に依拠して指摘したからだ。
勿論、アメリカや著者の勤務社の母国オランダでも、権力者の問題や不正はあるだろう。
しかし、それは日本の権力構造(「システム」=政官財トライアングル)とその構成員(「管理者/アドミンストレイター」)に悪徳がないことを意味しない。それがたとえ、管理者個々の善意に支えられていたとしてもだ。
実際、本書に書かれている内容につき、個人的には社会人になり直接・間接に見聞きし、経験してきたことからして、納得を覚えることが多い。
その上で心に刺さるのは、日本の市民(=「管理者」の非構成員)への著者の直言・忠言の数々である。
著者は言う。
「誰にも責任を負わない管理者の手に権力を集中することは日本のためにならない」と。
「そうなれば従順な日本の市民たちは、情け容赦なく酷使する生産機構にいつまでも隷属させられ続けるだろう。」
「考えることの強さを知る市民こそが市民社会を強化し、市民社会を政治的に意義あるものにさせるのだ。」
「市民であることを自覚している日本人、つまり政治的権利と共に義務をも有する政治的勢力の一単位たる市民層が、関わりのある問題について敏感になり議論し続けるだけで、…想像しているよりはるかに多くを成し遂げることができる…。」
「『仕方がない』で済ませてしまう態度こそが、つまるところ日本の政治にとって最大の問題…」
「第一歩は…権力者への問いかけである。」
「管理者=政官財トライアングル構成員に対して、彼らが今何をしているのか、彼らが考える日本の向かう先、そしてその根拠を問いただすのだ。国民は政治家を通して権力を行使する意思のあることを『強く』主張しなければならない。」
と。
全く至言という以外に言葉が見つからない指摘と説得なのである。
そして、今でも、いや今こそ、これらの問いかけと忠言をどのように受け止め、行動するのかが問われている気がしてならない。