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1994年刊。著者は朝日新聞記者。
アジア太平洋戦争の末期の1945年4月1日、沖縄戦がまさに始まろうとする台湾海峡を航行していた、日本陸軍指揮下にある輸送船阿波丸が米国潜水艦の魚雷攻撃で轟沈した。この阿波丸の航海は、日米ソの戦時下の協定で安全航行を保障された船舶であった。
本書は、戦争末期の逼迫する物資輸送の状況下、阿波丸が仕立てられた経緯とその航海の模様に加え、戦後、日本において、対米国に有していた賠償請求権が個人の分も含め失われていく外交過程を具に検討していくものである。
そもそも、日本軍の物資輸送が逼迫していた状況は既知である。
が、
① そもそも阿波丸が安全航行を保障されていたのは、東南アジア在の米人捕虜への支援物資の輸送目的であった点。
② ①は厭戦気分を払拭するという米国国内世論対策であった点。
③ 阿波丸の航行は無線傍受と暗号解読で相当の部分が丸裸であった点。
④ ここで積み込まれていた物資は軍事物資も含まれていた点。
⑤ ④は協定で米国了解の下であった点。
⑥ 限りなく低い誤射の可能性。
⑦ 外交文書で、個人の賠償請求権の放棄まで明確にしてしまった問題点。
⑧ 国による代替補償はわずか7万円(消費者物価指数比較をすると刊行当時で53万円相当)。
なお、相手方全面的過失による交通事故死亡事案の賠償額ですら数千万円に比すると、少なくとも桁が2つは違う。
⑨ 海軍は、目的・運用を含め、この阿波丸関連情報を与えられていなかった。
などが気にすべき事情か。
そもそも一般に知られていない阿波丸沈没事件、また3000名弱の乗員に対して生存者が僅か1名だけ(ただし、安全を前提とした航海だったので陸軍が本土決戦に必要な人材を優先的に乗船させ、被害者は民間人や輸送従事の船舶従業員だけではない)の事案でもあり、また、個人の対米請求権の放棄を明記した意味(法的側面込み)など、戦前日本軍の在りようから、戦後日本の外交、そして、国策の名の下に、国民に対してどのような扱いをしてきたのかについて、思いを巡らせ得る書である。