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詩集。あ〜わかるなぁ! という無意識の世界を、素直に言い表してくれる爽快さの数々。「自分の感受性くらい」は、私の永遠のバイブル。
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茨城のり子さんの感受性の鋭さには驚かされる。どんな実用書にも載っていない生きるうえで大切な言葉がちりばめられている。
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小学校で「わたしがいちばんきれいだったとき」を勉強いて幼心に衝撃を受けた
忘れかけていたこと自分ではなかなか気づかないことに気がついてドキッとした
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バイブル。呪文のように唱えている。特にいいのは、「落ちこぼれ」「汲む」「みずうみ」ともちろん「自分の感受性くらい」
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茨木のり子は強いと思う。やさしい言葉とくりかえし表現で、女の力強さを歌い上げている。ウーマンリブに燃えたフェミニスト闘志でなく、生命に対する優しい視線は紛れもなく女性のもの、デリケートな感じやすさも女性のもの。なのに、語る内容は力強く、こころにじぃんと染みわたる。女は強い、と思わせる。太平洋戦争を生きた人間だからこそ生まれる強さなのか、それとも生まれ持った強さなのか。元気がなくなったとき、励ましてくれる友人のような一冊。
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今年2月に亡くなった詩人、茨木のり子さんの珠玉の作品をセレクトした詩華集。ハードカバーのポケット版で携帯しやすく、出先でふと開いて読みたくなる。
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大学1年の頃に恩師に貰った。
凹んだときはいつも読み、励みにしてきた。こんなに直球で強いことばを残してくれて、本当にありがとう。追悼…
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茨木のり子の詩は、ぴんと背筋が張り、真っ直ぐ前を見つめている。こんなに清々しく凛とした詩は他に類をみないだろう。
初めて彼女の詩である、「自分の感受性くらい」に出逢ったときの衝撃は今でも忘れられない。
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すごーく女の人として憧れる先生が、入院する時にかしてくれた。はっとする言葉がいっぱい。背筋が伸びます!
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ひょんなことから就職先の上司(?)の方に頂いた本。詩を読むことが滅多に無いので、いい機会になった。『自分の感受性くらい』という詩がスキです。常に自分に責任を持って生きたいものです。
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まず、装丁が美しいです。それに中身も素敵。紙の色合いが絶妙だし、挿絵もいい。そして、主眼である詩。これも素晴らしいものばかり。
すっかり茨木さんのファンになってしまいました♪
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翻弄されて、わけが分からなくなったときに読む詩集。何が本当だったか思い出させてくれる。
でも収録されている作品に好いなと思うのは、残念ながらわずかでした。好きな作品は、ほんとうに励ましてくれたけれど、可愛らしい素敵な装丁だけれど、これは出版社の金儲け主義が色濃く出ている残念な出来映えという感触を拭いきれません。
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高校の国語の教科書に出てきた
「わたしが一番きれいだったとき」
この詩を思い出して選んだ一冊。
「自分の感受性くらい」
これは最後の一節がガツンと効いた。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
あぁ〜ヒトのせいにしちゃいけない。
人生の選択にしても同じだし、
自己責任ってことを改めて考えた。
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茨木 のり子のアンソロジー。
中でも
「自分の感受性くらい」
「私が一番きれいだったとき」
「私のカメラ」
らへんが好きだった。
「私が一番きれいだったとき」
二十歳前後の一番綺麗であった時、周りでは戦争が起きていた。女性らしくお洒落をしたり、恋をしたりという事を一番したい時期。でも、出兵で周りの若い男はいなくなり、着るものも不自由。私が一番きれいだったときが、不幸せなときだった。
よく授業とかでは戦争の悲惨さとかを伝えるのに、人が大量に死んでいたり、原爆被害者、焼け野原の映像や写真を使ってその苦しみや辛さを伝えようとする。それらを見聞きするのは当然大切な事。
この「私が一番きれいだったとき」はそれらと違った、悲しみや辛さが伝わる。世代を超えて戦争を知らない人々の心情にダイレクトに伝わってくる。
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「自分の感受性くら自分でまもればかものよ」
どきんとする言葉。
まだ自分というものが発展途上だった時に会いたかった詩だ。
茨木さんの言葉は強い。強いからこそ自分にといかけたくなる。
自分の子供に読み聞かせたい一冊。