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紙の本
小沢幹事長の憲法解釈論の誤り
2009/12/15 18:39
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CAM - この投稿者のレビュー一覧を見る
民主党・小沢幹事長は、天皇の外国元首等との会見に関するいわゆる「30日ルール」について、読売新聞(2009年12月14日 WEB)によると、下記のように語っている。
【小沢氏】法律で決まっているわけでもなんでもないでしょ、そんなもの。それはそれとして、君は日本国憲法を読んでいるか。天皇の行為は何て書いてある。それはどういう風に書いてある、憲法に。国事行為は、内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ。だから、何とかという宮内庁の役人がどうだこうだ言ったそうだけれども、全く日本国憲法、民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。ちょっと私には信じられない。しかも内閣の一部局じゃないですか、政府の。一部局の一役人が内閣の方針、内閣の決定したことについて会見して、方針をどうだこうだと言うのは、日本国憲法の精神、理念を理解していない。
この意見については、天皇の外国元首等との会見については、究極的には内閣が行政責任を負うべきであるという意味においては結論的には誤ってはいないが、これを「天皇の国事行為」とするという明らかな誤りが見られる。
まず、天皇の外国元首等との会見が憲法第7条に規定された「天皇の国事行為」にあたらないことは明らかである。本書(評者が所有するのは本書第3版)では「天皇の公的行為」についてはあまり具体的に触れられていないが、「内閣の責任と天皇の無答責」として、次のように「公人としての社交的・儀礼的行為」にふれている(p.252)。
>天皇の国事に関する行為はすべて内閣の意思に従って行われるものであるから、その行為の結果については、憲法三条の明記するように、内閣が責任を負うべきものであり、その限りにおいて天皇の無答責が帰結され
る。・・・・・・
なお、公人としての社交的・儀礼的行為は、国事行為ではないので憲法三条とは無関係ということになるが、純粋に私的な行為とはいえず、公的性格をもっており(その費用は私費たる内廷費ではなく、公金たる宮廷費をもって支弁される)、その意味でかかる行為については宮内庁法一条にいう「皇室関係の国家事務」として宮内庁が責任を負い、究極的には内閣の行政責任に属すべきものと解される。
この「公人としての社交的・儀礼的行為」については、芦部信喜『憲法』(岩波書店)(評者が所有するのは第3版)では、次のように、より具体的に述べられている(p.51)。
>天皇は、国家機関として国事行為を行うが、その他に、当然のことながら“私人として”私的行為(たとえば生物学の研究)を行うことができる。ところが、さらに、天皇は、国会開会式に参列し「おことば」を朗読され、国内を巡幸し、外国元首を接受ないし接待し、親書・親電を交換する等の行為も行っている。これらの行為は、憲法六条・七条の国事行為に含まれず、また、純然たる私的行為とみなすことにも問題がある。そこでこれらを“象徴としての地位に基く”公的行為として認め、国事行為に準じて内閣のコントロールが必要だと解されている。
芦部教授は、こうした「象徴としての地位に基く公的行為」を積極的に認めてはいないようであり、明確な結論を述べてはいないが、「外国元首の社交的接受」を、国事行為としての「外国大公使の接受」に準ずる行為(準国事行為)だとすることは可能であろう。
しかし、それにしても今回の中国・習近平国家副主席は国家元首でもない。小沢幹事長の憲法解釈には相当の問題がある。
小沢幹事長の発言は、政府幹部としてのものではなく与党幹部としてのものであるが、どうも民主党政権については、安全保障問題をはじめとして、「国家」の根幹に関する問題についての政策に危うさを感じざるを得ない。
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