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ちょっと難しいところもあるが、日本には西洋と同じような「社会」は成立していないことを明らかにして、日本独特の「世間」というものを歴史的に考察している。
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世間という概念は非常に身近に感じる。
それが少しずつ変化してきてるのも感じる。
現代日本社会は個人主義と世間の狭間で混してる、と思う。
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人は「世間に顔向けができない」というけれど、「世間」とは実はごく狭い範囲のことです。そう思うと、気が楽になるのでは?
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無常変易の境、ありと見るものも存せず。
しかし世の中の事物が常住でないことは極めて自然のことであって、
それをわざわざ「無常を観じ」という形で言葉にするのは、
その背後にある種の感情があるからであろう。
それは、変化を求めない感情であって、
現在の事態がいつまでも続くことを望んでいる。
これらの感慨は受け身のものである。
日本人は一般的にいって、個人として自己の中に自分の行動について
絶対的な基準や尺度をもっているわけではなく、
他の人間との関係の中に基準をおいている。
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著者は万葉集、徒然草、仏教書物、明治期の小説などから「世間」というものが
どう描かれているのかということを語っていきます。
「個人」に対する「社会」というものとは異なる「世間」についての考察です。
読み物としては楽しめると思います。先に著者が本のなかで触れている
書物について知っておくとより読みやすいでしょう。
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高校の教科書などにも載っている有名な本。
大学の3年ゼミの最初のテーマ本です。
高校の頃はまったく読み飛ばしていましたが、改めて読み直すといろいろと考えるところの多い良い新書です。
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世間という言葉が一番多く出てくるのは、島崎藤村の破戒。
世間様って、なんで世間に様をつけるのか、いまだに謎。
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日本社会を特徴づける「世間」を古代にまで遡って歴史的に意味づけた労作。(石原千秋氏推薦『教養としての大学受験国語』267頁)
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世間というのは「社会」とは違う。
世間は日本独自のコミュニティだ。
という見解を解説している本。
世間の目なんてどうでもよくなれますよ。
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古典からみる「世間」とは何か。万葉集や「徒然草」などからの引用が多く、その方面の知識がないといまいちすんなりと入ってこない。
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歴史的に、個人として生きようとしてきた人たちは皆隠者である、というのが、日本における「社会」のありようを象徴しているのではないか。西洋におけるsocietyとは違って。そして、どんなに隠者として生きようとしても、他者と関わる(子供ができるとか)ととたんに隠者としては生活できなくなる、という。。確かに。。
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「世間」に関して分析的に考えるというよりも、世間に囲まれて生きている中でなんとか世間を対象化しようと試みた人たちの文学作品を通して、世間を捉えてみようという試み。
なので、最初に出てくる世間の定義(個人個人の関係の環)や世間の掟(長幼の序と贈与/互酬の原理)がその作品の分析から引き出されてくる訳ではない。
作品の解説は、万葉集から始まり、徒然草、親鸞の思想、西鶴の諸作品、夏目漱石、永井荷風、金子光晴に至る。
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<本の紹介>
古来から、日本人の生き方を支配してきた「世間」という枠組。兼好、西鶴、漱石らが描こうとしたその本質とは。西洋の「社会」と「個人」を追究してきた歴史家の視点から問い直す。
「世間」とか「社会」とかって言葉の違いをあんまり意識したことはなかった。
でも、話し言葉では「渡る世間に」とか「世間は狭いね」とか、「世間」を使うことが多いように感じる。
逆に、「社会」って言葉は文字として見ることが多い気が。教科書とか、新聞とか。
おもしろいなーと思いました。
自分を日本人の代表だとは思わないけど、日本に生まれてずっと日本に住んできて、やっぱ見える範囲は大きい社会じゃない。もっと狭い、自分と関わりのある人たちの範囲を自分の社会として見てるんだろうなって思いました。
多分、それぞれの人たちのその範囲を「世間」って言って大きくずれてないと思うし、自分が今までに大事にしてきた人たちも、これから大事にしていきたい人たちも、この「世間」の中に入る人たちだったりする。
本の中では、同じ電車に乗ってる人でも自分と関わりのない人に迷惑がかかってもそこまで気が回らない人も、自分と一緒に乗ってる人に同じことされると気分を害したりして、そこに境界線があるんじゃないかって書き方をしてて、「たしかに」とか思っちゃいました。
その「自分の世間」の範囲を広げていければって思ってもいるし、年々広がっていってるような気もするけど、だからと言って世界中の人たちとつながろうとまでは思ってない。そこまで大きな社会で生きているわけじゃない。
ただ、世界の人たちは「6次の隔たり」でつながっているわけだから、自分が自分の周りにいる人たちと楽しく笑って過ごしていくことを続けていければ、それを受け取った誰かがまた他の誰かにつなげていければ、いつか世界の裏側の人にも届くんだ。だから、自分の世間を大事にしていこう、と改めて思いました。
あと、日本特有の文化として、こんなこともあるんだそうです。
・世間を騒がせたことをお詫びしたい、という言葉は
英語やドイツ語に翻訳することができない。
・宝くじにあたると日本では世間をはばかって隠したりするが、
アメリカでは新聞に堂々と顔写真がでる。
個人的には、そんな日本の文化の方が好きです。
周りにいる人たちのおかげで、自分も活きる。
自分がいることで、周りにいる人たちが活きていく。
自分が今いるのは、両親はもちろんたくさんの人たちのお世話になってきたからだ。
だから、その人たちに自分にできるだけのことを返せる人になりたいです。
そして、もらった分は自分たちだけのものにせず、自分の同世代や後輩たちに確かにつないでいけるといいなと思います。
この本が明らかにしたかったことは全然違うのかもしれないけど、周りの人たちの存在とか、その人たちとの付き合い方について考えるいいきっかけになった本でした。
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日本の歴史から、「世間」の存在を見出していく本。
・日本人は長い間、世間を基準としていた。
・日本人は他の人間との関係に基準を置いている。
・自分の意見を述べるために「世の人」を引き出す。
・吉田兼好について知りたくなった。
・漱石は、日本人が個性を大切にせず、常に集団の中で行動している点を不満に思っていたと考えられるが、だからと言って欧米の賛美者になっていたわけではない。
・世間や世の中のさまざまな掟に縛られている個々の人間としては、自分なりの生き方をしたいと思っても容易にできない。
・よき人
深く立ち入らないさまをしている人
知っていることでも物知り顔に語らない人
よく知っていることでも口重く、聞かれない限り話さない人
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「世間」を学術的な検討の俎上に挙げたという意味で名著。まえがきは読み応えがあるが、本論はやや羅列的で退屈ではある。