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紙の本
河内のおっさんとおばはんの唄
2021/09/07 10:05
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投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
川端康成らとともに新感覚派の作家としてデビューした今東光が、出家して各地の寺で暮らしていた時、河内の人々の暮らしに目を剥いて、これを書かなくては!と思ったらしい。それは川端の描いた日本の美からは遠くとも、彼に訴えかけるものがあったのだろうか。
「闘鶏」河内の人々の闘鶏にかける情熱のすごさ。よさそうな鶏を探し、丹念に育て、戦いに向かう。そこには長い歴史を経て、熟成され洗練された技巧と文化がある。河内の人々の凄みと勢いがある。近所の和尚もつい賭けてしまうほどの熱気がある。これを書かずしてなんとしようという、作者の思いが伝わってくる。周辺の村の愛好者が土っぽい土俵に群がって、罵声に中で強靭な慣習に従うセレモニーが粛々とを進められる。
「竹の子抄」琵琶湖沿いの小寺に貫主として入った僧が、謎めいた女に絡みとられていく。破戒僧とかそういう話ではない。その後、彼も任地を全国転々とし、女も生きるよりどころを様々に求めていくことになり、互いのことを思い出すこともなくなっていく。そういう生々流転が平凡な人生の中にのぞいている。
「役僧」これも大和女の深情けとやらにはまってしまうが、それも生命の奔流であり、生きていくための営みとして捉えられている。
「人の果て」河内の近隣の村々のための焼き場を営む男。元からの仕事ではないが、食い詰めて流れ着いてきて、亭主面で居着いたのだ。暮らしはかつかつで先の希望もないが、どうも落ち着いてしまった感。
「ド根性」農業組合の面々が、年に一度の温泉旅行に繰り出すというのだが、一同羽目を外しちゃって、喰い物の話に女の話でしっちゃかめっちゃか。こういう時に案外と本性が出るものかもしれない。
「夜の客」河内縞と呼ばれた木綿の機織りの家を女系三代が守って伝えている。男はみんな薄情でちゃらんぽらんで頼りにならない。輸入品に追われて事業をきり回さなければいけない。そんな中の哀しみが、河内音頭の唄とともにすくいあげられている。
男たちはみな荒っぽくて脆く、女たちは健気ではかない。シャモのケンカに束の間うつつを抜かす姿から、暮らしの中に息づく心根の部分を発見し、そこに近現代においても普遍的な人間の本質を見出したと言えるだろう。
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