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野暮の代名詞サルトルの講演集。
私の生きる時代とはかけ離れた暑苦しさに獰猛に引き込まれてしまったのだ。
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サルトルの主張する実存主義が何か分かる本です。一言で言えばアンガジュマン。同時収録の、偉人の肖像、顔、糧。どれも面白かったけど、糧が私にはちと難しかったですね。2回読みました。
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高校生の頃、自主ゼミで「サルトルゼミ」を選びました。
本書、実存主義とは何かといくつかの文学作品は、それなりに理解できました。
また、批評ものも、勉強のきっかけにはなりました。
しかし、それ以外の専門書は歯が立ちませんでした。
そういう意味で、高校生程度が読むのによい本かもしれません。
理解が違っていたかもしれませんが、人間の學は、ヒューマニズムを超えられないというような印象を持ちました。
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ゆえあって読み直しました。とてもわかりやすいですね、今読むと。
また読み直しました。サルトルの前のめりさが良く伝わってきます。今回気がつきましたが、311以降の西條剛央さんのプロアクティブさは1945年のサルトルにつうじているような気がします。
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我々は自由な実存者であるがゆえに
「自由の刑に処せられている」
彼の言葉のひとつひとつが重い。だから旨い
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「絶望とともに、真の楽観性が始まる。何物も期待しない人間、いかなる権利も持たず、当然受け取るべき何物も持たぬことを知っている人間の、自分自身しか頼りにせず、万人の利益のためにただ一人で行動することに喜びを見出す人間の、楽観性である。」
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サルトルの意味する実存主義とは。「実存は本質に先立つ」ゆえ、予め与えられたものは一切なく、自分自身を世界の中で作り出さなければならない。その際に伴う不安は、静観哲学へとは至らない。むしろその行為を通して責任を引き受けることになるのだから、不安は責任感と不可分であり、不安は行為の条件である。
増補版には「実存主義についてー批判的に答える」というテキストが新しく加えられており、最初にこちらを読めば、サルトルの主張のポイントを理解するには十分。サルトルが影響を受けたマルクス、ハイデガーあたりとの関連性の文脈で理解するには「実存主義とはヒューマニズムである」を読む必要性がありそう。個人的にはポンジュの「人間とは人間の未来である」という言葉、新たに収録された作品「糧」「顔」が印象に残った。後者2作品には心惹かれながらも、サルトルの文学活動をアーレントが「哲学的アポリアからの逃避」と呼んだことについて考えさせられる。
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「構造」がより正確に世界を説明しえているとしても、いやむしろそうであればあるほど、その揺るぎなく恐ろしい世界は人を押し潰さずにはおかないようだ。粘性に侵食されつくした末の無力。
サルトルの自由、責任の主体論は、こういう時代にこそ必要だったのかもしれない。世界を変える前にまず自分を変える。自分を創り初めること。このプロセスが同期しない表層的で、ヒステリックなアンガージュマンがいかに蔓延していることか。
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自分や世界は結局自分の行動が創っていくもの。すなわち実存は本質に先立つ。静観主義とは楽ちんだが、世界の傍観者でしかなりえない。もちろん、自分の行動には他人や世界に対する責任が生じるが、それでも行動してきたいと思う。
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読み直したさ:★★☆
実存主義,投企,アンガジェ,選択。
二周ほど。一周目はボンヤリと,二周目は格闘しながら理解に努めた。よく分からなかったのは,超越論の部分。この点については自分の不勉強というか,蓄積が足りていないような気がする。再読するとき注意。
〈感想〉
100分de名著を機に通読。
しばらく実存主義の考えに浸って生活してみることにする。そのうち,サルトルの他の著作にもあたりたい。
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いやー面白かった。刺激的すぎる。こういう人を熱狂させる言葉を吐けるってのは特別だね。小説もこんな風に書けばいいのに、そこは書かないのね。
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"人間は自分自身の本質を自分で作り出さねばならない。世界の中に身を投じ、世界の中で苦しみ、戦いながら人間は少しずつ自分を定義するのである。そして定義は、常に開かれたものとして留まる。この一個の人間が何者であるかは彼の死に至る迄はいささかも言えないし、人類の何たるかは人類の消滅まで言うことができない。"(P141 引用)
実存主義とは何たるかは、上の引用文に最もよく要約されている。実存は本質に先立つ。人間は人間以外のモノのように、あらかじめ本質(目的)が決まったものではない。だからこそ人間は自ら本質を作り出さねばならないし、人間はまさに自らの作らんとするものになる。本質がないということは、絶対的なものに頼ることができない、つまり何をしても責任は自分にある。このような状態は自由の刑と言われているように、生易しいものではない。自由の刑を少なくするために、人間は世界とかかわりをもち、世界に積極的にアンガージュ(参加)することによって他者とかかわりあい、自己を形成していく。他者とのかかわりあいは受動的なものではなく、主体的なものであり、カントのコペルニクス的転回を感じさせる。ここまで来て、実存主義とは、モラトリアム期間である大学生活が最もわかりやすいことがわかる。大学生活は自由である。実存が本質に先立つ。このような自由の刑の中で、自分で入る団体を考え、交友関係を作り、アンガージュしていく。大学生とは何かということは大学生活が終わるまでわからず、本質無きまま自分の選択をし続ける。日常生活に応用するとこのようなものか。また、実存主義はプロ倫で有名なプロテスタンティズムの労働観の雰囲気を感じさせる。
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100分de 名著でみた。本は難しそうでよむのやめた。
実存は本質に先行する。
人間は本質よりも先に実存するため、その本質は自分で選び取っていかないということ。
人間は自由の刑に処せられている。
その選択の自由により、必然的な人生を生きることはできないので、苦しまなければならないということ。
他有化などは、他の哲学にも通ずる考え。
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サルトル 「 実存主義とは何か 」 実存主義は 自由や主体的な生き方を示したメッセージだと思う。「実存は本質に先立つ」の人間観は 現代社会に合っている
人間について「実存は本質に先立つ」
*本質=特性の恒久的総体
*実存=現に世界に存在すること
*人間は先に実存し〜出会われ、その後で定義される
*人間はみずからつくるもの→主体性
*マルクスの人間観と変わらない
人間が定義不可能なのは 人間は 最初は何ものでもないから
人間は行動しないわけにはいかない
*人間の思考=投企(自己の可能性に向かって存在)+参加
*人間の感情は企て
ペーパーナイフ→本質が実存に先立つ
*本質=ペーパーナイフを製造しペーパーナイフを定義するための製法、性質の全体
アンガジュマン
*巻き込まれている以上 積極的に自分を巻き込む姿勢
*人間は万人を選ぶことによって みずからを選ぶ
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●実存主義の説明で、ペーパーナイフの例え――この物体が何に役立つかも知らずにペーパーナイフを造る人を考えることはできない――は理解がしやすかった。