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私は教師ではないてすが、
専門職を目指す身としては
心に響く言葉が数多くありました。
1番なるほどなと思ったのが
教師になる人も学び勉強しなければ
子どもたちと同じ立場になれないという
話でした。
解釈は違うかもしれませんが、
学ぶことは人を若く保っていくことだ
と思います。
しっかり学び続けたいです。
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教員は読むべきですね。
グサグサと刺されます。
本当に自己嫌悪になるくらい刺されました。
なんか調子に乗っているときに読むといいかもしれませんね。
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教科の違いもあり、存じ上げないまま長年いましたが、このたび大変耳が痛い思いをしながら読み終えました。
出来る生徒にとって、真ん中から下寄りの学力を対象とした授業は拷問である。確かにその通りです。今のままではいけないことはボンヤリと感じていたからこそ、ズバリ言われて、何とかしなくてはと気持ちを改めました。
育児書として、と帯にはありましたが、家庭と学校の役割は別なので、やはり教育書だと思います。
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「昭和3年に初めて教鞭をとった」という国語の女性教員が、1970~80年代に教員向けの研修会で語った内容をまとめた本。
明治生まれの著者が昭和の後期~末期に語った内容、とは思えないくらいに今の時代にも通じる内容で、なおかつ読みやすい。著者は国語教員なのですが、国語や教員に関係なく「ものを教える立場」の人には何かしら心に残す一冊。
読みやすいor聞きやすい言葉遣いで、なおかつ著書の中ですべてを語ろうとするのではなく問題点に対するいい気付きを与える本。著者の教育者としての経験が節々から感じられる一冊です。
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教師の心得や意気込みみたいなものが語られている。超人として捉えていた大村先生がやっぱり超人なんだと理解を新たにすることができた。
職業としての教師ではなく、教師としての人生を歩んできていた方なので、現代の働き方には合わないけど、一読の価値はある。教師の仕事はどうするべきか分かる。
曰く
優しいということは人としての大前提であり、それはウリにならない。子どもが好きということは教師として大前提であり、それはウリにならない。楽しいということは授業の成功ではなく、苦しくても成長を実感できる授業にすべし。
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戦後教育の、一つの指標であった人ですね。そういう時代があったと懐かしむのか、今の教室を振りかえるために読むのか。彼女は左翼でも右翼でもありません。ただの教育者を目指した人です。
田舎の生徒を東京に連れて行って、たとえば、文部大臣や防衛大臣、地元選出の代議士に合わせるようなことが横行し始めている時代になっています。公立の学校でですよ。誰も職員会議で反対しないそうです。
そんな今だからこそ、忘れてほしくない人の一人です。
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・中学校というところは、これは大人になる学校です。何か違いがあるのでなかったら、小学校に9年間いればよいわけです。大人になるということは、まず自分のことは自分ですることです。
・人に寄りかかりあいながら
話をするのは討議ではない、自分の考えをもとうとしなくては、初めから討議に参加する資格が欠けている。
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生前、一度だけお会いしたことのある先生。
「学ばない者は教師ではない」を地で行っていた方。
全てが金言で、どれひとつも読み流すことができなかった。
教師は専門職。なのに自分に甘い人、確かに多い。耳が痛い…。
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「本に叱られる」という経験は初めてだった。
教員になると、生徒を叱ることはあっても、自分が叱られることは滅多にない。その上、叱ってくれる人は殆どいない。なので、自ずと甘えが出てくる。そしてこの本は、そういう体たらくを叱ってくれる本だ。
学び続けることの大切さとしんどさを、改めて説かれた。
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どんなに経験年数が増えてもどんなに研究授業をこなしても、教師は学び続けなければならないんだと再確認させてくれる。
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教師の心構えや教えることに対しての方法が書かれている。また教える専門職であるため、家で勉強しないからダメだと言ったことは教師として言ってはいけないなどの教育論が書かれてある。
気になったのは、中2ぐらいまでに付いた勉強に関する癖は生涯抜けることはないし、そこからいくら良い習慣をつけようとしても良くはならないと記述されていた。それは本当なのか。どうだろう。
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大村はまさんの4つの講演が収録されています。通底するテーマは、教師という仕事に対してどんな心構えと努力で臨んでこられたのかということです。私は教師ではないけど、専門職を名のるなら持つべき心構えという意味では自分も刺激をうけました。
また、子どもが大事だからこそ、教師はその場で優しくしてあげるとか頭をなでてあげるとか(だけ)ではなく、その子がその子なりに能力を伸ばせるための努力をする、という主張には納得でした。(親としてもそうできたらいいけど、それこそが難しい。その場で優しくするのは簡単だ。。正解はないんだろうけど、時々勉強なかなかしない我が子に感情的に怒ってしまって後悔したりしながらも諦めないでやってくしかない)
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読んだのは初めて大村はまを知り、レポートを書くために手に取った大学以来。
教職を目指す立場から、育休中ではありながら、教職についた立場になってから読むとまたどきっとさせられる部分が多い。
断捨離検討中の本の中から取り出したけど、これはこの先仕事を続ける上で手放したくないな、と感じた。
指示するのは万策尽きて自分では対処できないとさじを投げた証拠。素人でもできること。子どものそのまま姿を見とり、必要なエッセンスを投げかけられる指導の幅の広さをもつこと。
人として、教育者として、「勉強」を、続けていくこと。常に伸びようと、自己を向上させていくこと。新しいことをぐんぐん取り入れてアップデートしていくこと。
先生のおかげと敬われるのではなく、本人が自力で達成した、と感じられるサポートをする立場であること。
これぞ、「教える」の本質だよなあ、と。
専門職だと胸を張って言いきれないのは、いつまでも自分の中にできない、分からないが滞っているからで、
きっと教職に限られたことではないと思う。自分の専門にプライドをもって、貪欲に仕事をしていきたいなと感じた。
だからといって、ただ時間をかけてやればいいって訳でもなく、決められた時間で、本質を掴んで、シンプルに。
能力の高い子への支援の不十分の課題意識は、その通りすぎて、反省。個々の伸びを保障できるような支援の幅広さを養っていきたい。
忙しさを言い訳についつい自分を甘えさせる耳には痛すぎる言葉。
育休明けの復帰の折に、一読してから臨みたい。
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ずっと前に買ってあった本ですが、この週末、一気に読み切りました。内容は、研修会等で大村さんが実際に講演をされた記録が4本、もちろん校正はされているはずですが、お話しになった雰囲気がそのまま伝わってくる語り口で書かれているのが魅力です。
教えるということ、教師の仕事、教室に魅力を、若いときにしておいてよかったと思うこと、同じテーマで自分が話すとしたらどんな話ができるのか、考えさせられました。どの話にも、大村さんの人柄や、教育に向かう真摯な姿勢がにじみ出ていて、同じ教育に身を置くものとしては、心が引き締まる思いでした。
例えば、「静かにしなさい」と言うことがあります。場合によっては、ひっきりなしに言うこともあるでしょう。でも、大村さんは、「ほかの人が言うのと全然違うのです。心に冷たい涙を流し、慚愧にたえぬ思いなのです。能力がなくてこの子たちを静かにする案を持てなかったし、対策ができなかったから、万策つきて、敗北の形で〝静かにしなさい〟という文句を言うんだということを、私はかたく胸に体しています。」と書いています。こんな覚悟で教壇に立っていたのです。
この本の中には、「未来を建設する」という表現が度々出てきます。
p.88 教育の仕事とは何であるか-それは未来を建設する仕事なのだ、…
p.96 やはり未来の建設に役立つ人間を確実に育て上げる人、育て上げようとしている人だけが教師なのです。
なかなか言えないフレーズです。それだけ、心血を注いで教壇に立っていたということが分かります。
最後に、こんな言葉がありました。
p.198 子どもたちひとりひとりを、優劣を超えた、優劣のかなたの世界につれていって、そして、ほんとうの成長ということを、成長の喜びを知らせていくには、簡単に言えば単元学習の幅広さ、自由さでこそと思います。
〝優劣のかなたの世界〟そんな世界を、教師だけではなくて、子どもも保護者も感じて欲しいと思いました。
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戦前と戦後を教師として経験した人の教育観は興味深い。
古くさいとか厳し過ぎるとか、読んでいて納得できないと感じることもあるけど、こういう人がいて今の自分達の世代がいる。そういう意味ですごく勉強になる。
本質は変わらないんだと実感した。
時折、読み返す必要のある本。