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モーツァルトという人物に著者が自由に迫っていく、
内容を取っている。
著者が描くモーツァルトとは、一言で言えば、
自由奔放で愉しく生きたひとである。
若くしての夭折と度々言われるが、当時の、
平均寿命を考えれば十分に生きているし、
困窮と言われるが、それは晩年だけであり、
それも、あくまで彼の浪費癖が強かったためであって、
収入自体は十分にあった。
また、ナポレオン戦争による物価高騰を考慮すれば、
モーツァルトがお金を使いまくったことは、
なんら悪くはないだろうと著者は述べている。
ちなみに、モーツァルトは当時は、スタンダールに評されているように、
物悲しいものをつくる作曲家として知られていたようで、
それは音がこもっていたせいだろうと著者は述べている。
作風や生き方としては、著者はモーツァルト>ベートーヴェン、
として捉えており、
浪費癖についても、せっせと貯蓄したのに物価高騰により、
価値が五分の一になってしまったことをあげて、
モーツァルト>ハイドンと結論付けている。
そのあたりで著者は熱心なモーツァルト崇拝者とも言える。
しかし、八年間で六人も子供をつくり、
そのうち四人が死んでしまうとういような結末や、
婦人へ大量に借金を残したまま死ぬなど、
決して褒められやしない事柄も多々ある。
ただ、この物語の面白いところは歴史背景にあると思われる。
例えば、なぜモーツァルトがそこまで自由奔放でいられたのか?
当時はまだフランス革命前で、文書主義が徹底されていなかった。
それゆえに、いろいろと甘かったのである。
例えば、音楽家という不安定な職業従事者は、
文書主義が徹底されて以降、なかなか結婚できなくなったと言われる。
なぜなら教会が孤児を預からなければならなかったからである。
また、当時は文書主義が徹底されていないので、
物事は個人の裁量で決められた。
すなわち、形式として投獄されても、それは形式に過ぎず、
実際はそこは三食付の図書館のようなもので、小説が多かったことから、
そこで小説に目覚めた思想家も多かったようだ。
ちなみに、モーツァルトとフリーメイソンの関係なども面白かった。
そもそもフリーメイソンとは、絶対王政的な縦の関係性の対となる存在として、平等の理念を持つ横の関係性の組織であり、その意味で、フランス革命の先駆け的な存在であると著者は述べている。なるほど。
しかし、フリーメイソンも規模が大きくなれば、縦の性質を持ち始めるという矛盾は、社会主義における官僚のような存在のようなものにあたるのだろうか?また、当時は秘密結社でありながらも、
わりと公然と存在してしまっていたようだ。
秘密でありつつも、存在を広めなければ、という相反した葛藤のようなものをフリーメイソンはどうにも持ち続けていたようだ。
総じて言うと、モーツァルトは楽天的なアホだと言えよう。
手紙にやたらとうんこという単語が出てくるあたりを著者はむしろ、
自���の健康状態を測る指標などとして捉えており、
おそらくは天然と計算をうまい具合に持ち合わせたアホだったのだろうと、
個人的にも思う。才能と運とに恵まれ、そして、いい具合に、
計算ができしかしそれでも基本的にはアホだった彼。
彼から学べるものは非情に多いだろうと思うが、
モーツァルトとベートーヴェンどちらが好きかと言われれば、
後者かなぁ。しかし、俺の本質はどちらに近いのだろうなぁ。
二面性が激しすぎるのも考え物だ。
ちなみに、サリエリによる毒殺説はフィクションです。