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紙の本
目の位置を変える
2001/05/09 04:03
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ISHIHARA,Shingo - この投稿者のレビュー一覧を見る
この詩集には「ワンピース」という美しい詩がある。
「ぽつんぽつんと届く/コラムやデンワで/詩人が亡くなったことがわかった/とてもとおい//一度だけ出会ったことがある/ぼくより少し年下で/はるかに明晰な知性だった/「アイスクリームから新しくなる」/肩をポンとたたかれたように感じたが/ぼくは率直な対応ができなくて/ひどくガッカリした//ガッカリして/新幹線にのって帰ってきた/十年よりもっと前のことだ//かけがえのない知性だった/からし色の/素敵なワンピースを着ていた/半袖の季節だった」
ここで、からし色のワンピースを着ていたのは、松下千里であったと思う。優れた詩人であり批評家であった松下千里は、『生成する「非在」』(詩学社、1989)の中で、「アイスクリームから新しくなる」という阿部恭久論を書いている。
その中で、松下は阿部の「給料日」の一節を引いている。「目の位置をかえよう(おっかしいな、いつもここに手ここに指……)」。
そう、ひとことで言えば、詩を読む快楽というのは、これではないだろうか。良い詩というものは、読者の目の位置を変えて、パァーっと視界を開かせる。
巷にあふれている詩が、日常を補強してしまうのに対し、阿部恭久の詩は、日常を再発見する。そのような阿部の目の位置は、私にとって、とても切実なものだ。
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