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彷徨う日々 みんなのレビュー

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みんなのレビュー5件

みんなの評価4.4

評価内訳

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5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本

愛と幻想のはらわた

2010/01/23 14:56

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る

北米の幻視者、スティーヴ・エリクソン1985年の処女作『彷徨う日々』。
本書には、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』と夏目漱石の『こころ』を
一晩で読み、フォークナーとディックを通過してガルシア・マルケスと
ピンチョンを飲み下し、ボブ・ディランのメロディを全身に浴びまくり、
D.W.グリフィスから連なる映画史を自家薬籠中の物としたロス人の
生理的言語が満ちている。食べ物が胃腸を通過していくような語りは、
「表の歴史」の記憶をあざ笑うかのように、記憶の順番を歪めるように、
脳裏に焼きつく。


作中人物の映画監督、アドルフ・サールはこう語る。
「「公に認められた」歴史なんかには興味はない。歴史とは、
ぼくの歴史であり、ぼくがそうだというのが歴史なんだ」と。


作中にも出てくる実在のフランス人映画監督D.W.グリフィスは、
『国民の創生』によって、アメリカ人の誕生を描いた。フランスの援助を
得て、イギリスの支配から独立したアメリカは、フランス人が描いた
映画によって、国民という概念と映画作法を得た。アドルフ・サールは、
映画『マラーの死』によってフランス人革命家の死を描こうとする。
映画によって、独立の精神の根本であるフランス革命と映画の父の作品を
越えようとするサールは、アメリカの歴史というものを映画という幻視に
よって書き換えようとする。その企ての結末は、わからない。


物語は、『マラーの死』の完成をめぐるサールの執念と、サールの孫の
ミシェルと孤独な人妻ローレンの「内的時間」が錯綜して推し進められる。
決して読みやすくはない。それでも、ロスでパリでヴェネチアで、20世紀の
愛と自由が、ギュルギュル音を立てて彷徨っているのが、おのれの内臓で
わかる。


エリクソンはある対談で、「頭ではなく、腹で書く」と言っている。
読めばあなたの腹はわかってくれる。腹がわたしを突き動かし、
腹は世界と反響している。歴史とは、きっと死霊のはらわた。
そのリアルな歴史を読み下すのはわたしの腹だ。

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紙の本

エリクソンはやっぱりすごい

2019/01/30 16:49

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

物語のすじは、アドフルが監督し未完に終わった映画の行方と。その孫・ミッシェルとローレン、ジェイソン夫妻の三角関係を主に展開する。読み始めはプレーボーイで身勝手な女好きのジェイソンに対して、こんなやつ自転車レースで事故死すればいいのにとさえ思ってしまうのに、終盤ではローレンはジェイソンともう一度仲良く暮らせたらいいのにと、思いだした。それは、なぜなのだろう。登場人物の中で彼だけが人間味があふれていたからかもしれない。アドルフの一族は夢見がちでどうも好きになれない。海外小説のいいところは、舞台が幅広く展開するところにもある、アメリカ、フランス、イタリアとこの小説の舞台も幅が広い。

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紙の本

「壮大な失敗作」?

2005/10/21 19:48

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:la_reprise - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『彷徨う日々』は現代アメリカの作家スティーヴ・エリクソンの記念すべき処女作である。原書はアメリカで1985年に発表され、邦訳は1997年に刊行された。物語は基本的には二つの部分に分かれている。カンザスで結婚したローレンとジェイソンはまずサンフランシスコへ、さらにロサンジェルスへと移住する。自転車競技の選手であるジェイソンに女性問題で裏切られ続けたローレンはロスで記憶喪失のミシェルという謎の人物と出会い次第に愛し合うようになる。一方、1900年にパリにあるポン・ヌフ橋に捨てられた双子のひとりであるアドルフは一風変わった娼館へと拾われてその中で娼館のオーナーに秘密で育てられる。アドルフは、そのオーナーと美しい娼婦との娘であるジャニーヌにそこで出会い愛し始めるようになる。
 『彷徨う日々』を「壮大な失敗作」(『愛の見切り発車』所収のエリクソン・インタビュー)と評したのは柴田元幸氏である。もちろん彼はこの作品を完全否定しようとしているのではなく、「すぐれた失敗作」という意味で言っているのだが。柴田氏が具体的にどの部分を指して失敗作と言っているのかは不明だが、この作品には確かに必ずしもうまく行っているとは思えない部分が見受けられる。例えば、ジェイソンとローレンの付かず離れずの関係は少し冗長である印象を受けるし、アドルフとジャニーヌの別離は少々メロドラマティックでさえある。さらに作品の序盤・中盤ではローレンのパートとアドルフのパートがいまひとつうまく絡み合っていない気もする。
 しかし、当然この作品には面白い部分も多々存在していて、中でも印象的なのは記憶喪失となっているミシェルが記憶を断片的に取り戻していく場面だ。パリからヴェネチアへと向かう列車のなかで次第に現実世界(この世界自体すでに虚構であるのだが)がぼやけ始め、彼が車窓から自分の記憶を(さらに自分自身の受胎の場面という、記憶しているはずのない原光景まで)発見していくシーン。昔、母と共にミシェルが住んでいた海辺の家のひとつの部屋で、或るアルファベットの文字を見出すシーン。そのような記憶が直線的な時間の枠を超えてアナクロニックに噴出してくる。これはまさにアドルフの監督した映画『マラーの死』における制作哲学とほぼ同じではないだろうか? 次の文はまるでエリクソン自身の小説を語っているかのようでもある。
「厳密なリアリティは窮屈であり、ある意味で、実感をもたらさず、むしろ幻覚のほうが観客の感情に、より直接的に訴えることができる」(p.117)
 エリクソンの作品では現実は不意に幻覚へと移行していき、リアリティを厳守することは問題となっていない。それはこの「壮大な失敗作」でも見出すことのできる特徴である。
『彷徨う日々』は確かに傑作『黒い時計の旅』と比べると必ずしもうまく行っていると思えない部分の多い「失敗作」であるかもしれない。しかし、この処女作以降の作品をすでに読んだ現在の我々の目から見ると、彼の後の作品へと繋がっていく箇所を色々と発見することができるだろうお。エリクソンの小説においてアナクロニックに噴出してくる記憶や幻想を読むときのように、この『彷徨う日々』もまた『黒い時計の旅』や『アムニジアスコープ』をすでに読んだ現在からアナクロニックな視線によって発見されるべきなのではないだろうか?

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2013/12/26 22:27

投稿元:ブクログ

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2019/05/14 20:29

投稿元:ブクログ

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