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紙の本
逆ならまだましだが
2022/11/11 23:57
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
正明伝「再評価」の原点みたいな本。親鸞について調べると本人が教行信証などに書いた僅かな記述を除くと基本的に歎異抄と恵信尼消息に行き着いてしまうし、残りは貴族の日記などで親族についてから推測できる程度、浄土宗系の史料は七箇条起請文の署名くらいしかない。せいぜい四八巻伝の同じ個所くらいか。だから親鸞について「細かく」知りたい、と思えば正明伝に飛びつくとは思うにしても、そうなると観応2年(正平6年)の報恩講に際して著者であるはずの存覚が親鸞の実父の日野有範の四十九日に外題を書いた無量寿経を書写しているのに、翌文和元年(正平7年)に正明伝を「書いた」事になってしまう。この無量寿経が西本願寺にあるのは昭和になってから知られたようなので、江戸中期に書かれた正明伝の著者は存在すら知る余地もない事だ。学僧として定評がある存覚が実は相当、記憶力に問題がある人なら話しは別だが、そうなると正明伝の「価値」自体が下がってしまう。存覚を持ち上げているようでいて、実は貶めているのだ。この事を著者をはじめとして実は知っているはずだが、この本に類する本も同じ問題を抱えているので説明出来ないと「正明伝重視論」に従う事など出来ない。
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