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翻訳者としての須賀敦子の代表作の一つ。その言葉を言えば、すぐにどこの何の話かが、何十年たっても分かる。家族の会話には、いくつもの魔法の呪文のような、家族にだけ分かる大切な言葉がある。近代イタリアを代表する、ナタリア・ギンズブルグの自伝的小説。
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父や、母や、おじさんや、おばあちゃんはいつも同じ話ばかりする!といらだっている若い人に読んでもらいたい本。記憶に残る口癖は、あとになって離れた人をこころの中に呼び戻す呪文だということが、この本を読むとわかります。
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イタリアが徐々にファシズムに染まっていき、ムッソリーニが宣戦する…。
こうした「世界史」が1人の女の子が幼い日々を過ごし、
成長する中でどのように反映されていくのかを
読み取れる自伝的小説。
反ファシズムの家庭で著者は育つ。
癇癪もちで強烈に口の悪いお父さん、
明るいけれどちょっといい加減なところのあるお母さん、
それぞれ活動家となった2人の兄、裕福な家庭に嫁いだ姉、
またその友人達。
彼らと食べた食事・夏の休暇の山での滞在・兄弟の進学・
誰がどういう口癖や性質を持っていたか。
当時の人々との交わりに関する著者ナタリア個人の記憶が
淡々と描写されていくだけなのについつい惹かれて読んでしまった。
ナタリアと家族の時間の経過に伴って
政治的な自由の規制や圧迫感がだんだん滲み出てくる。
歴史の中の個人の位置づけを確認できる本。
例えば、ユダヤ人を迫害する政策が出た時は
著者にとって、生まれた子供がまだ小さくて乳母を雇わねば
ならないこと、あるいは生活にお金が足りないことに頭を悩ましている時期でもある。
ユダヤ人の血を父から引き、ユダヤ人の友人を持つ著者にもちろん
人種差別政策は影響するけど、それが日常のメインではなかった。
そういう、大きい歴史の変化の中にある
個人の生活の取るに足らない小ささに妙に納得する感慨があった。
当時の反体制派の文学者達がどのように行動していたのかが
知れるのも興味深かった。
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ギンズブルグの人生を事実だけ追いながらみてゆくと、どんなにか波瀾万丈な人生だっただろうか、と思いますが
「男のように書く」という言葉通り
苦しみを人に見せつけるようなことなく、さらり、とつづる。
だからといって客観的すぎて、冷めた/冷たいということはなく
そこには家族に対するあたたかなまなざしがあり
苦しみをつつみこむユーモアがあり
言いようのない気持ちに、読みながら胸がいっぱいになります。
彼女が親しかったパヴェーゼとさくらんぼのエピソード
エウナウディの人々とのやりとり
そして何より、この作品は須賀敦子さんの訳がぴたりときます。
すばらしい作品です。
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[ 内容 ]
イタリアを代表する女流作家ナタリア・ギンズブルグの自伝的小説。
舞台は北イタリア、迫りくるファシズムの嵐に翻弄される心やさしくも知的で自由な家族の姿が、末娘ナタリアの素直な目を通してみずみずしく描かれる。
イタリア現代史の最も悲惨で最も魅力的な一時期を乗り越えてきた一家の物語。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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半世紀以上も前の、遠い国の人達がこんなに近しく感じられるのは何故だろう。知識階級の共産主義の家族が隣に住んでいて、まるで庭の垣根の間から盗み見をしているような気がする。須賀敦子さんの訳文が美しい。
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大傑作。この小説のテーマは、ある時間を共有し合った者同士だけが分かり合うことの出来る物事や言葉たちだ。小説の舞台は、ムッソリーニが台頭するファシズム期のトリノ。主人公の一家はユダヤ人であるから、中には国外に逃れたり、逮捕されて流刑に遭ったりした者もいるが、それらはこの家族にとって、あるいは主人公ナタリアにとっては、記憶の一場面にすぎない。現実で何があっても、記憶の蓄積は揺るがないで見守っている。レーヴィ家の五人兄弟は成長してバラバラになるが、それでも父母の記憶は揺るがないで見守っている。老いゆく者、死にゆく者、生まれてくる者。それらがゆっくりと、現実にさらされながら存在している。勿論、意図的に描かれなかった場面もあるだろうが。
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遠い海の向こう
でもファシズム政権という私の住む国と共通の苦難をたどってきたイタリアで
第二次世界大戦前後というひと時代昔に
ユダヤ人女性によって描かれたもの。
それがこんなにも自分にとって身近に感じ、
共感を覚えるものだとは思わなかった。
おそらく作者とはいはずとも 同じようなバックグラウンドを持つ人に
直接会って意思疎通を図ろうとしてもうまくいかないにちがいない。
言葉 国 人種 宗教 生活習慣 そういった様々な違いからくる気おくれで
きっと会話のうまい糸口さえ見つけられないまま平行線をたどるような気がする。
この本で得たのと同等のものを純粋に交流を通して獲得しようとしたら
コミュニケーション能力について恐ろしいほどの技量が必要とされるだろう。
ところが文章というのはいとも簡単にそんな壁を乗り越えてしまう。
家族で交わされたなにげない会話を中心軸にしながら
時代を切り取っていく手法のこの自伝的小説は
文体も須賀敦子さんの訳ということで馴染みやすく
自然と心に溶け込んでいくかのよう。
厳しい時代を淡々と綴ってはいるけれど
作者がユダヤ人という事実は
そのとおってきた道がただならないものであったことを想像するに難くないし
実際彼女は第2次世界大戦中 寒村に流刑になったり、
夫を拷問で殺されたりしているのだけれど
それすらもさらりと書かれていて
逆にそのことが 年配の知り合いから聞かされた一家族の歴史のようでもあり
読後に心に残ったのは時代の厳しさではなく
小説全体を通して流れる温かさだった。
ただ、家族の会話でつづられる最後の数ページが
戦争という大事件を通して起承転結で語られてきたこの家族のストーリーのいかにもつけたし という感じの自分の感覚からするとちょっと腑に落ちない終わり方だったように感じた。
小説の終わり方というのは想像以上に難しいのかもしれない。
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20171108読了
1997年発行。須賀敦子訳。イタリア文学。ムッソリーニ、ヒトラー、そして戦後。ユダヤ系イタリア人の大学教授を父に持つ筆者の家族と、交流のある身近な人々が生きてきた時代を描き出す自伝的小説。弾丸飛び交う戦場ではないにしろ、逮捕、流刑、爆撃等々、その時代特有のできごとに襲われながら生き抜いていくさまの記録なのだけど、けっして悲惨さ、辛さが前面に押し出されるわけでもない。そして、親しい者どうしで交わされた会話が物語の大部分を占めているにも関わらず、けっして感情的でない、というのが不思議。家族のなかで自然発生したその関係性だけで通じることば(家族語)なども含まれていて、ちょっと読みにくさも感じつつ、その集団の雰囲気が立ち上がってくるような気がする。●外国文学を読んでいて困るのは、登場人物が増えてくると横文字の名前がどんどん出てきて誰が誰だか分からなくなること。
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この「ある家族」の主人公は、まちがいなく語り手の父親と母親である。それは、物語が父親の罵詈雑言とそれを馬耳東風と聞き流す母親の応対から始まり、最後はその父親と母親の会話で閉じられるところからも明らかであろう。
題名にあるように、その家族と家族に関わりのある人物たちとの間で交わされる「会話」を中心に話が進んでいく。基本的にはふだんの日常が綴られている(父親や兄弟が投獄されたり戦争によって家族がばらばらになったりするドラマもある)のだが、不思議なことになぜかそれが読ませるのである。そして、得も言われぬ爽やかな読後感を残す。
作者の力量はもちろんであるが、訳者の須賀敦子の手腕に負うところも大なるものがあることはまちがいない。
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自分たちの家族だけに通じる、「それを聞けば、たとえ真っ暗な洞窟の中であろうと、何百万の人込みの中であろうと、ただちに相手がだれであるかわかる」ことば
ファシズムの時代を生き抜いたある家族の物語。
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「老いるとは人々から孤立して、過去が崩壊したことを嘆き、自らのうちに閉じこもってしまうことである」
ファシスト政権、ムッソリーニ、ユダヤ人への圧力、第二次世界大戦 歴史の中をくぐり抜けていく家族の日常が綴られているだけなのに、すぐそばで会話や笑いが起きているようなみずみずしさを感じる。
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ほとんどが作者の体験。
ムッソリーニが台頭してきた時代のイタリアの家族の物語。父親が偏屈。戦時なのにそれを感じさせない日常生活。きっとギンズブルぐも辛いこともたくさんあっただろうにと思った。記憶にないことは書かれていない小説。「美しい夏」のパヴェーゼが友人として登場したことに「おお」となりました。
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20世紀初頭のイタリア、トリノ。頑固で短気な大学教授の父と楽天家でおしゃべり好きな母のあいだに生まれた五人のきょうだいは、親に気に入られる者も反発する者もいながら大人になっていく。やがて国はファシズムに支配され、戦禍が身近に迫ってくる。家族の瑣末な会話を通して紡がれる、戦時下を生きた人びとの物語。
他人の家のこまごました話を読むだけのことが、なぜこんなにも豊かで楽しくなるんだろう。帯には「心優しくも知的で自由な雰囲気」と書いてあるけど、この「知的」部分を担っているはずのお父さんが開幕からとにかくギャースカうるさい(笑)。反ファシズムだけど有色人種や使用人には差別的なことを普通に言うし、家族を自分の所有部だと思ってるし、そんな父の言うことを子どもたちは全然聞かない。つい長谷川町子の絵柄を思い浮かべながら読んでしまうようなにぎやかさ。
ユダヤ系なのもありオリヴァー・サックスの家を連想したりもしたが、ナタリアはオリヴァーより10年以上世代が上の人だからでもあるのだろうか、サックス家と違いレーヴィ家の父は女子教育に熱心ではなかったようだ。お母さんと姉のパオラは文学と演劇とファッションを愛したというから、出版社に勤め小説家になったナタリアは彼女たちの影響下にいるのだろう。
ファシズム政権は一時的なものと思い、食卓で茶化すネタにしていたレーヴィ家だったが、国外へ亡命する友人を助けたのを皮切りに兄・父・義兄が次々投獄され、兄の一人はイタリアへ戻れなくなってしまう。最初は反ファシズムを貫いた名誉の証と思っていたが、やがて家族は分断され、遂にはナタリアの夫になったレオーネが獄中で亡くなることになる。レーヴィ家が思想を翻すことはなかったが、戦争は家族に深い傷を残した。
本書では、レオーネの反ファシズム運動については最小限しか触れられない。その代わりナタリア自身が疎開先でどう過ごしたかや、レオーネが始めた出版社の同僚たちの姿を活写することに徹している。このエイナウディ社にはチェーザレ・パヴェーゼも勤めていて、終盤は彼のエピソードがぽつぽつ語られる。パヴェーゼに見出されたカルヴィーノもここからデビューしたという凄い出版社なのだが、この小説に描かれているのは信念を持って仕事をする普通の人たちがファシズムに抗う姿だ。そして、最後まで口うるさく、滑稽なほど亭主関白にふるまおうとするお父さんもそういう〈普通の人〉なのだと思うと、読み終えるころにはなんだか愛おしく感じられてしまうのである。
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トリノ大の教授だった厳格な父親と、プルーストを愛読する自由で明るい母親を持ち、典型的なブルジョワ家庭で育った著者の記憶をもとに語られる家族の歴史。ファシズムが台頭し、ドイツに占領される第二次大戦のさなかを、反ファシズムで生き抜く人々の様子が淡々と描かれている。家族や友人が逮捕され、流刑になり、拷問の末亡くなっているが、家族の中の日常的な会話や出来事が中心に語られていて、筆致に悲観的なところはなく、それがかえってその時代の重さを感じさせる。
家父長制の時代の父親像は、ちょっと向田邦子の描いた厳格な父親を彷彿とさせる。妻や子供たちの”不出来”を口では罵っても、常に気にかけ心配し、他人への礼を尽くす父親は、ちょっと愛らしくもある。そんな彼を支える妻は、夫に何を言われても軽く受け流すだけでなく、確固たる信念も持っていて、文学も政治も父親の意見に唯々諾々と従うだけでなく、しっかりと自分を語れる自由を持っている。
エイナウディやオリベッティという有名な会社を担った初期の人々が、ファシズムとの闘いに深い関係を持っていたことを、この本で初めて知った。