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頭でっかちになりがちの哲学の道を優しく説いてくれます。同タイトルの映画もありましたが、本の方がやっぱりよい!最後は自分もソフィーの世界の住人ではないかと思ってしまう。
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西洋哲学史のおさらい。
数多のロマン主義的イロニーが炸裂。
構造主義以降の現代思想については取り上げてくれないのが残念。ポストモダンまでやって欲しかった。
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差出人の名もない手紙がきっかけで、不思議な哲学講座を受けることになったソフィー。だが、十五歳の誕生日の前日、ソフィーは自分の存在の秘密に気づいてしまった。存在するとはどういうことか?ソフィーの世界はどこにあるのか?そしてなぞの少女ヒルデはいったいどこに?哲学ミステリーはいよいよクライマックスを迎える…。
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始:12/2
終:12/8
上巻に引き続き読んだ。上巻の哲学の復習が下巻でされてて助かった。そして読んだ途端に一気に吸い込まれた。ストーリーは急展開を迎えて謎が一気に解け、、、そうで解けない。
ソフィーの正体は実は…いやぁまさかの結末を迎えたよね、うん。ハリーポッターと同じ様に読み返すと色々と物語の結末のヒントが隠されてるみたいなんでもう少ししたら読み直したい。
易しく書かれているので哲学入門に本当におすすめ。映画もあるみたいね、見たいな!
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下巻はちょっと読みづらかった覚えが。
内容的にも深くなっているので、当然と言えば当然かもしれないけど。
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下巻はミステリーも混じり、上巻よりは愉しく読めました。ちょっとしたどんでん返しな展開もあり良かったと思います。
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読んだー、上下で二週間掛かりましたorz(吐血 別によくある展開なんでびっくりって気は(果てしない物語の方が好きですw)しませんでしたが、ひとつ助かったのが、哲学年表が西洋の歴史と合わせて紹介されていたところですね。良くできた哲学入門書なんですが、近代哲学史100年間の空白はいったいどうしたら、、、え、他の専門書を読めっていうこと?(汗
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おおまかな哲学史をかみ砕いて教えてくれる。
大ヒットした当時、読んだ記憶はあるのだけど全く面白く思わなかったような…。ソフィーやヒルデと同じくらいの年齢だったろうにもう頭が固くなっていたらしい。
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哲学の入門書としても、ミステリー(!?)小説としても良本。
哲学をより理解するためにも、物語の謎解きのためにも、再読必須。
ガイド本も読みたい。
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哲学の歴史をわかりやすく、一つの物語として書いてある。哲学入門書には最適。中学生の時に初めて読んで、社会人になって改めて読み直した。
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下巻の出だしに面食らいました。まさか、こんな展開とは・・・、という大転換でした。上巻がギリシア〜中世・近代までだったのに対し、下巻は近現代の哲学にフォーカスしています。カントとかヘーゲルについては、名前はよく見かけるけど、よくわからないものの代名詞のような感じでしたが、初めて取っ掛かりを得たような気がします。また、物語の中の物語という重層構造をとっており、不思議な気持ちにさせてくれます。まさに「自己言及パラドックス」に対面したときのような気分です。物語としても面白く、哲学書としても破格に理解しやすい良書です。単なる良書を越えた超良書!
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■上巻によって、バークリを用いて、ソフィーの世界は全ては少佐と言う神によって物語られているに過ぎない、といった形でまとめらていたのだが、下巻では少佐=神ということを前提にして物語が綴られていく。本書では直接増えられていなかったが、「超越」といった概念が本書の終章では与えられるべきではないか?
→ソフィーとアルベルトは、ソフィーの世界=本=少佐によってつくられた世界を超越した。サルトル的に言うならば、自分を認識することが対自、ありのままでいることが即自。ソフィーの世界、という書籍の中で与えられた登場人物としてそのことを特に意識せずに終わっている人物たちは即自として彼らの役割を終え、ソフィーとアルベルトは自らを意識し、ついには自らの殻を打ち破り、本の外部の世界へと現れた。しかし、ここで論理的に矛盾が生じる。彼らの言葉は少佐によって書かれているのに、少佐の裏をかくと言うことがありえるわけがないのだ。少佐がアルベルトに、「裏をかく」と言わせているのに、少佐はその裏をかくという内容にまるで疑問を持っていないこと自体が不可思議なのである。あるいは、その裏をかくという内容を把握していないことが。
■恐らく、著者=ヨースタインは、ここでフロイトの無意識を用いるのだろう。ソフィーと、アルベルトは少佐の無意識になったのである。あるいは彼らは少佐の無意識から救い上げられ意識化=顕在化された存在であるが、それゆえに彼らはもともとは少佐の無意識であった。だから少佐の無意識をつくことは可能であった、とでも論を展開させたいのだろうか?もっと言ってしまえば、ソフィーやアルベルトは少佐の無意識をある種偶像化させたものでしかなく、全ては少佐が広い意味で言えば少佐自身が計画したことであった、しかし、意識的にそのことを少佐は自覚していない、とでも?
→だとすれば、ソフィーとアルベルトが少佐を離れて存在していることがおかしい。無意識が意識からも無意識からも離れて自立的に行動するとはそれこそ意味不明である、あるいはそれが可能だとでも?
■著者のしたかったことは、物語を作っている少佐よりもなお上位にある存在に実は少佐は気づいていない。だが、それなら、君たち読者よりもなお上位にいる人物に実は君たちは気づいていないのかもしれない。だが、君たちが君たちよりも上位の存在に物語られているにすぎないとしても、全ては始まりが一になる、というのが最後のビッグバンで語りたいことなのだろうか?
→哲学とミステリーを混ぜる、というのは非常に面白い試みではあるのだが、この仕掛け自体はミステリー的には禁じ手である。とはいえ、一旦空想として思い浮かべた事象は意思を以てどこかで活動している、という考えは奇抜ではないけれど面白くはある。アイデアは面白いのだけれど、全ては少佐がつくった世界でしかなく少佐が一人遊びをしているに過ぎない、というあたりがどうにも途中からこの書籍を白けさせる気がする。難しいね。
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下巻が若干ポストモダンしていて(今までの話は物語内物語だったのか!?みたいな展開)ちょっと唸る俺ちゃんw
物語を読みたいのか、それとも哲学書として読みたいのかというところでどっちつかずな己が葛藤して、どうしても集中力を欠く。
結論として、俺ちゃんはマルチタスクがてんでダメ。
本は悪くないんだ、きっと。
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下巻からいきなり語り手が変わる。ソフィーとアルベルトはヒルデの誕生日のためにヒルデの父が作り上げたただのアトラクションだった…。自分たちが誰かの創作物にすぎないと知ったソフィーたちは、その世界からの脱出を計画する。 ヒルデがソフィーたちに気持ちを寄せるのを見て、やさしい女の子でよかったと思った。でも、あの終わり方はソフィーがかわいそうすぎる…もっと幸せになれなかったものなのか。
そして哲学ガーデンパーティでいきなり痴女になるヨールンに引いた。