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隠れ名店の隠れmenuを見ているような・・
そんな気分にさせてくれます。
毒舌が日本語の美しさで調和され、心地良いのも妙です。
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この、マイペースな、下手したら傍若無人ないつまでもお嬢様な感じ、
嫌いじゃないな。
嫌いじゃない理由はまぁ、きっと他にも色々あって。
おおらかなものの見方もそこに通じているんでしょうが、
「苦しさも暗さも後になって振り返ってみれば切ない歓びだ」
この一行に出会えて良かったと、思いました。
プラスの気持ちも、マイナスの気持ちも全てひっくるめて、自分の存在を肯定してくれるものなのだと、
わたしはとても不器用なので、そのような見方を、大切にしていきたいと思うのであります。
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文豪の娘で、ファザコンで、ちょっぴり根性悪で、人に媚びなくて、気まぐれで、くいしんぼうというのが森茉莉という人のイメージです。なんて素敵!乙女として憧れずにはいられません。
財産家の家にお嫁に行く時、父・鴎外が「お茉莉が西洋料理をうんとくうだろう」と言った、とか、室生犀星の家でしょっちゅう夕食をご馳走になっておきながら「鰻が出て困る」と書いて発表した、とか、文壇セレブな人々を相手にしたぷっと吹き出してしまうようなエピソードや、うっとりするほどおいしそうに描かれる数々の食べ物。そして、随所に出てくる若い女性への芯の通ったメッセージ。100年以上前に生まれた女の人が書いたと思えないほど、はっとするほど自由で新鮮な言葉に、背筋がすっと伸びるような気がします。
こんな女性になるのは絶対無理だけど、茉莉さんのような贅沢な精神を持って生きたいと、この本を読むたびに思うのです。
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老女お茉莉さんの偏屈ガーリーエッセイ。父の森鴎外が亡くなって夫とも離婚してジリ貧でも、なんか楽しそうな生活してます。衣食住において自分の美意識を追及する執念に感心してしまう。乙女かくあるべし。あと卵料理食べたくなる。
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贅沢とは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていること・・・
キラキラと色とりどりの宝石のような言葉が詰まった贅沢な一冊。
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自己弁護だと感じることもありますが、逞しい美意識は見習わねばと思わされます。
鈍しているときに読むと、アンテナが少しだけ鋭敏になります。
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価値観は確かに現代と違うし、著者の環境が特殊なため共感できない部分はある。けれど食べ物や生活、人々や文化への純粋で無邪気な愛情は励まされるものを感じる。
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個性がとても強くて文章が読みにくいと始めは感じたが、筆者の哲学(贅沢貧乏など)がわかってくるにつけ文章に感じるぎこちなさもなくなった。
貧乏であっても精神は貴族になれる。本当にいいものを見分ける目や舌をもてば、それが贅沢になる。
私自身はお金持ちでもないし、これからお金持ちになる可能性も低いが、その中でも豊かに生きていくことはできるのかもしれないと感じた。審美眼を失わずにいたい。あるいは育てていきたい。
筆者の価値観だけでなく、食のエッセイとしてだけでも楽しめる。卵の書き方が素敵。
以下引用
●ほんものの贅沢
ほんとうの贅沢な人間は贅沢ということを意識していないし、贅沢のできない人にそれを見せたいとも思わないのである。贋もの贅沢の奥さんが、着物を誇り、夫の何々社長を誇り、すれ違う女を見くだしているのも貧乏くさいが、もっと困るのは彼女たちの心の憶測に「贅沢」というものを悪いことだと、思っている精神が内在していることである。
ーーー
だいたい贅沢というのは高価なものを持っていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。容れものの着物や車より、中身の人間が贅沢でなくては駄目である。
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要するに、不恰好な蛍光灯の突ったった庭に貧乏な心持ちで腰掛けている少女より、安い新鮮な花をたうさん活けて楽しんでいる少女の方が、ほんとうの贅沢だということである。
●ジュンかヴァンのオトコノコ
大体、(粋)のスパルタ教育がなくなったということは、親たちに自信がなくなって、息子のやることも、服装も放任になったことなので、自信のない親は、口を出さないことが、理解のある親だと思っているより仕方ないのである。それが民主主義だと、自分を胡麻化している親が無数に出来たのは敗戦のためであって、上から押しつけられて、忠君愛国や質実剛健、倹約、等々をただうわの空で唱えていた日本人の大部分は、つまり大部分の親は、永遠にある筈だったそれらの思想の椅子によりかかって威張り、子供を教育していたから、その椅子がなくなるとグラグラになってなすすべを知らない状態になった。戦前から民主的だった、少数のわかった親(これらの親は、西洋流の、自分自身の考えから出たほんものの愛国心を持っているのだ)と、これも少数の、昔式のガンコ思想を魂の底から持っていた親と、これらの親以外の親たちが、ただまごついて
いる内に二十二年が経って、その間にヘンなオトコノコは黴のように発生した。自分自身の考えのない親の下ではやっぱり、自分の考えのない子供が出来上がるのである。
●楽しむ人
私が若い女の人たちに言いたいことは楽しむ人になってもらいたいことだ。
そういうものはほんとうの楽しさでない。皮膚にふれる水(又は風呂の湯)をよろこび、下着やタオルを楽しみ、朝起きて窓をあけると、なにがうれしいのかわからないがうれしい。歌いたくなる。髪を梳いていると楽しい。卵をゆでると、銀色の渦巻く湯の中で白や、薄い赤褐色の卵がその中で浮き沈みしているのが楽しい。そんな��い女の人がいたら私は祝福する。
即席ラーメンやどこの店も同じなハンバアグをくい、つまらなくてあくびのでる女と歩いているのは楽しさではない。いい舌を持って自分で造らえればいいのだ。では枚数がもう一行で尽きるからこれでさよならしよう。生を、空気を楽しむことである。
●果てのない道で思ったこと
私の父親は津和野の貧乏医の息子に生まれたが、精神が貴族で、縦から見ても横から見ても、貧乏のにおいがしなかった。だが贅沢は好きではなく、出盛りの野菜、果物、なぞを豊富に使い、あまり下魚は使わなかった程度である。それで私は結婚して始めてポンカンという、蜜柑の種類のあることを知った。
苦節十年が尊まれ、蛍の袋をぶら下げて書を読む、飯の菜は小鰯の干物三尾、というようなものの出てくる小説は評判がいい。真面目に扱われる。貧乏、即ち生活、という思想である。父親の言葉を丸呑みにしてそのまま、ぬうと育った私が賢い子供でないことは認めるが、貧乏が書かれていなくては、(生活がない)、という思想はおかしい。金のある生活も<生活>である。貴族小説もあっていいのではないか?
●子供の時の果物
私の父親は大変に変わったことをしていた。杏子を煮て、砂糖のかかったのをご飯の上にかけてたべるのである。又は葬式饅頭を羊かん位の厚さに切ってこれも御飯にのせ、煎茶をかけてたべた。その話をすると誰でもおどろくが、父親とたべた想い出もあるが、支那のお菓子のようだったり、淡白した、淡いお汁粉のようだったり、どっちも美味しい。だが、或日母の実家で、生の水蜜桃が出た時、よの中にこんな美味しいものがあったのかと、おどろき、その味は今も覚えている。
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鴎外の娘だと。
なるほど。でも頭の良い人だと思った。
晩年に書いたエッセイなので、もはや達観していたのかもしれないけど、自分がどういう環境で育ってきて、どんな風に周りから見られているのか、とか、客観的に冷静に分析できている。
なんとなく好感が持てた。
そして、食べ物に対して恐ろしく執着があるところも好き。
自分自身のものさしをしっかり持ってる人だと思った。
ただ、一緒に仕事はできなそう。
牛鍋の作り方を細かく書いていた。もちろん作ってみたくなったのだ。
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少々アクが強い文章に感じられました。
物理的な意味でも読み下しにくい箇所がありましたし、内容的にも、媚びてないと言えば聞こえはいいけれど、要は自分の意見を感情のままに呈している印象を否めない部分がありました。
作者も自覚の上で開き直っているようですが、ファザコンもここまで極めればひとつの財産なのかもしれません…。
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独特の感性と文章で綴るエッセイ。
貧乏なんだけど食にはこだわっています。
お金をかけてるとかいうのではなく贅沢。
借りて読んでますが、買います。
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主張が強いのか客観的なのか判断つかず。
文章は読みやすく、彼女が絶対的価値を置くたべものに関する記述はみずみずしい。
他にエッセイがあれば読みたいくらいには面白いけれどないようなので残念。
ちくま文庫の文章は読みやすいようにデザインされているように思う。
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本当に筆者は一本筋が通っていて気持ちいい。あまりにいいたい放題でつい爆笑してしまいました。
食べ物がテーマのエッセイですが、情熱を傾けるだけあって、すごく想像力をかきたてられます。
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友達に借りた。食べ物の描写があまりに上手で寝間に置けない。外来語の綴りや江戸っ子とパリ文化のこと、息子のジャックのこと、鴎外のこと…大変な目にも遭っているのに本当のこととは思えないロマンチックな表現。優れた随筆家は育ち方がユニークで料理がうまくて、その土地の生粋が多い気がする。向田邦子然り、田辺聖子然り…「江戸っ子が断たれた」のはたしかに残念だ。鴎外が茉莉氏を膝に乗せ、軽く背中を叩きながら「お茉莉は上等、お茉莉は上等」と言って育てた、というエピソードが好きだ。
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森茉莉さんの本、実は初めて読みました。読んでいて趣味が友人と合いそうだなあと思いながら読みました。
惣領の甚六と言うか…まあ長女の甚六、とでも言うのか。おっとりはしてなさそうですが(笑)。こう、世間ずれしていて我が強そうな人は家族は大変そうだなあと思いました。それにしても素直な人だな。言いたい事ややりたいことをきっちり出来る人と言うのは潔くて良いな、と思ったりその我の強さが鼻についたり難しいものです。面白かったのでまた違う本でも読んでみようかと思います。