紙の本
今まで誰も私に教えてくれなかったこと
2002/06/08 15:00
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投稿者:広海 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は今までなぜ女性が性風俗産業で働いてはいけないのか、またなぜそういう女性たちが白眼視されるのか解らなかった。ずっと疑問だった。素朴にどうしてかという問いに明快な答えは出せないできた。別に法に触れているわけではないし、泥棒や万引きのように悪いことをしているわけでもない。ちゃんと自分の体を使って稼いでいるのに、どうしてなのかと長いこと思ってきた。もちろんそれに対する答えのようなものは目にしてきた。だけれども、きちんとそれに納得されることはなかった。そんな私に上野千鶴子は明快な答えを与えてくれた。女は性と人格が一致している! と思われているからだと。
上野千鶴子の明晰さは現代の女にまつわる様々な事柄を解き明かしていく。援助交際、少女漫画、ヌード写真etcそれはもうすがすがしいほどだ。
自分の内にあるもやもやとした言い表せない感情をここまでうまく言語化してくれた書物には今まで出会ったことがないと思う。この一冊に出会えたことを感謝したい。
紙の本
生も性も変わる
2017/01/05 10:25
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
山本宣治や青柳有美など、大正時代から性の評論家がいたとは驚きだ。時代とともに、人間そのものの在り方が変わっていくことを感じた。
紙の本
発情装置
2003/01/12 18:33
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投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
上野千鶴子の文章には刺も毒もある。しかし、言葉を飾らぬ本音が語られており、面白い。違和感も大きいが。男である私は、女性のジェンダー、セクシャリティということが、問題だと思ったこともないが、全く意識したことのない異質な事象に目をみはるばかりである。これまで女性を差別してきたつもりはないが、問題として意識していない為に、はからずも女性を抑圧する側に立っているといわれて、戸惑うばかりである。女性や同性愛者への社会的差別ということを問題としてとりあげ分析する社会学とは、どのような学問なのであろうか。大学の講議でもっとも解らなかったのは、哲学と社会学であった。社会学の一分野としての女性学と男性学(ここでは語られていない)の必要性は、おぼろげながらわかったような気がする。
上野千鶴子の著作の中では、分析や問題提起がややものたりない印象である。
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そういえば一度読もうと試みたことがある。が、挫折した。ということを思い出しながら読み始めた。しかし、今回はすいすいと読めるもんだ。いや、なに、わかりやすいじゃないの。父権制度の社会とか、そういうことの実態が見る見るうちに暴かれて、認知できるようになっている。
私が一番興味を持ったのは恋愛について。
それがなくても生きていけるのか。そうでなくていいのか。対幻想は幻想だと本当に思って良いのか。ただ、私は答えがほしかっただけなのだが。はっきりいって、何が言いたいのかちょっとわからない…というところはあった。(私の無知ゆえに)それから、もう約10年前のものですから、時代は変わっている。(あぁ喜ばしいことだよ君。)だけど、自分で世の中のことを考えて考察するってことは大切だ。なので、この本はとても役に立つ。この本+遙洋子の本によって、私は強制異性愛に違和感を持ち、そして拒否しようと思うに至る。
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「エロスとは発情のための文化的装置(シナリオ)である」という。
決して本能から発する自然的なものではない。
生物的には初潮を迎え充分に性的に機能する体ではあるけれど、社会的には性的対象とみなすことは許されていない。
「使用を禁じられた身体であるはずの女子高生」だからこそ身体もしくはその付属物(パンツとか)が高く売れるのだ。
メイド萌だのナース萌だのも外観だけでなくその社会的役割なんかに発情しているというわけか。
ほかにも、女性の身体についての幻想、男性の性欲について、ボーイズラブについて等書かれていて様々なエロスについてとても面白く読めた。
特に女性の身体については他にこういったある種フェミニズム的な意見を見たことが無かったのでとても興味深かった。
売春を商売にしている(※強制されたのではなく)女性への「そんな商売をしていたら心もぼろぼろになる」という同情や蔑みはおかとちがいだという。
性と人格の分離、つまり売春婦は”支配される”こと、”人格を卑下される”ことを売り物にしているのではなく、性を用いた経済活動をしているだけであって、指圧やらマサージ他の職業となんら代わりはないのだと認識されるだろうと。(説明するのがなかなか難しいなぁ…)
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上野さん男でごめんなさい。ってゆう本。
ここまでこてんぱんにされたらちょっと反論してみたくなるこわいしかなわんからできへんけど。
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ニキ・ド・サンファルの作品が表紙になっている。作品はロビン・ウィリアムズ主演の『パッチ・アダムス』の中でパッチが招かれた産婦人科医たちを、おちょくるかのように作り上げたデコレーションと一致するので、「おお!ニキ・ド・サンファルからのインスパイアだったのか!」と感心してしまった。『発情装置』自体にも非常に感銘を受けた。この感銘は上野千鶴子自身に対するものでもある。如何に自分が男中心社会の暗黙のルールに侵されて生きてきたのかを痛感し、反省の気持ちが生まれてきた。フェミニズムに対して、感覚的に嫌悪にも近い距離感を抱いてきた事実も、これまで生きてきた社会環境によって形成されたものだろう。己の馬鹿さ加減に腹立つと共に、この分野にはまりそうな気がした。幾冊か上野の本を読んでみようと思う。
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2008/11/6(〜P19),7(〜P273終)
この本は以前も読んだ。
しかし、時間に追われていた生活をしてた私は読破することが出来ずに返却してしまった。
今回、家父長制〜が予想外にも早く読み終わってしまって読むものがなかったので再挑戦!ということで読んでみた。
いやはや、初めて読んだときも結構面白いと思ってたんだけど、改めて読んだらグレードアップしてるような気がしたぐらい面白い読み物だと思ってしまった。
上野千鶴子の記述が何より個性が大放出されていて面白い。思わず「ふっ」と笑ってしまう。
とくに私は前半の「ブルセラブーム」の話と、
後半の「芸術家 ニキ」の話は好きだ!
上野千鶴子はすげええなあああ
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趣味でよく読むセクシュアリティの本の一冊。
私が興味を持っているのは主に「少年愛」しかも少年同士のものなので、この本の様にゲイ、レズ、ヘテロまで幅広く取り扱った物を読むのは久しぶりでした。
三章の<対>という幻想、という項目は一世代前の少女漫画で書かれた美少年達による少年愛を考察していて、私にとってとても有意なものでした。
男性中心に構築されてきた社会で生まれた言葉達を女性にそのまま当てはめたところで対等ではない事。
だから、ベルばらのようにあくまで女である「男装の麗人」ではダメだし、男同士でもダメだった。(男の性を
あくまで、媒介となるのは「美少年」でなければならなかった。
女でもない、男でもない、第三の性として、書き手の女性が安全な場所から性を眺めることを可能にする装置が必要だった。
ここで、私は「安全な」を「女性としての性が関与しない」という事だととらえている。
この第三の性を対にすることで、女性は「対等な愛」という物を実験していった。。。
わくわくします。。。私の小説もそんな物を目指していた。言葉が与えられた。。。
今から書くぜ!わきわき!
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「東大でケンカを学ぶ」からの流れで読みました。
私は自分のセクシュアリティに、ちょっと違和感を感じていて…。
もしかしたら、凄いマイノリティなのかも!?と思っていたのだけど、
実は、今の事態をオカシイと感じるのは、むしろ、もの凄い正常なのかも。と少し安心したりしました。
ジェンダーという概念も今まで、あまり意識してこなかったけど、
自分を、それに自分の母も、夫の母も…、世の女性が苦しかった原因は、こんなものだったのか!と、
「正体見たり!」の清々しさがありました。
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おもしろかった。一時期すごい性とかについて考えることがあって、考えて考えてもわからないなぁ・・・と思っていたときがあったんだけど、読みながらなるほどなーと思う点がいくつかあった。当然難しかったところも沢山あったのだけど、それでも読んでよかったなーと思う。
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なんだかなーのエッセイ集?論文なのかもしれないが,理系の私にはエッセイにしか思えない。
2012/09/01図書館から借用; その日から読み始めて09/02読了
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[ 内容 ]
資本主義の逆説とは貨幣のなかにある!
『資本論』を丹念に読み解き、その価値形態論を徹底化することによって貨幣の本質を抉り出して、「貨幣とは何か」という命題に最終解答を与えようとする。
貨幣商品説と貨幣法制説の対立を止揚し、貨幣の謎をめぐってたたかわされてきた悠久千年の争いに明快な決着をつける。
[ 目次 ]
第1章 価値形態論
第2章 交換過程論
第3章 貨幣系譜論
第4章 恐慌論
第5章 危機論
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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性欲と性愛とはちがう。
性欲は性交とも、ちがう。P115
性をめぐる言説の「耐用年数」の
短さを目のあたりにすると、
性のあり方が「本能」や「自然」では
ないことがすぐ見てとれる。
ここではディスクールの方が
身体を規定する。
身体に「普遍」なぞないのだ。P117
岸田秀の
「人間は本能の壊れた動物」という
言葉を思い出した。
人間は誰しもどこか病んでいる。
文化とは本能が壊れたもの。
性もそれを出発点に考えた方がいい
ように思う
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いつもは理論重視の上野千鶴子の、個人としての感性の高さ、柔らかさがうかがえる、希少な一冊かも。文学・芸術・社会、色々なところに潜む発情の仕組みを読み解く。
その洞察のふかさに驚く。
例:女性は、「性的客体」としての自分自身に興味を持つ。・・・・女性が性的に興奮するのは「性的客体」としての男の身体にではなく、男の視線を介して「性的客体化」された自己身体に対してなのだ。
「性の自己決定権」
そうだ、結婚している私には、私には性の自己決定権がない。これはおかしい。