紙の本
記憶の中の都市。
2011/03/09 21:27
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「世紀末」に出た本なので情報的には古くなった箇所はある。
超正統派から世俗派のユダヤ人、キリスト教徒、ムスリムの記憶にあるエルサレムという都市を、それぞれの立場から書いている。
著者は世俗的な側のユダヤ人だが、超正統派のユダヤ教徒について「ずっと昔に消えてなくなったゲットーを目の当たりにする気持ちになる」、「同時に、アウシュヴィッツやトレブリンカの焼却炉の煙突から煙となって消えていった、自分の祖父母を目の当たりにするような気持ちにもなる。」(249~250頁)という相反する感情を持つのは著者がウィーン生まれで、おそらく親戚に超正統派のユダヤ教徒がいたのだろう。
フラウィウス・ヨセフスやキリスト教の各宗派についての記述も目立つ。
「エルサレムの20世紀」によると、1967年の第3次中東戦争後のイスラエル軍の東エルサレム占領後、著者は東エルサレムに住んで「アラブ=イスラエル和解運動のパイオニアの一人」(「エルサレムの20世紀」419頁)とある。この本の中に書かれているのはイスラエルに占領された時の出来事を淡々と書いているだけだ。
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エルサレムは自然の地形が生んだものではなく、人間の努力と包囲戦の産物である。
エルサレムはユダヤ人のかけがえのない記憶の都となった。
ユダヤ人の伝統の中で、エルサレムはほとんどユダヤの民と同義になった。
過去、エルサレムはアラブ人、ユダヤ人双方にとって、宗教が唯一の合法的な意志伝達の手段であった。ところがそこに民主主義が加わった。
エルサレムを聖都とみなす考えはもともとユダヤ、キリスト教の伝統からイスラムに取りいれられた。
ユダヤ人のあいだでは、災厄は神学的には罪の償いと結び付けられ、死と再生は並列されている。
アルメニア人がエルサレムで少数派として生き延びられたのは、誰の味方もしない方針を貫いてきたから。
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読了
とても面白かった
20年も前の本なので、最新の話はないけれども、エルサレムについては、歴史書なんか読むよりもこのエッセイから得られるものはずっと多い
西はギリシャまであと少し
東は砂漠を眺める
その立地
歴史にのっとり、東から入っていくことで、オリーブ山とスコーパス山の間から突如現れるエルサレムの劇的な効果や、オリーブ、無花果、大麦の景色、盲目のボルヘスが手でなぞりながら、「岩がピンク色なのがわかる」と言ったこと
どうしようもないユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つ巴だけでなく、超正統派と世俗的ユダヤ教徒の緊張感とかも実情からわかりやすく伝えられる
ギリシャ正教の嘘臭いイベントや、アルメニア地区がずっとこの地にひっそりと残ってること、ロシアからの熱烈な巡礼やらと、キリスト教が「東方の宗教」であったこと、などなど
いつだってイスラム教のほうがキリスト教よりも寛容であることはここでも確認される
神聖視され無視され、栄えて破壊されて、汚らわしくも敬虔な、今やイスラエルによって近代化されていく場所
「聖地は節約される」というのはまさにその通りで、こんな小さなところに、ダビデが入ったときには既に別の古代宗教の聖地があり、岩のドームの下にある岩の上で、世界創造ははじまり、アダムは創造され、アブラハムがイサクをささげ、ユダヤ人は王国を築き、ムハンマドは昇天したらしい。そのすぐそばで、キリストは十字架を担いで歩き、ゴルゴダで2人の盗賊とともに死に、復活した
日本人なんかは、こういうところは対岸の火事として傍観するに限る その方が正しいでしょう
個人的には、ディアスポラからヘブライ語の復活までを実現させたユダヤ人には憧れがある