紙の本
「納得のできる物語」の創出
2003/03/17 13:02
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投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の柳田の主たるテーマである、自死、脳死をめぐって書かれていることは、もちろん、壮絶な記録であり、心が揺り動かされるものであった。もちろん、それだけで十分に読むに値する。
ただもう一つ。柳田が、これらの記録を綴ることを通して、自己を再生していった過程が、自覚的に述べられていて、興味深い。
柳田は、河合隼雄を引用しながら、「人が生きるうえでの物語の意義」について述べている。身近な者の死に直面したときに、いかに人は、「納得のできる物語」を作っていくのか。その過程そのものを、グリーフワーク(悲嘆の癒しの仕事)だとしている。
『犠牲』を読んだ読者たちが、その感想を綴りながら、自らの身近な者の死を綴った手紙を、柳田に寄せる(それを集めたものが『『犠牲』への手紙』)。そのこと自体が、グリーフワークになっているという。「なぜなら、他者に向かって語るとか書くという行為は、自分の内面にある混沌として喪失対象の人間像や人生の足跡や自分との関係性を整理して、“物語”として組み立てる作業にほかならないからだ。」[手紙:19]
『犠牲』を読んでいて、柳田が、これを書くことで、なんとか自分を保とうとしていることが、痛いほど伝わってくる。私にとっては、その痛いまでの柳田の思いが、『犠牲』の、最大にテーマになっているように感じられていた(その意味で、巻末に掲載されていた、高校生の感想文には、ちょっと違和感が)。
辛い現実に向かって書くということが、いかに勇気を必要とすることか。けれどもう一方で、そのことによって自らを保つ。書くことの深さを、改めて考えさせられた。
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紙芝居劇むすびメンバーのMさんは本読みで、会うと本の話になることが多い。他の何冊かと一緒に「いつでもいいよ」と借りた本を読む。
柳田邦男が次男の自死を機として書くことになった『犠牲』も、『「犠牲」への手紙』も、いつだったか読んでいる。単行本が出た頃にすぐ読んだような…記憶ははっきりしないが、ちょうどこの2冊と並行するように柳田が取り組んでいた『同時代ノンフィクション選集』の長めの解説も読んでいたし、『「死の医学」への日記』が毎日新聞の4面のかなりを割いて連載されていたときは、毎週欠かさず読んでいた。あの頃は、祖母が急死したり、母が病気になったりして、死や病について書く柳田作品にハマっていたなあとも思う。
自ら迎える死を、あるいは親しい人の死に行きあったときに、書くこと、話すことで、人は自分の生に「意味」を見いだすことができるというようなことを、この『犠牲』を書いた以降に柳田はずいぶん語り、書いている。それが闘病記や追悼記を書く効用であり、その作業をとおして人はそれぞれ直面する死や病と折りあっていくのだと。
それまでの柳田の作もいくつか読んでいたけれど、『犠牲』以降は、書き方や書く内容が変わったという印象があった。ノンフィクションとして書く「対象」と自分との距離を一定以上に保ち、淡々と"事実"を書き、その"事実"に語らせるという感じが以前の作品にはあったが、以降の作品は、多かれ少なかれ"書く私"が出てくるようになったと思える。わけても『犠牲』は、書かずには自分自身が立ち直れなかったという勢いがあった。
この本にあらわれる「二人称の死」という言葉にもその姿勢はあらわれている。それまで「三人称の死」というスタンスで書いてきた柳田は、「私」にとってあなた、どこかの知らない誰かではない、よく見知った「あなた」という二人称の死を、書かざるをえなくなった。
それでも、最初に月刊誌に次男の死について書いたときには、柳田は自分や家族のことをほとんど書かず、あるいは書けずにいたらしい。「こんな作品を書いてきた、ノンフィクション作家の柳田邦男」という像に、柳田自身ががっちりとはまっていて、家族のプライベートな部分を出すことに、見栄や世間体が邪魔したのだろうと思う。
十数年ぶりに2冊を読んで、脳死を宣告されたあとの洋二郎さんが体で話しかけてくるというところが強く印象に残った。
▼「毎日ずっと洋二郎の側に付き添っていると、脳の機能が低下しているといっても、体が話しかけてくるんだなあ。全身でね」
賢一郎[柳田の長男、洋二郎さんの兄]もそう感じていたのかと、私はうれしい気になった。
「ぼくもそう感じるよ。言葉はしゃべらなくても、体が会話してくれる。不思議な気持だね」(p.58)
脳死宣告から9日目、病院へ出かけた柳田は洋二郎さんの血圧が140前後、心拍数60台と高い数字になっていることに驚く。そこへ看護婦が入ってきて、こう言う。
▼「あら、お父さんが来たら、急に上がったわ。さっきまで血圧は120台、心拍数は50台だったのに」
「ほんとですか。まるで健康なときに戻ったみたいだ。昨日から昇圧剤を切ったのに、どうしたんだろう。ぼくが来たのを、からだが感知するのかなあ」(p.167)
こういうところを読んで、ALSが重くなり、眼球を動かすこともできなくなり文字盤を使っての意思疎通もできなくなった母上のことを書いた川口有美子さんの『逝かない身体』を思い出す。
川口さんは汗をかくこと、血流の変化にともなう顔色の変化など、母上の身体が発するものを濃やかに受けとめながら、その姿を「意味の生成さえ委ねる生き方」と書いていた。
脳死の洋二郎さんと重いALSの川口さんの母上とを一緒にすることはできないけれど、言葉として発することはできなくとも、感じとり、受けとめようとする人とのあいだに、やはりコミュニケーションはあるのだろうと思った。
(犠牲9/2了、手紙9/4了)
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(「MARC」データベースより)
「犠牲 わが息子・脳死の11日」に読者から寄せられた感想はそれぞれの人生が投影された重いものだった。その一部を紹介し、次男の生と死、著者自身の心の旅についても語る。悲しみからの再生と癒しの物語。
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「犠牲」の読者からの手紙はきつい。
氏は最後に「自分だけの宗教は持っているかもしれない」と語った。わかる気がした。