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「妹の力」 古来の風俗画を見て社会生活の一端を窺おうとする人が、常に不思議に思っていることが一つある。絵巻物の美人は、いつでも一本の線で切れ長の眼を描かれている。かつて浮世又平安時代の精細な写生に於いても、艶麗なる人は必ず細い眼をして或一方を見つめていた。それがいつの代からの変遷であったか、「女の目には鈴を張れ」などと、大きな円味のある眼を以て美女の相好の一とするに至った。如何に時世の好尚選択するからとても、一つの民族の間にここまでの面貌の差異を生じる筈が無い。必ずや人間の技術乃至は意図を以て、天然遺伝を抑制した結果だと思う。自分の家にも多くある女の児の中に、兄が自動車さんなどと綽名を与えた、目の大きなのが一人ある。之に就いて実験してみると、結局は大きくも小さくも出来る目を、頻々と大きく見開いているのであったことが判った。本来の形状は何とあらうとも、努めて之を円くうする機会を避け、始終伏目がちに、額とそれそれに物を見るようにして居る風が流行すれば、誰しも百人一首の女歌人の如く、今にも倒れそうな格好を保たいめえて、其目を糸に画かねばならなかったのである。それが時あって顔を昂げ、まともに人をみるような態度を是認するに至って、力ある表情が始めて開放させられたので、多分は公衆に立ちまじり、歌舞などに携わった者の趣味が只の家庭にも伝播したのであろう。_________日本ではまだ色々の不満を指摘せられているが、是などは正しく教育の力であって、一般に妹の兄との交際を可能にし自由にしたのも、亦其結果であろうと自分は思う。
ただし此解説が理由の全部であるとは思わぬが、仮に婦女子が必要も無い謙遜から放免せられ、各自その天性の快活を以て家庭を明るくし、殊には孤独を感じ易い青年の兄たちを楽しましめるのだとしても、それは結構なる変化だと考へ得る。ところが今日の物知りには、卑俗なる唯物論者が多く、此の如き兄妹間の新現象を以て、単純なるエロチシズムの心理に帰せんとし、一方には又常習の悲観家なる者が之と合体して、往々にして之に拠って解放の弊をさえ唱えんとするように見える。しかし其観察は明瞭に誤っている。仮に兄弟の交情の底の動機に、若い者らしい又人間らしい熱情が潜んでいたとしても、世には是ほど無害なる作用が果して他にも有るだろうか。無害という以上に此の如き異性の力は、屢々他の悪質の娯楽から、単純なる人々を防衛している。あらゆる生物は言わずもあれ、人類の社会に於いても、新たなる家の分房の行はるる迄の期間、決して相とつぐこと能はざる男女の群が、こうして互いに愛護して最大の平和を保っていた、それが即ち家庭であった。その至って単純なる元の形に、戻って来たと云うまでであって、言はばわれわれの肉親愛の復古ではなかろうか。(p322)