紙の本
科学について新しい視点を提供してくれる、未来の科学を考える上で必読の書です!
2020/04/08 11:03
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、これまで科学的真理と呼ばれてきた理論を根底から問い直し、未来にあるべき科学の理想像を追求した一冊です。同書の中で著者は、「科学とは客観的に実在する外部世界の真理を究めていく学問であるとされてきた」と言い、続けて「その理論を唯一の真理としてきたために、現代科学は止めどなく巨大化して、環境破壊などの破滅的状況をもたらした」と主張しています。そこで著者は、こうした状況を改善、あるいは克服するために、フッサールの認識論やソシュールの言語論を踏まえながら多様性を重んじる構造主義科学論を提唱します。そして、これこそが未来のあるべき科学の姿ではないかと読者に問っています。科学について新しい視点を提供してくれる画期的で興味深い書です!
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科学が絶対に正しいと信じてやまない人に「実は科学って・・・」と著者があの手この手を使って科学が絶対的な真実を示しているのではないことを語りかけてくる。
盲目的な科学信仰の人にはいい薬になるかもしれない。また、科学と宗教の違いって何なんだろうという疑問を持っている人にも面白いかも。
自分はこれまで科学の科学たるゆえんは反証主義によっていると考えていたが、そのほかにもさまざまな考え方があるのだということを知識として仕入れることができた。
さまざまな知識(認識論やら)が横断的に紹介されるので、それらの学問のつかみとして読むという読み方もある。
ただ、しっかりとした論理的な議論を進めているのではなく、だれだれはどう考えたよという知識の羅列的な議論の進め方なので、精読するに値する本ではない。あくまでこれから自分で調べ物をしていくためのひとつの羅針盤として読むべき。
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「外部世界の真理を究める」などの、いわゆる自然科学的な考え方に対し、根底から問い直すことを試みた書籍。「客観性」とか「外部世界」とか「同一性」とか「現象」とかいうキーワードに関心がある人はご一読を。
実際のところ、「現象」は時間的(あるいは空間的にも?)な流れの中にあるから常に変化し続けている。だから現象に対して同一性を求めるのはそもそも無理があり、破綻する、というのが基本的な主張の筋。読んでて面白い。
見所としては、上記の「同一性」を担保するものとして「コトバ」を取り上げている点と、不変のものとしての「形式」や「構造」の重要さだろうか。現象は変化し続けるのだが、コトバで構築した形式と構造は変わらないので、現象との位置関係を相対的に理解していくことが出来る…ということなのだと思われる。結局のところ科学という営為は関係性の記述ということだろうか。
基本的に冷静な筆致で書かれた科学論である。しかし、終章に限ってはやけに価値観溢れる文章となっているのが印象的だった。ちょっとアジってない?
また、哲学や言語学に関する知見を引用・援用している部分については少し物足りないと感じた。恐らくもっと奥のある話だと思うのだが、その辺は各自調べろということなのだろう。
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キーワードは「知の欺瞞」。本家とは逆向きで「科学論におけるポストモダン思想の濫用」と言うべきか。
科学哲学のパロディーのような感じ。
ニーチェの思想と対比させてみるとわかりやすい。
真理への意思の否定。虚無への意思。虚無を突き抜けて笑いへ。
現代思想の源泉、ニーチェの思想が反復されている。
第1章から第3章までは納得しながら読み進めることができる。第4章あたりから頭をひねりはじめ、含み笑いをしだし、第6章で爆笑することができる。パロディーのシグナルは第4章あたりから出ている気がする。
構成は次の通り
第1章 科学とは何か
第2章 現象と記述
第3章 古代ギリシャの科学
第4章 同一性としての形相と実体―物理学の歴史
第5章 生物学における形式
第6章 科学と社会
活字にするともっともらしく見える。
ソシュール、フッサール、ウィトゲンシュタイン、そして言及はされていないがニーチェの思想を復習するにはよさそう。
結果としては楽しい読書ができた。
巻末の読書案内で「いろんなことがわかる」と
竹田青嗣『現代思想の冒険』(ちくま学芸文庫)が紹介されている。
本当にいろんなことがわかる。『構造主義科学論の冒険』がパロディーだということも。
隠された鉱脈を発見した感じ。
笑いの理由を追記する予定。(2011/08/20)
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「構造主義」という言葉の響きにあこがれていたころに買ったまま、ツンドクになっていた本。久しぶりに見つけ出したので読んでみました。構造主義というものをよく知らないので、どのあたりが構造主義かよくわかりませんが、これはなかなか面白い本です。科学哲学が好きな人は、たぶんかなり楽しめると思います。しかし、ところどころ思い出したように出てくる政治的・思想的主張はなんなのですかね(笑)。私は、ここが気持ち悪かったのでマイナス一点にしています。あとがきに書いてあるように、「外部世界の実在性(唯物論)の仮定を排除しても、科学は立派に成立すること。」というメッセージ一本に集約してくれたらベストだったのに。一抹のいかがわしさをうかがわせる、名著(迷著?)だと思いました(笑)。
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これはものすごい本だった。
科学とは何か、どのような営為か、を根底から考えるのに最適だと思う。
科学と宗教・迷信、帰納主義、反証主義、規約主義、ソシュール言語学、デカルトの実在論、カントとフッサールの認識論、ウィトゲンシュタインなど哲学・科学史を俯瞰し、構造主義科学論を提唱しています。
構造主義の科学への適用と言えばいいのでしょうか(間違ってたらすみません)。
第一章「科学とはなにか」、第二章「現象と記述」だけでも読む価値あると思います。
2つ引用します。
「実はコトバとは変なる現象から普遍なる何かを引き出すことができると錯覚するための道具の一つなのです」(p70)
『形式の記号にコトバの形で表記されている同一性(シニフィエ)を代入したものは普通「構造」と呼ばれます。私の意見では、「科学とはこのような構造によって現象をコードする試み」なのです。』(p104)
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科学とは真理の探求であるとしばしば言われる。しかし、絶対的客観性に人間は到達できない。科学とは構造を記述することである。その構造によって予測確度を高める営みであるということができる。<外部世界>あるいはカントのいうところの<物自体>に触れることができない。すなわち形而上学は不可能であるということが証明されている。しかし、唯一確かなものは、私たちの観念(コトバ)・経験・現象である前提に立てば、外部世界を想定しなくても共通了解は成立するということが、ソシュール言語学、ウィトゲンシュタインにいたる言語ゲームの問題と絡めながら解説されている。
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外部世界の実在(客観的なものの存在)の仮定を排除しても、科学は成立するんですよ、というのがメッセージでしょうか。
あと、実証主義一辺倒じゃだめだよ、というのも読み取れるかなーと。
何度も読まないと分かんない部分もあるかなと思います。
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外部世界は存在しない?!
認識はすべて頭の中。
経験も自分の中だけにしかない。
世界は自分の中に含まれてしまうかのような…
認識は発明するもの。すでに頭の中にあるパターンを見つけること。
一方、現象は発見するより仕方のないもの。
出かけて行って見つかるものは、自分なんかじゃない。もしかしたら、それまで知らなかった現象。
まさに冒険しに出かけたくなる。
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科学万能主義がはびこっていたバブル末期(本書の原著は1990年刊)に、科学の「真理性」と「客観性」にダメ出しを喰らわせた、ある意味で凄い本。とはいっても、決して非科学的な神秘主義を唱えているわけではなく、「真理性」や「客観性」を追求しなくても科学は構築できると主張しているだけなので、バブル期ならいざ知らず、現代では多くの人が本書の内容に納得できると思う。まあ、それだけ現代科学への信用が失墜しつつあるということでもあるのだが…。クーンやポパーやファイヤアーベントの難しい本を読まなくても、その辺の話題が一通り押さえられているのはありがたい。また、著者によれば、科学と宗教は、物語の記述形式こそ違うものの、人々がそれを信じるメカニズムは同型だと説明している。つまり、「科学教」という表現は、皮肉でもなんでもなく、言い得て妙なわけである。繰り返しになるけど、1990年に一般向けにこれを書いたというのは、やっぱり凄いと思う。
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著者の提唱する「構造主義科学論」の立場とは何かを解説した本です。
著者は、構造主義科学論の立場を説明するに当たって、古代ギリシア時代以来、外部世界の実在をめぐってさまざまな議論を戦わせてきた哲学的認識論を簡単に振り返っています。その上で、知覚現象は一人ひとり異なっていますが、そこに共通に現われるコトバが、それぞれ異なった知覚現象をコード化する仕方に同型性があると著者は主張します。このコードの同型性が著者の考える「構造」であり、これに依拠することで、外部世界の実在を認めなくても自然科学の客観性を認めることができるとされています。
さらに、物理学の量子力学や大統一理論についても簡単に触れて、構造を超えて客観的な実在の同一性を求めようとする試みとその挫折が、物理学の歴史を動かしてきたという見方が語られています。一方、著者の専門である生物学については、生命現象の本質を記述することはできないけれども、そこに生命現象の時間的な本質が現れているという仮説が語られます。
科学理論における「同型性」をどのように理解するかというところで、著者の提唱する「構造主義科学論」に対する評価の分かれ目があるように思います。個人的には、著者の立場はソシュールの言語論に依拠しているために、科学理論における「同型性」の概念のうちに不必要な問題を持ち込む結果になっているのではないかという気がしています。
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[ 内容 ]
科学とは、客観的に実在する外部世界の真理を究めていく学問であるとされてきた。
その理論を唯一の真理として現代科学はとめどなく巨大化し、環境破壊などの破滅的状況をもたらした。
本書で著者は、これまで科学的真理とされてきた理論を根底から問い直すために、フッサールの認識論やソシュールの言語論を踏まえ、多様性を重んじる構造主義科学論を提唱する。
あるべき科学の未来を説く必読の書。
[ 目次 ]
第1章 科学とは何か
第2章 現象と記述
第3章 古代ギリシャの科学
第4章 同一性としての形相と実体―物理学の歴史
第5章 生物学における形式
第6章 科学と社会
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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「ホンマでっか!?TV」に出演している池田先生の博学ぶりにはおどろくばかり。
生物学が専門なのに、哲学、物理学まで理解している。
テレビからでは、想像もつかないほどすごい人だということがわかる。
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何度目かの挑戦で何とか読み終えた。前半のソシュール言語学やフッサール認識論あたりでつまづいてた。わかりやすく書いてくれてるのに難しかったー。
著者の主張をまとめると、「科学理論って外部世界に唯一の正解があって科学者はそれを”発見”するのだと思っている人が多いけど(素朴実在論)、そうではなくて頭の中に創り上げ”発明”するものだよ。外部世界なんて無くても自分のコトバと自分の経験する現象があれば客観的に記述できるんだから(構造主義科学論)」
そう言われればそんな気がしてくる。これが構造主義ですか。話としてはおもしろかった。ところが最終章は一転して日本社会に対する不平不満ばかりで全く同意できない。この章だけは無くても良かった。