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とにかく楽しい!!!でもって格好いい!!
あと、このひとは題名つけるの巧いなぁって。
『むずかしい愛』にしても、『いまどきの老人』にしても。
そしてまたも、こそっと副題『』Don't Trust the Over-60s』が付いているのにも。
「You Must Relax!」(ジョアンンア・スコット)の痛快さ。
「ミスター・イヴニング」(ジェームズ・パーディ)の、いやほんと、「ニヤニヤ笑い」を浮かべるしかないような。
滑稽で極端で、ヒトを喰ったような話。
は、やっぱり老人を主人公に据えるて愛らしく。
(しかし、こういう強烈なお話があり得ると思わせるような「老人」像を、
自分の祖母や数少ないご老人な知人の中に求めるのは困難なような。)
(若者は、どの世代どのお国柄にあっても、結局は「若者」に過ぎないが。)
(この母が老いたら・・・とか、このひとが老いたら・・・いったい世の「老人」像はいかに変貌することか?)
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出版されたときに購入してちびちび読んでいましたが、柴田さんが翻訳するという意義のあるものだなあと、つくづく。今年はショパン生誕200年なので最後の「冬のショパン」を読むのも乙かも。
基本、私は併読が学生のころから得意なのですが、今は毎日一冊以上、というのは意識していなく、またものによっては読み終わるのが惜しいものもあったり。
久しぶりに字数制限して小説を書きたくなりました。
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海外短編小説のアンソロジー。あとがきによれば、コンセプトは『いま出ている老人小説集は生真面目でつまらん、もっといい加減な老人たちが集まったアンソロジーがあったら楽しいのに』だとか。
いわゆる「老い」の物語ではなく、偏屈だったりパワフルだったり老獪だったりする個性的な老人が出てくるというシバリ。お婆さんの話が多かった。重苦しさがなく楽しめる。
老人が事件解決するミステリを期待したのですが、そういうのはなかった。
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柴田元幸編・訳による短編集。
収録作は以下
シャーリー・ジャクソン「おばあちゃんと猫たち」
アリソン・ルーリー「プール・ピープル」
ジュリアン・バーンズ「リバイバル」
ジョアンナ・スコット「You Must Relax!」
パジェット・パウエル「紳士のC」
ジェームズ・パーディ「ミスター・イブニング」
エレン・カリー「ハムナイフであんたたちのお父さんを刺したのは私じゃありませんよ」
スチュアート・ダイベック「冬のショパン」
「このアンソロジーは、そのように老いの現実的問題点に真っ向から取り組むのでもなく、あるいは元気な老いや老いの豊かさを明るく称揚するのでもなく、生産・効率重視の日常から思い切り自由な、いわば「異人」のような老人たちの話が中心になっている。」と著者あとがきにあるが、そこまで魅力的な老人の話ばかりではないかも・・・。
シャーリー・ジャクソンは「くじ」と「ずっとお城で暮らしてる」しか読んだことなかったけれど、この収録作も面白かった。短編集でないかな。
スチュワート・ダイベックの作品は「シカゴ育ち」に既に収録されていたものだったけれど、再読してもやっぱり面白かった。
「プール・ピープル」は恐怖小説アンソロ収録作だったそうで、いかにもって感じでした・・・。
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柴田さん訳ってことで見つけて飛びついた一冊。やっぱり彼の日本語は素敵だった、けどそのお話自体はそんなにすきじゃなかった、かな。この中でいちばんすきだったのは、柴田さん訳ではなかったけどコミカルで皮肉でホラーな『プール・ピープル』でした。
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老人小説より老婆小説の方が面白いと思ったのは、常識の枠からのはみだしっぷりが老婆の方が大きいから。少なくともこの短編集のなかでは。
最後の最後できゅっとひねった落ちがつく短編小説が個人的には好きなのだけど、ここにはそこまでシャープなものはない。
にやりと笑える「おばあちゃんと猫たち」
あ、そういうことだったのと最後にわかる「リバイバル」
正統派の怪談「プール・ピープル」
じわじわと薄ら恐い「ミスター・イヴニング」
あたりを面白く読んだ。
あら、ちょうど半分。
短編なので、あまり詳しく書くとネタバレになってしまう。
でも「ミスター・イヴニング」の、交流を拒絶するような交流。その拒絶のなかに潜む、からめ捕られていきそうな恐怖。
最後にそこまでやるのか~!という描写。
私だったら絶対泣くね。
そう思いながら一気読み。一番好きな話。
「冬のショパン」は、多分明日あたりにじんわりと沁みてきそう。
いろんな作家の書くいろんな老人。
今も昔も、ただ者ではない老人が面白い。
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『それは父さんの部隊が砲撃を受けている最中に書かれた手紙の一節で、それを書いてまもなく父さんは戦死したのだった。― こんな状態が休みなくつづくと、本当に憎むということがどういうものか、だんだんわかってくる。相手の国民全体が憎くなってきて、一人残らず懲らしめてやりたくなるんだ ―― 一般市民も、女も、子供も、老人も、全部。誰だろうと関係ない、みんな同じなんだ、どいつもこいつもみんな悪党なんだ、そう思えてくる。しばらくのあいだは、憎しみと怒りが支えになってくれて、怖さで発狂したりもせずに済む。でも、そうやって自分が憎むのを許し、憎しみに頼るようになると、もう駄目だ。ほかに何が起ころうと、人間もうおしまいだよ。ねえイーヴ、僕たちの生活を僕は愛している』―『冬のショパン』
一風変わった短篇を柴田元幸が集めた私花集。「Don't trust the over 60s」とタイトルの下にこっそりと書かれている。う〜ん、やっぱり60代からは老人なのかあ。岸本佐知子が翻訳しそうな奇抜な作家の短篇が多く編まれているものの、最後にスチュアート・ダイベックのシリアスな調子の短篇を配する辺り、やはり柴田さんらしいと感じる。あるいは昨今の時事情勢に感化された自分の脳が余計な読みをしてしまうだけか、それは定かではない。
とはいえ、シャーリー・ジャクソンの「おばあちゃんと猫たち」(猫とおばあちゃんのバトル)、アリソン・ルーリーの「プール・ピープル」(フロリダに移住するおばあちゃんと改築業者のバトル)、ジェームズ・パーディーの「ミスター・イヴニング」(富豪のおばあちゃんが注文の多い料理店の店主のようになる話)、エレン・カリーの「ハムナイフであんたたちのお父さんを刺したのは私じゃありませんよ」(誰かが死にそうなのに何が起きて誰がどうなっているのかさっぱり解せない話を二人で繰り広げるおばあちゃんたちの話)などは、いずれもブラックなユーモアが効いた岸本さん好みの作風で、他の短篇もちょっと読んでみたいと思わせる。ひょっとして、最近二人が出した例の本の元のアイデアはこんなところにあったのかと、思わず勘ぐらずにはいられない。ホント、知らないだけで面白い作家ってたくさんいるのだなあ。でも相変わらず自分としてはジュディ・バドニッツの新作が読みたいけれども。
柴田さんのあとがきにもあるように、本書は一応「老い」というテーマに関連する作品が集められている。けれど、これまた柴田さんがあとがきで触れてもいるように米国における老人というのは、楢山節考に代表されるような日本人の考える受動的な存在ではなくて、自らが周囲をこれでもかと振り回す能動的な存在のように作品からは見えてくる。フロリダに代表されるような場所にシニア世代が多く暮らしているのも独立独歩的な志向と強い関係があると、この前アグネス・チャンが老後のホームを米国で探すというテレビ番組で聞いたばかり。本書に登場する老人たちもその意味では能動的(過ぎる)存在の人々だが、周囲との軋轢や意思の齟齬が生み出すものは、ユーモアともアイロニーとも決めかねるもの。そのもやもやとしたものの正体自体には彼我の差はないようにも思える。そういう雰囲気が伝わるということが小説��力でもあるね。まあ、それで解ったような気になってしまうという罠もあるのだけれど。
『音楽が消え去るには時間がかかった。通気口のなか、壁や天井の陰、浴槽のお湯の下、僕はいたるところにその断片を聞きつづけた。パイプや、壁紙で覆ったダストシュートや、煉瓦でふさいだ煙道や、薄暗い廊下を通って、残響が伝わってきた。ミセス・キュービアックのアパートにはそこらじゅう秘密の抜け道があるように思えた。そして、とうとう音楽が止んでからも、音の経路はそのまま残って、沈黙を運んできた。ごく当たり前の、何もない空っぽの沈黙ではなく、夢想や記憶も届かないところにある純粋な沈黙。それが訪れる前に聞こえていた音楽と同じくらい強烈な、そして、音楽と同じように、それを聞く人間を変えてしまう力をもつ沈黙。それは古い建物の混みあった喧噪を静まり返らせた』―『冬のショパン』
ああ、最晩年に人生を振り返る時に、クラシック音楽が人生の記憶と分かち難く脳の記憶装置の底の底から湧きあがってくるような老人が、貧乏な一家の一室に住まうような風景はやはり日本では想像できないな。そういう辺りに社会基盤に対する投資の蓄積に関する彼我の差とでも表現したら良いようなもの感じずにはいられない、って変な感想を抱く。