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一神教に馴染めない。信仰心はさっぱりない。祈るとしたら
八百万の神。それでも「ゼノ神父」の名前だけは知っていた。
以前、戦災孤児の話を読んでいた時に頻繁に出て来た名前
だった。どんな人なのか。気になりながら今まで来た。
生まれたのはポーランド。第一次世界大戦が始まるまで、
生家は豪農の部類に属する階級だった。だが、戦争がすべて
を変えた。
鉄工所、製靴業等、職を転々としながら、ある日突然、神父に
なることを目指す。そこで運命の出会いがあった。
アウシュビッツで身代わりとなり亡くなったコルベ神父の下
に身を寄せることになる。
そして、昭和5年。宣教の為にコルベ神父らと共に長崎に来日。
コルベ神父帰国後も日本に残り、長崎への原爆投下で被爆。
戦時下、外国人であることを理由に収容されもしたが、その後は
長崎のみならず、日本各地へ足を運び貧者の救済に全力であたった。
服も、靴も、かばんもぼろぼろ。でも、白く長い顎鬚を蓄えた
ゼノ神父の全身には情熱が溢れていた。
口がさない人たちからは売名行為だとも誹られもしたが、何を
言われようとゼノ神父を突き動かしたのは「目の前の困っている
人を救いたい」との思いだったろう。
都合が悪くなると日本語が分からなくなったり、時には場当たり
的な行動もあったりするが、愛すべき人物だ。
「ゼノいそがし、死にひまない」。宗教を問わず、被曝者を、
戦災孤児を、身寄りのない高齢者を救い続けたゼノ神父。
異国で、たどたどしい日本語と無償の愛を武器に生き抜いた人は
再び故郷の土を踏むことなく昭和57年4月24日、天に召された。
「聖母の騎士」は召された天で、ゆっくりと休めているのだろうか。
それとも、コルベ神父と再会してまた忙しくしているのだろうか。