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著者は「彼ら(初期のグラミンが出合った貧困者)は私を教室でエレガントな理論を教える俯瞰的な物の見方しかできない経済学者から、人々の暮らしに真の、しかも永続的な変化もたらそうと”虫の目”で努力する実務家へと変えてしまったのだった。」と書いている。
徹底した現場主義と、さらに強い意志によって、グラミン銀行の活動が実現されたのだと強く感じた。
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もうそろそろ読み終わるが、本書は単純な貧困問題だけでなく、社会システムのあり方、個々人の人間の幸せとは、そして自分の人生自身についても深く考えざるをえない傑作だ。
決して施しではない。施しはむしろマイナス。ローンという自己責任で完結するからこそ生まれるもの。
生きる環境を整える、そしてローンの債務者に生きる意欲や自信をつけさせ、そして生きる希望と幸せを債務者自身が実感し、見出していく姿。
自分の力で生きることが、世の中の役に立っている、誰かの役に立っていることに直結している。お客様からお金をもらうということはそういうことだ。お客様がお金を払って自分が用意したモノ・サービスを受けるということは、お金を払うだけの価値をお客様が見出したからこそ。
つまり人(お客様でも雇用主からでもいい)からお金をもらうということはそういうもの。人間が幸せになるとは、人の役に立ち、それが実感できることではないか。自分が生きる社会の中で自分の存在価値が実感できることだと私は思う。
本書を読みながら、マイクロクレジットの広がりをみると(発展途上国も先進国も)、これは人類共通の価値観なのかもしれないと、自分が半世紀近く生きてきて初めて知った。
2段書きで読む量は大量ですが、マイクロクレジットに興味がなくても、是非読むに値する本だと思います。
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大学教授のムハマド・ユヌスが、バングラディシュで貧しい女性対象に
お金を貸し付け、貧困のスパイラルから抜け出せる人を助けていく。
こういう人は、味方にすると頼もしいけど、敵に回すと変人と思われてしまう人なんだろう。
最初の、「なぜ担保が必要なんですか?」「なぜ証明書が書けないといけないんですか?」というそもそも論の議論は深い示唆に富んでいる。
銀行員の先入観、業界の常識を覆すようなチャレンジに誰もわくわくせずにいられないのだろう。
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さすがにグラミン銀行創設者、貧困の原因が個人の怠惰ではないことも、開発と発展がイコールでないことも、きっちりクリアに論じ分けてます。役人の腐敗や政府の硬直性には自分も仕事をする上で頭を抱えることがあるし、逆に先進国の偽善や資金提供団体の傲岸については、我がふり直せで痛いところを突くなぁと感じるところもあって、2段組350ページもある本ですが、一気に読み切りました。
アジアの道端で出会う、幼い子供を抱えてこれ見よがしにお金を求めてくる物乞いの女性や、ハンセン病で体の機能を損ねてしまって地べたを這いずり回りながら喜捨を無心する人たちに「施し」を与えるべきでない理由(52ページ)は、是非とも読んでおくべきです。端的ですが、与える側の偽善と傲慢と慢心が、いかに相手を傷つけ、貶めているのかを理解できます。
でも、特に白人は嬉々としてお金あげちゃうんだよなー。全員が全員とは言わないけど、やっぱり白人には「自分たちは優秀な種であり、貧しい者に与える義務がある」と莫迦な勘違いをしている節があります。そういうことをやるから、貧しい人がいつまでもそこから抜け出せないのですが。特にアメリカ。偽善はもういいから本当に現地に資することをやれって思いを新たにしました。
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偉大な取り組みについて知る、だけでなく
そこに深い哲学が感じられました。
社会起業について知るだけでなく、成功する事業の基にある考え方を学べる本です。
感動しました。
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JICA、ODA関係の仕事をしているすべて人たちや銀行員に是非読んでほしい本です。マイクロ・ファイナンスという言葉の意味を知ってほしいと思います。
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貧困者のための銀行、マイクロファイナンスを作った氏の自伝。
現在、途上国にいる身で直に金融の大切さを感じている。抜け出したくても
抜け出せない。そこに一助を支援する役割を果たすのが金融だと思う。
読み物としても非常に面白い内容であった。
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ノーベル平和賞受賞。ユヌスの世界の貧困に立ち向かう勇気、叡智。ハートと頭脳と行動力が一致する。たぐいまれな人物。
九州大学:φ
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いも虫の眼をもち、草の根から現実を見つめる
貧困の定義、農民は農地や農機具を持っているため底辺層ではない。それを貸して稼ぐことができる、貸している間別の仕事も出来る。なにも持たない、農民から田んぼを借りて身一つの労働によってその日暮らしをする人々、自分たちでは資本をコントロールする術をなにも持たない人こそが貧困。底辺から25%の人々。
助成金、寄付金は貧困層へは1セントも届いていない。政府の開発プロジェクトはそのプロジェクトを実施しようとする高名で裕福なエリートへの報酬に消える。さらにその活動は早くても数年後、現地視察という豪遊旅行に費やされるのみ。
物乞いへの施しは自立への道をくじき、自らも貧困と距離を置くことを容認する自己満足になるだけ。
何度も会いに行き、繰り返し説明し、誠意と愛情をもっている人しか信用してはくれない。
貧困は博物館でみるものにしなければならない。
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グラミン銀行を創設し、貧困無き世界を目指した企業家、そしてバンカーの自伝。大人数家族に生まれ、母が精神病で病む中、家族で協力し、そして父のリードもあって貧しくも豊かに暮らしていた幼少期。1971年にバングラディッシュが独立戦争に勝利、荒廃した国となって何とか独立したバングラを再建しようと誓っていた。
コーランの教えで女性は一人で外出できない。グラミン銀行は女性をターゲットにした。また、信頼を軸にすることで、クレジットをとる=相手を信用できるという構図で融資システムを組んだことも特筆すべきポイントだろう。銀行がやってきたことの逆をやったという言葉がそれを物語る。顧客が銀行のオフィスに来る、グラミンは顧客の元へいく。貸借対照表と損益計算書で信用力を分析する銀行と、どこまで貧しいかを説明するだけのグラミン。働くことを始めてみる、その後押しを、ちょっとだけの融資でやっていく。誇り高きバンカーの夢。
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今日一気に読み上げました。
いつか読もうと思ってた本です。
「単純な答えを複雑なものにしているのは私たちの傲慢さだけ」
今ある制度を前提に考えることが習慣になってしまってる自分にとってはガツンとくる言葉でした。
借入も収入認定する生活保護とは相容れないなと思ったのですがその発想が単純なことを複雑にしてるんやなと
自立のために借入してるなら公に認められる借入と考えたら良いんですよね
マイクロクレジットは日本にもあり得るのかなと思いました。
「貧困とは人間の心と身体を麻痺させてしまう病気」
自分が貧困のループにはまり込んでしまうとそこから逃れることを諦めたり生活保護で安心してしまうとそこから出れなくなったり
麻痺するっで本質やなと思います。
「私たちが貧しい人々すべてを対象とせず個人の質によって選別しているのは不公平だと批判する人もいる」
マイクロクレジットの特徴は誰にでも貸すのではなくて借り手を選別するというところやなと思います。
本気が見えないと貸さない。
ここは困窮の理由を問わない生活保護とは違うところです。
正直なところ生活保護制度は自立という人のやる気を見せる場面で本当に役だってるのか疑問のある制度です。
やっぱり僕はベーシックインカムの方に分があるように思います。
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■公式よりもコンセプトが重要。
事業も同じかも。そういう前振りだったのか。グラミンによる貧困撲滅の話に終始していて、方法論はほとんど語られていなかったかも。
■行動力
コンセプトの話と被るかもだが、やるべきことを決めてやり方は後で考えるという行動指針が一貫している。バングラデシュ独立前の支援団体を作るときもこの行動指針だった。
世界銀行職員やコンサルタントへの批判もこの行動指針から発生していると考えると筋が通る。動きもせんと本で読んだだけの理論ばっかり振りかざしやがって、、、みたいな。
■客との接点
効率の話ではなく、とにかく向き合う。ビジネスとして成立するかどこまで考えてたか不明だが、とにかく客にあっていたっぽい。
■事業アイデアはシンプルに
難しく考える必要は一切ない。花屋で花を売る、美味しいソースを作って売る、ただそれだけ。やれ!的な。経済学者の誤りとして、労働を雇用者視点でしか考えていないという指摘が面白かった。日本人だけの話かと思っていたが、少なくとも90年代後半のバングラデシュでも同じ状態だったらしい、