投稿元:
レビューを見る
歴史資料としての日記の利用と、その意義について述べる学術書。
本来はここでレビューを投稿するような種類の書物ではない。だが、本書が取り上げる『大乗院寺社雑事記』を資料として扱うに伴って手に取ってみたのだ。
『大乗院寺社雑事記』とは、奈良の興福寺(阿修羅像で有名なお寺である)の大乗院門主であった尋尊が約50年の長きにわたって付けた日記である。日記といっても現代のそれとはやや性格を異にしており、業務日誌的な性格が強い。門主尋尊は一条兼良の息子で、わずか9才で大乗院に入室した。そして門主に返り咲こうと画策する先の門主経覚と熾烈な戦いを展開しつつ、大乗院に中世文化の花を咲かせるのだ。
この尋尊が詳細な日記を書き続けた理由はなんなのか。著者五味氏はこう語る。
ことさらに「後日のため、これを記す」と念を押され、さらに花押まで据えられた記事は(略)いずれも他者―大乗院領の荘民、興福寺の他の院家、興福寺の衆中、大乗院の末寺や被官など―との紛争に備えて、将来繰り返し同様の問題がおこったときに、相手を承服させるために記されたのである。(P280)
となると、自分方に有利な書き方になるのも自然の成り行きである。たとえば、尋尊は「地作一円」という言葉を使って地主や作主の権利も領主である大乗院のものだと繰り返し主張する。(P281~282)
けれども、彼の主張は現実的には認められていなかったようだし、その日記には嘘がある、とその当時既に非難されていたのだ。
『多聞院日記』には、「惣じて大乗院は非義を以て本と為し、結句非例を以て後証と為し、日記等に引付し、沙汰し置かれ云々、言語道断なり」(P282。書き下しはmisatoによる)「だいたい大乗院は道理にあわないことをもっぱらとし、挙げ句のはてには先例に背くことを後の証拠として日記などに書き付ける」(P283。読解は五味氏による)と非難され、さらに「言語道断也」(P282)とばっさり言い切られている。この辺り、私利私欲の絡み合う複雑な人間関係が垣間見られて興味深い。
小説にはフィクションの要素があるように、日記には我田引水の要素がある。それらの向こうに遠い時代のひとびとの面影を見るとき、我々の心はある種の感慨を覚えるのだ。