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要必読。文学研究する人は必ず読むべき本である。
ロシア・フォルマリストのように詩的言語と日常の言葉を切断してしまうことを嫌った彼は、ぎりぎりのところまで凡庸な言葉で批評したとみえる。
【芸術と責任】
純粋な感情移入というのはそもそも不可能なのであって、もし仮にわたしが他者のなかで本当に自己を喪失するのだとしたならば、つまり唯一のものであることを止めたならば、わたしの非在というこの要因は決してわたしの意識の要因となることができないだろう。
p52
ただ責任ある行為だけが、あらゆる仮言性を克服するのである。というのも、責任ある行為とは、決意の実現であるからで、それはもはや逃げ道がなく、修正がきかず、とりかえしがつかないからである。行為とは、最後の総括であり、全面的で最終的な結論なのである。行為は、意味と事実、普遍と個、現実と理想を、単一で唯一のもはや最終的なコンテキストにおいて連結し、関係づけ、解決するのである。なぜなら、これらすべては行為の責任ある動機づけを構成するものだからである。行為のうちに、単なる可能性から一回かぎりの唯一性への出口があるのである。
【行為の哲学によせて】
【美的活動における作者と主人公】
【言語芸術作品における内容、素材、形式の問題】
p21/3
p28/2
p29ラストから二行目
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