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この本の後半は、阪田寛夫にしか書けない彼の家族にまつわる私小説。
私小説といえば普通自分自身のことが書かれるものですが、
阪田さんのそれは、全て彼の家族の小説。
家族とはいえ他人の話を、本人よりも遠慮会釈もなく書きつけるこういう小説を
普通の神経では書けない。
この『ピーター・パン探し』に収録されている
「夏の月」、「兄の帰還」、「くじらの骨」は、彼の兄と嫂の話。
悪意は確かにないかもしれないが、仮借も一切ない。
「天に近いほどの楽天家」で「我慢の権化」だった兄に、
『お前はハイエナのようなやつや。たまには自分のことも書きさらせ』と
言われた(実際には嫂に口伝で聞いた)とか、そういうこともさらりと書く。
その上で、兄夫妻の歴史の隅から隅まで、何の思い入れもはさまずにしらじらと書く。
兄に痴呆の症状が出始めてからの金婚式のお祝いで、
兄が賛美歌の伴奏に合わせて口を動かしているのを見て
会の出席者が皆喜んで何度も何度も同じ曲を歌うのを、
嫂が、「ねぇ、ごはんだごはんだを歌いましょうよ!」と止めたので座が白けた、実際演奏してみたが今度は兄の口は全く動かなかった
とか。
ハイエナと呼ばれたのは、阪田寛夫が、実母の死を小説の題材にとって
何本か小説を書き、賞をとったときのことですが、
確かにこの母の小説も凄い。
以前にもここで書いた『うるわしき朝も』にその小説が収録されているのですが
普通どんな人間でも、自分と母との関係を全て言語化することなんかできないと
私は思っていましたが、この世の中で阪田寛夫だけはそれができるのですよ。
(だけかどうかは知らないけど。私が知る限りでは阪田さんだけ)
ここまで透徹した視線で、家族に纏わる感傷を一切排して、
家族を一人の人間として描き出すというのは
並みの精神力ではできないことです。
家族から、こうして切り離されて一人の人間として露わにされると
人間の精神の気高さとか、強靭さが、むしろ浮き彫りになってくるからすごい。
思い入れを排して家族の死を書くことがどれくらい異様な迫力があり
忘れられない記憶(傷といってもいい)となるかというと、
これはもう読んでみるしかないと思うのですが
私にとっては、『うるわしき朝も』は、オールタイムベストといっていいほど
心に残る名作です。