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紙の本
実は今を語ろうとしているのかもしれない
2004/12/14 23:55
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投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰もが知っている史実とファンタジーをどのようにして結びつけて新しい世界を創り出すのか、ということに注目して読み進めてきた栗本版新撰組物語の第6巻です。これまでは新撰組の「し」の字はおろか、沖田総司もいかにも子どもで、いつになったら新撰組が出来るのかとじれったくなっていたし、その途中途中に異次元世界のエピソードがチラチラしていて、余計にじらされている感じがありました。
この第6巻は、史実としてこのようなことがあったかどうかは知りませんが、沖田総司と斎藤一が高尾山の霊験あらたかな寺を訪れて起こる一連のエピソードが描かれています。これまでと同じようにじらされるのかと思っていたら、みごとに裏切られてしまいました。それまでは主人公でありながら何となく狂言回しのようにしかみえていなかった沖田総司が、一気に主人公らしさを身につけたような振る舞いをします。いわゆる「目覚めた」という感じです。そうか、だから異次元世界ともこうやってつながっていくのか、ということが分かってくるのです。やっと物語が始まった、という感じでしょうか。この調子で新撰組に進んでいってほしいものです。
さて、この物語の沖田総司はいくつもの人格を内に抱えた人間として登場していますが、これまでの自分のことを「以前はなんだかいつももやもやっとしてきて——そうなると、そのしばらくの記憶がなかったり、ここにいると思ったのに気がついたら、違うところにいたり——そういうおかしなことがたくさんあったんだけれど——」と語っています。最初は、いくつもの夢幻世界の人格を抱えていることなのだと理解していたのですが、これってまるで、この頃精神医学の世界で話題にされる「解離」ではありませんか。精神医学的診断に従えば「解離性遁走」といったところでしょうか。だとすれば、異次元の人格を共存させているというのは、「解離性同一性障害」ということになるかもしれません。
江戸幕末や異次元の世界のことを語りながら、実は栗本の語ろうとしているのは、現在のわれわれの抱えている問題なのかもしれません。
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