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紙の本
「目次」を見ただけでなかなか興味深い
2000/07/09 17:18
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投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
上野明正堂書店のカウンターにあったので手に取り、(1)「大昔、東京都心の半分は海だった」、(2)「江戸城の巨石はどこからもってきた?」、(3)「お台場のつくられたワケ」、(4)「小笠原諸島 危うく日本ではなかった!?」、(5)「神田学生街はなぜできた?」、(6)「秋葉原はどうして電気街になった?」、(7)「花火大会は水難者の供養から」等々、「目次」を見るとなかなか興味深く、買うことにする。さて、皆さんは何を知りたいだろう? とりあえず(5)を紹介すると、九段と駿河台に挟まれた小川町低地の南側(現・神田錦町、一ッ橋周辺)には、火災から江戸城を守るための広大な防火用空地があった。そして明治入るや、洋学を直輸入して人材を育成するため、官立学校を集中的に建てた。現在の東大、東京外語、一橋大、事実上の官立学習院などである。ところが官立に入れる学生数は極端に少なく、現在とは逆に月謝も高額だった。そこで月謝の安い私立、現法政、専修、明治、中央、日大、独協、東京理科大、東京医科歯科大などが創設されたのだ。官庁が近く、官僚らが夜学で教えるにも至便との理由もあったようだ。また、庶民が住む町にしては不便なため地価が安く、広大な敷地を要する学校が買いやすかった。言うまでもなく、これらの大半の大学は、いまや八王子などの田舎に移転した。(4)も紹介しておくと、東京都に属する小笠原諸島は、聟(むこ)島(四島)、父島列島(九島)、火山[硫黄]列島(三島)と鳥島、西之島から成る火山島群である。最大の父島は千代田区の約二倍、母島、硫黄島は北区と同面積である。1593年、信州(松本)城主小笠原貞頼が発見、自分の名を付けたが、その存在を馬鹿幕府が知ったのは1670年というから驚く。さらに半世紀後、日本近海に外国船が出没しはじめ、林子平らは海防の必要性を説き、渡辺華山、高野長英らは著書で「無人島」に言及するが、彼らは処刑される。米国の捕鯨船が島を発見、船長の名を付け、英国の測量船が諸島を英国領と宣言、ペリーは浦賀に来る前、二隻の艦隊を父島に寄港、貯炭所を設けもした。東京府に移管されたのは明治13年である。第二次大戦の戦況が悪化した昭和19年2月、全島人7711人の内、6886人は本土に強制疎開させられ、いまなお父島以外の居住は許されていない。
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