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頭の良い人だろうに何で言ってることが納得できないのかと思ったが、使っている「ヤクザ」という単語の定義しているところが今の時代で全く異なっているためだと気づく。その辺をあわせて考えても、昭和の亡霊と言って失礼なら20世紀の亡霊と言った印象。国、特に警察関連の悲観的な予言は見事に的中しているが、自分語りは普通の繰言。
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宮崎学がどのような人か知らなかった。
1945年生まれ。
1960年代後半の早稲田の民青から
ゲバルト部隊のリーダーとして、
東大闘争に参加する。
結局、自分の親が、京都の伏見で、
やくざをしているので、そこに戻り、
土建会社を行う。地上げなどを繰り返すが、
借金が、たまっている。
グリコ・森永事件の重要参考人としてマークされる。
やくざの考え方が、
地域に根ざしたやくざという考え方をしているので、
おもしろい。
広域的やくざの存在ではない、役割。
やくざの人権擁護という視点。
要は、世の中、喧嘩で成り立っている。
学生時代に心・魂を揺さぶられたということに対して、
何らかのアプローチがいるのかなと思ったりした。
つまり、その中で、大切にしたいという気分でしょうか。
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『突破者』が面白かったので他の著作もちょいちょい読んでいたのだけど、これは大昔に買ったまま放置していた。喧嘩についての威勢のいい話がたくさん読めるかと思ったらそれほど喧嘩がテーマではなく、いろいろな人との対談だった。ほかの本でも読んだような話題が多くて目新しさはあまりなかった。宮崎さんは今もお元気なのだろうか。