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まぁ、大河ドラマにもなった有名な話。世界の列強と肩をならべる明治日本の近代化の話。なんというのかな、ナショナリズムの発露っちゅうか、清国、露西亜なにするものぞっ、てなる本。個人的には主人公の秋山兄弟の活躍に血湧き肉踊る。途中で時折だりーな、って思っちゃうんだけど、最後のカタルシスっつーのかアレがやっぱスゴい。5巻。
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相変わらず時代と人物の描写がすばらしいです。
でも前半の子規が生きていた頃とはまるで別の小説のよう・・・
戦術や当時の時代背景を楽しむのにはとてもいいけれど、
青春とか志とか友情とか、、、そういう内容が減って、ちょっとさみしい。
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203高地をやっと攻略する回。
児玉と乃木のやり取りがしゃれている。
あとロシア帝国政府がダメ過ぎて、実際に戦っている軍人たちが可哀相で仕方がらない。改めて、日露戦争はロシア帝国が存続の危機に遭ったからこそ勝てた戦争なんだなと思う。
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旅順での戦いにおける児玉サンの気遣い、勢い、乃木サンの誠実さ。とても心うたれる巻。
「伊地知は、よくやっとるでのう」「伊地知は専門家じゃから」という、乃木サンのどこまでも献身的にも見えるような態度は乃木サンの人の良過ぎる性格が今や欠点となっているが故に、なんとも心苦しくなりました。
「貴官の目はどこについている」「国家は貴官を大学校に学ばせた。貴官の栄達のために学ばせたのではない」「たれも責任を感じてはいない!」という、児玉サンの言葉には胸をえぐられたようなきもちになりました。
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<本の紹介>
強靱な旅順要塞の攻撃を担当した第三軍は、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流しつづけた。一方、ロシアの大艦隊が、東洋に向かってヨーロッパを発航した。これが日本近海に姿を現わせば、いま旅順港深く息をひそめている敵艦隊も再び勢いをえるだろう。それはこの国の滅亡を意味する。が、要塞は依然として陥ちない。
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読んでて、色んな立場の人が色んなものを背負って戦ってるのを改めて感じました。
特に、上層部の面々の描写。本当に多岐に渡って取材して、魂込めて書いたんだろうなって、中身もそうだけど司馬さんに感謝を伝えたいと思いました。この人、本当にすごいですね。
「売れる本を書こう」とか、そういう次元の本じゃない。
同じ日本人に伝えたいことがあったんだろうな、残したいものがあったんだろうな、自分も日本人の端くれとして、それを感じて読まずにはいられない。時には日本のダメさ加減の描写も、一時的には反感を買ったとしても長い目で見て「後世に伝える」って意味じゃ宝になってると思います。
自分たちの本当の歴史をリアルに描くことで伝えたかったのは、この人が日本人として生まれて、歴史を創る戦争に自らも参加して感じた、「日本に生まれたことへの、同じ国に生まれた人たちへの感謝」だったんじゃないかな。とか、思いました。そういう想いを感じるからこそ、いろんな人が共感する作品な気がします。
この戦争を戦った人たちはたくさんの同じ時代に一緒に生きた人たちの生死に直面して、自分の限界も何度も味わって、何度も死線を越えて、でもそこから逃げることもできない。およそ彼らの想像できなかった未来を生きてるだろう自分は、その彼らへの感謝も少なくとも今までしてこなかった。
「イチ(1)どハク(89)うにっシン(4)やきそば」とかってロゴで覚えた日清戦争と、その10年後の日露戦争。年号を語呂合わせで覚えただけだった日本の歴史上の出来事は、今、リアルに脳裏に刻まれていってる。「これをどこかで教科書にしたらいいのに」とか思うけど、多分中学、高校の俺がそんな授業を受けても余計読まないと思う。焼くか捨てるか売るか。。。今思えば恥ずかしいことだけど、多分そんな感じ。
でも、仕事を始めて、自分の生き方を考えるようにもなって、戦場に駆り出された人たちはその先に「死」が待っていようとも上官の命令は絶対で、逆らうことは許されない。そんな人たちと比べたら、自分はまだまだ甘ちゃんだと思うし、けどそれでもこの時代にこの平和な国に生まれたことを感謝したい。そしてそういう世の中に生まれたんだったら、したいことを思う存分させてもらおうかな、なんて気にもなってくる。
口で言うのは簡単だ。そろそろ、自分も形で見せなきゃな。
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かなり丁寧に史実を検証して、書かれているな~
読んでいて、情景がもの凄く想像できて、ぞくぞくした
それにしても秋山兄弟って破天荒だな~
乃木大将の印象が180度変わった・・・
勇猛果敢じゃなかったのか・・・
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287P 水師営
「『負けてもいい、勝ってもいい。ともかくこの惨烈な戦争が終わったのだ』という解放感が、両軍の兵士に、兵士であることを忘れさせた。このまだ交戦中であるはずの段階において、両軍の兵士がこのように戯れながらしかも一件の事故もおこらなかったというのは、人間というものが、本来、国家もしくはその類似機関から義務づけられることなしに武器をとって殺し合うということに適いていないことを証拠だてるものであろう。」
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ポイント
ドイツの陸軍vs海軍
旅順降伏時の双方の人間的喜び
総司令部の、「ロシアは冬に攻撃しない」という固定観念
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・4/10 全8巻のうちの半分が終わった.結構長かったからこれから後半でどういう話にまで行くのか楽しみだ.
・4/14 読了.話しの進み具合がかなり遅いから、この分だと最終巻まで日露戦争の話しで終始しそうだ.それにしても司馬遼太郎は確かにいろいろな文献や資料を元に書いているんだろうが、多分に独自の着想による創作が含まれている筈だ.それぐらい細部の描写が細かくされている.およそ文献や資料にも書かれていなさそうな事実が語られているからだ.
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人々が純粋で従順だったことは決して悪いことではない。
それを「物を知らないから」だとか「洗脳されてたから」だとかで下位に観た言い方をするのは好きじゃない。
そういう純粋な人々に対して碌でもない使い道を思いついた奴らこそ下位だと思うけど、「そういう時代」「そういう思想が普通」だったんだと言われたらそこがまた100年後の私たちが善悪をどうこう言えるものでもないので余計に難しい。
ただ、いずれも実際に過去には存在していたことなので四の五の言うことこそ野暮なのかもしれない。
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オフィス樋口Booksの記事と重複しています。記事のアドレスは次の通りです。
http://books-officehiguchi.com/archives/3927720.html
第5巻のあらすじは次のとおりである。旅順総攻撃の作戦を修正したことで、難攻不落と言われた二〇三高地の陥落に成功した。二〇三高地の占領後、旅順にあるロシア艦隊の全滅に成功した。ロシアのバルチック艦隊がサンクトペテルブルグから喜望峰を経由してインド洋に向かうところである。
バルチック艦隊は最初から統制がとれていなかったことが気になった。具体的には、工作船カムチャッカは石炭の質が悪いために遅れ始めたこと、隊員の士気が下がっていたことである。NHKのドラマでは、ロシアからの命令が曖昧であったため、マダガスカルに滞在していたことも日本海海戦で勝敗を分ける要因になったのではないかと考えられる。この一連の出来事は、今後の研究の課題としたい。
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なかには、日本兵が、ロシア兵の堡塁までのぼってゆき、酒を汲みかわしたりした。さらには酔ったいきおいで日露両兵が肩を抱き合いながら敵地であるはずの旅順市街まで出かけてゆき、道の酒場へ入ってまた飲むという光景さえみられた。むろん軍旗違反であった。しかしこの人間としての歓喜の爆発をおさえることができるような将校は1人もいなかった。・・・この光景がありえたというのは、まだ戦争にモラルが存在した時代であったからということもいえるし、さらにはこの旅順攻防戦が、人間がそれに耐えうるにはあまりにも悲惨であったからともいえるであろう。
旅順攻防戦の想像を絶する激しさを物語る話だ。そのような時にこそ、人間の真価が現れることが、日露の将校を綴る文章からわかる。
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【概要】
懸案の旅順は、児玉源太郎が異例ながら乃木より統帥権を穏便に一時借用(剥奪)して指揮し203高地をわずか数時間で奪取。観測所を設け旅順港内のすべての艦隊を撃滅したことにより戦線が一気に好転。敵将ステッツェルの保身意識の高さから露が降伏し、水師営にてステッツェルと乃木との会談に至る。
一方で、バルチック艦隊は喜望峰を回航しマダガスカル島北端に到着する。この間、日本の同盟国である英国が海域を脅かし、さらには戦局の旗色が悪いことから露の同盟国であるはずの仏が、仏領港での石炭載積作業に難渋を示す。また、旅順陥落の悲報にロジェストウェンスキーの当初の戦略である、2倍兵力による東郷艦隊撃滅の素地が崩れる。露に遺してきた老朽艦隊が応援として差し向けられるに留まり、来る海戦での敗戦がほとんど予想されるに及ぶ。
冬営していた沙河戦線では、連勝気分と極度の寒さから、児玉ら作戦参謀が「この寒さで露が攻めてくるはずがない」という根拠のない思い込みに至り、好古の報告する敵情をことごとく黙殺する。クロパトキンらは地道に兵力を増し、グリッペンベルグ率いる軍が南下して日本の弱点である最左翼に迫る。さらに奇襲軍が日本戦線の後方を脅かす。
一方好古下の永沼挺身隊および谷川挺身隊も、露後方を脅かすため遥か北上している。特に永沼は冷静かつ柔軟な采配により、露の鉄橋爆破に成功。いずれも小部隊での北進であったが、露側が一万の大部隊と誤認したため、クロパトキンの判断によりミシチェンコ騎兵が後方の戦線に下がることになり、予想外の効果をもたらした。
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全8巻の坂の上の雲もいよいよ後半戦。本巻は、203高地攻略、旅順占領、黒溝台会戦の途中までが描かれている。203高地攻略は読んでいて清々しさを感じるし、ロシア軍が降伏し旅順を占領した記述は一読者の身ながら達成感が満腹だった。しかし、日露戦争はまだ終わらず、黒溝台会戦に突入していき、また戦争モードに戻されてしまった。そして忘れてはならない、ロジェストウェンスキー司令長官率いるバルチック艦隊。いまだアフリカ大陸のマダガスカル島にいる。ダメキャラ全開で哀れ過ぎて同情したくなるほどだ。
本巻では主人公の秋山兄弟の記述はほとんどなく(もう一人の主人公:正岡子規は3巻で死去のため影も形もない)、まるで日露戦争記といった感である。
以下に、興味深いシーンを列挙したい。
「諸君は昨日の専門家であるかもしれん。しかし明日の専門家ではない」
→児玉源太郎が参謀本部で怒鳴った論である。児玉の言わんとすることは「専門家に任せきりにしてしまうと、出来ない理由を並べ立てられ実行に移せない。専門家の言うことばかり聞いて保守的になってはいけない」ということだ。専門家の諫言ばかり聞いて、中々203高地を攻めない乃木希典にそのままあてはまるため、児玉は乃木を説得しに旅順に向かったのだった。
「豊島は物を知りすぎているから、そう思ったのだろう。わしは何も知らんから、敵に撃つ余裕を与えぬほどに、こっちが撃ち続ければよかろうと思ったのだ」
→同じく児玉源太郎の言葉だが、上記と同じ論理である。知らない者であればこそ、怖いもの知らずで行動が出来るということだ。
「いくさは何分の一秒で走り過ぎる機微を捉えてこっちへ引き寄せる仕事だ。それはどうも智恵ではなく気合いだ」
→これも児玉源太郎の言葉。いくさでも仕事でもスポーツでも、勢いの重要さは否定できない。
「冬季はロシア軍は動くまい」
→満州軍総司令部参謀の松川敏胤が、黒溝台会戦前に放った固定概念である。「この厳寒時に、大兵力の運動はとても行えるものではない」というのが唯一の理由である。戦術家が、想像力を一個の固定概念で縛り付けてしまうことは最も残念なことだが、長期の疲労か、情報軽視からか、それを冒してしまった。ロシアがナポレオンの常勝軍を本国に引き入れて撃破したのは、冬将軍とも言われる冬季を利用したからに外ならない。こうした戦史上の習性を知らないため、黒溝台会戦では思わぬ苦戦を強いられてしまう(結局は勝利したのだが)。これを児玉が同意してしまった点が残念でならない。児玉は本書の中で好きなキャラの一人であるのに。しかし、長いくさで疲労し、麻痺した部分もあるのだろう。優秀な人間も失敗するというのも、人間らしくていいじゃないかと思えてきた。
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大本営、海軍、満州軍から再三、二〇三高地の攻撃・奪取を要請を受けながらも、その戦略的重要性を理解せず、要塞の正面攻撃を少数の兵員の逐次投入を繰り返す乃木軍に対して、ついに満州軍参謀総長の児玉源太郎が動いた。満州軍総司令官大山巌の代理として現地に出向き、乃木に代わって二〇三高地の攻撃を開始するのである。そして、敵の猛反撃を受けながらも、二〇三高地を奪取することに成功する。山頂に28センチ砲を据え付けたことで、旅順港内の敵艦隊を自由に狙い撃ちすることができるようになった日本軍は、いとも簡単に敵艦隊を殲滅することとなる。日露戦争で英雄とされてきた乃木であるが、本書では決断できない無能な司令官として描写されており、これまでのイメージは覆される。児玉の行動がなければ、旅順艦隊はバルチック艦隊の到着まで温存され、日露戦争そのものの勝敗すら代わっていたかもしれない。一方、当時世界最強とも言われたロジェストウェンスキー率いるバルチック艦隊はバルト海を出発し、一路極東へと向かったものの、その足取りは悲惨を極めたといっていい。日本艦隊の待ち伏せという、幻想におびえ、イギリス漁船群を誤襲撃し、その後もいるはずのない敵艦の幻影におびえながら航海を続ける。また、途中日英同盟の相手国であるイギリスの支配地域は無論のこと、フランス圏においても、イギリスの圧力が働き、ロシア艦隊は燃料である石炭の調達と、兵員の急速に支障をきたしながら極東をめざしたのである。情報の管理や外交戦略の稚拙さと、兵員の士気の低さなど、外身には協力な戦力に見えるものの、実態は張り子のような存在であったということであろう。また、地球の外周の3分の2に相当する3万キロにもおよぶバスコダガマやマゼランなどの大航海時代を再現するような大航海の後では、日本艦隊に出くわしたときには既に戦闘に足りるだけの体力や士気は尽きていたであろうと思われる。ロシアの敗因は、戦力ではなく、その腐った官僚的国家体制と、体制に不満を抱えながら徴兵された農奴を中心とした兵員の士気の低さということだ。