紙の本
ドストエフスキー作品の典型的キャラクター
2009/04/30 02:10
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ペテルブルグの町なかを夜な夜な練り歩く若者が、本書の主人公である。友達もいない孤独な男だが、町で出会う人々や建物には愛情を感じている。彼はまた、人々が夏の休暇で町からいなくなるだけで憂うつな気分になるほどの寂しがりやでもあった。
そんな夏の夜、主人公はある運河のほとりでナースチェンカという若い女性と出会う。彼女は再会の約束をした許婚を待っているのだが、許婚は現れていなかった。主人公は、その後毎晩彼女に会って恋の手助けをしつつ、次第に彼女のことを好きになっていく。彼女も彼への感謝と尊敬の念を強める。四日後、いまだ現れない許婚に愛想をつかした女に、男は突如求婚をし、女もそれを受け入れる。幸せな気分で白夜の町を歩き回る彼ら。しかし、その直後女の許婚がそこに姿を現わす。走り去ってゆく女。一瞬にして遠ざかった幸せを苦々しく見つめる男・・・
四夜のできごとすべてが物語のタイトルである「白夜」に見た夢さながらに感じられる幻想的で美しい短篇作品である。ドストエフスキー作品ではおなじみのペテルブルクという都市の魅力も存分に描かれており、多くの読者が、このロシアの古都への憧れを強くすることだろう。
女の心変わりに涙を流しつつも、その幸せを願い、彼女との束の間の愛を大事に思い出にとどめようとするお人よしの主人公は、ドストエフスキーの典型的キャラクターの一つであろう。それは、『罪と罰』のソーニャ、あるいは『白痴』のムイシュキン公爵のように神的な愛の権化ではなく、俗的な欠点やもろさを有した普通の人間である。だが彼らは、不器用ながらも純粋でやさしい心をもっている点で魅力的である。『悪霊』のシャートフ、『白痴』のパーヴロヴィッチ、あるいは『罪と罰』のラズミーヒン、そしてこれらの原型ともいえる『貧しき人々』の主人公マカール・ジェーヴシキンが、このような人物の例といえよう。
紙の本
ナースチェンカ!
2004/05/31 15:36
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風(kaze) - この投稿者のレビュー一覧を見る
『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』といった大作を書いたドストエフスキーに、
こんな可憐な小品があったなんて。
1848年、ドストエフスキー27歳の作品です。
夢想家の青年がナースチェンカという女性と出会い、一途に愛するその恋の成り行きを描いた話。途中までは、「ふーん」て感じでさほど興が乗らずに読んでいったんですが、ナースチェンカが身の上話を始めるあたりから、徐々に話の中に引き込まれていきました。
ちらちらと舞い落ちてくる泡雪のような、夢まぼろしの幻影を見るような美しい作品。
終盤の話の展開には、ロマンティックで可憐な小品というだけにとどまらない、ドラマティックな激しさも感じました。
ペテルブルグの街を背景に、自分でもどうにもならない熱情に翻弄される青年の姿が、描かれています。
チェーホフの「中二階のある家」「ともしび」などとともに、余韻が尾を引くドストエフスキーの小品です。
胸をかき抱く女性の写真が載っている角川文庫の装幀も印象的です。
紙の本
初期ドストエフスキーの中篇
2003/06/21 12:12
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
初期ドストエフスキーの中篇。
空想的であるとか、感傷的であるとか、そういう紹介をされているが、実際この物語はその空想のぶざまな敗北を描いている。友人もなく一人で街をうろつく青年は、そのうち街のあらゆる建物や、すれ違うだけの人々に親近感を抱いていった。街の建物が喋る、とか今日もすれ違うあの爺さんとはすんでのところで言葉を交わしそうになった、と述懐するのである。その時、青年が街で出会うのが、恋人を一年待った挙げ句いまほとんど無視されかかっている女性であった。
この女性と出会い、主人公は彼女を愛し始める。だが、女性は今でもある男を待っており、主人公は自分の感情を口にはしない。そういう関係の中でのやりとりがまた、面白い。主人公は女性を愛しているのに、女性からは自分を愛さないなんて、と非難されたり、親密さを強調されたりするのだ。生殺しである。
静かな悲しみの物語かと思うと、結末できっちり哀れで滑稽な主人公を描く(女性と主人公と男とが一度に出会うのだ)ところは、やはりドストエフスキーだ。
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まさしく白夜の弱い明りに相応しい恋物語。ああ、ドストエフスキーってロマンチストだったんだなと。これを片手に、ペテルブルグを歩きたい。
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ドストエフスキーってこういう恋の話も書いてるんだなあ。恋愛経験のない男が貴族風の女性に恋をして、一度は向こうにも思いが通じるのに‥はかない恋だなあ
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がーーーーーーん。。
まぁでも大体女っていうのはそういうもんですよ実際。
ちょっとぷーーーんってなってるときにちょうど良くちょうどいい人がやってきたら、そっちにぷーーーんって行っちゃうんだよ。
全員じゃないと思うけど。。
ちょっとカフカみたいだとも思った。
ロシア文学ってこういうものなのかな?
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最後の最後の展開が全て。まぁ、短編ですしねぇ。
女って怖いなって言う話です。実際そんなもんですよ。女なんて…(遠くを見ながら)
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初恋の時の苦しくも熱い気持ちが甦ってきました。
初恋というのは、成就しないからこそいつまでも胸の中で美しい思い出になるのでしょう。
主人公の若者に、共感。
オイラも女性を知るまで空想癖がありましたよ。
あ、いや今もか!
好きな女の子との逢瀬の度に一喜一憂していた若かりしあの頃。
あんな風にもう一度女性に恋することなんてあるのだろうか??
前回、大作カラマーゾフを読んだ時のような、辛さは皆無。
非常に読みやすい中編。
ドストエフスキー作品群の中でも埋もれているであろう爽やかでほろ苦い一編。
入門編としてもよいのでは?
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借本。
哀しい話です。
著者は固いイメージがあったので、目から鱗。
ドストエフスキー初心者はこの本からはじめるのが良いかもしれない。
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すっと前に読んだので…。
せりふとかが素敵です。独特の言い回し。
切ない物語。
読みやすいですよ。
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ドストエフスキーの中で一番好きかも。
ドストエフスキーの人間の根底の気持ちを書いたラブストーリーがとても印象的。
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超情熱的な一瞬の恋の物語。ドストエフスキーってかロシア文学自体が初めてに等しい感じだったんですけどすごい不思議な感じだった。「ああ!」とか「おお!」とかロシア人はこんなに感嘆詞を使うのか…!笑
お話自体は短くて読みやすかったです。
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ロマンティックです。 恋人からの便りがなく悲しむナースチェンカに恋をした主人公。彼はドストエフスキーが好んで描く純真な心優しき人で、私はその優しさに恋をしてしまった…
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私みたいな妄想家が弄ばれる。。。
ロマンティックが止まらない〜♪
しかし女性はずるいよな〜。
可愛かったら何でも許されるんですから。
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ドストエフスキーの【白夜】を読んだ。
実をいうとこれが初ドストエフスキーである。つくづく「名作」と呼ばれる部類の作品を読んでいないな
と実感した次第だ。ドストエフスキー然り、へミングウェイ然り。
これを機に海外の著名で大御所と呼ばれる作品にも目を向けてみようと思った。
さて、【白夜】である。
これは【罪と罰】や【カラマーゾフ兄弟】といった超大作が有名なドストエフスキーの短編小説だ。
訳者あとがきによると、この【白夜】はよほどの愛好家でないと目を通すことのない作品なのだという。
ドストエフスキー初体験にして、いきなりコアな作品を読んでしまったようだ。やはり大道の【罪と罰】
からいくべきだったか。
【罪と罰】は近いうちに必ず読むこととして、読んだからにはこの【白夜】について書きたいと思う。
ペテンブルグに住む貧しいインテリ青年のはかない恋物語。青年は日々の大半を孤独と空想の中で過ごし
ている。いわゆる妄想族である。そんな彼がある夜、ひとりの少女と出会う。とある事情を抱えた少女も
また妄想族なのであるが、そんなふたりが奇妙な恋愛関係に陥る。だが、空想と現実が入り乱れる恋物語
も最終的には厳しい現実に打ち砕かれていくことになる。
はじめは、主人公の行動や少女との会話、恋愛における心理状況などに「なんて幼稚な恋愛なんだ!中学
生レベルではないか!」と笑ってしまった。
途中から「まてよ。ドストエフスキーのこの時代(1848年)のロシアでは、こういう恋愛感情をもつ
ことが当たり前の時代だったのかもしれないな」と思い、最後には「そうか、これは空想家の青年の物語
だ。恋愛と縁のない生活を送ってきた若者がもつだろう心情ということではまさにその通りではないか」
と感心してしまった。
本文中で青年が「二十六歳にもなっていままで女性というものに触ったことすらない」と断言するシーン
がある。つまり、言葉は悪いが、これは妄想癖の激しい二十六歳の童貞男の恋なのだ。
なるほどそういう設定を考えてみるとこれは、なんとも理にかなった内容である。
恋に恋焦がれる。そんな歌があったがまさにその世界だ。人はこれを「ロマンチズム」と呼ぶ。理想の汚
れなき恋愛。叶わぬ初恋に傷心する。誰もが経験するであろう「ロマンチズム」の青春時代だ。
ドストエフスキーはこの「ロマンチズム」を空想家の男女という更に深い設定で描ききった。
純真であるからこその恋愛模様なのだ。いまの時代なら「アキバ系」などという言葉で簡単に片付けられ
てしまうかもしれない。しかし、ドストエフスキーの手にかかればそれは「ロマンチズム」以外のなにも
のでもない。誰にだってそんな時代があったはずだ。簡単に一笑する訳にはいかないのである。
最後にひとつだけ言わせてもらえるならこういった海外作品の多くに思えることは「訳者の文章力は、い
い意��でも悪い意味でも本当に重要であるな」と感じた。
直訳に近い(原文を読めるわけではないから偉そうなことは言えないけど)と、それはやはりなんとなく
読みにくいものである。