2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くおん - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間と暮らした一匹の猫の物語。
猫のダルシー(あたし)にとって、飼主(あたしの人間)はしもべ。ダルシーは彼女の女主人。飼主は、猫のご機嫌をとり、やさしく抱きあげ、食事を用意したりするものだから、猫の立場からしたらこれは当然の考え方かもしれません。
この物語が、人間と猫の愛の物語であることに疑いの余地はないのですが、「愛」の中でも、これは強い「愛着」の物語だ、という考えが私にはぴったりきました。心理学用語として「愛着(attachment)」には「人間(動物)が、特定の個体に対してもつ情愛的きずな(affectional tie)」という定義があります。幼い子どもが母親へ求めるきずながわかりやすいですが、愛着は動物に対してだって物に対してだってもつことができます。ダルシーと飼主は、きっとお互いにそんな関係じゃなかったのかなぁ。
毅然としていて、人間に惜しみなく愛を与え、愛を求めた、ダルシーの一生に胸を打たれました。
投稿元:
レビューを見る
感動で大泣き。
生きるって事、愛するという事をダルシーが教えてくれました。
私の1番好きな話です。
投稿元:
レビューを見る
ダルシーを一人称として書かれたこの物語は、胸がつまるほど濃い愛の物語。決して従属することなく生きながら、一途な愛を求め、すべての愛を捧げていく、ダルシー。時に嫉妬し、拗ね、孤高を装えば装おうほど、求める愛の大きさと深さに気づいていく。歳を重ね、老い、病に苦しみ、死の淵に彷徨うダルシーは、持てる全ての愛を捧げ尽くして、ついに逝く。
<感想>猫と飼い主、いいや命と命の絆の強さとでもいえるだろうか、互いを求め、互いを必要とし、ここまで切ない絆をあたしは知らない。
投稿元:
レビューを見る
内容(「MARC」データベースより)
人間と暮らした一匹の猫が、頭と体と心だけを使って猫の生涯をまっとうしようとする自分とその周囲を、一人称で描写していく。動物と暮らすことが醸し出す、ストレートで、強く、正確で、濃密な愛の物語。
投稿元:
レビューを見る
何度読んでも号泣。
そしてずっと手放せない作品。
愛すべきダルシーは、
私の心の中で生きています。
投稿元:
レビューを見る
【人間と暮らした一匹の猫が、頭と体と心だけを使って猫の生涯をまっとうしようとする自分とその周囲を、一人称で描写していく。動物と暮らすことが醸し出す、ストレートで、強く、正確で、濃密な愛の物語。】
これが全てです。江國香織さんの翻訳も素晴らしい。
猫嫌いな人もダルシーを猫と思わず"一人の女"として読んで欲しい。
愛に泣けます。
投稿元:
レビューを見る
ネコの一生を生まれてから死ぬまで一貫してネコの目線で描かれている。
「この人は前世がネコだったんじゃないのか?」
と疑うほどネコにゃんのこと良く見てるんだろうと読んでいてふと思った。
ネコと飼い主の愛情が克明に表現され、最後の方は涙で活字を追うことができなかった…
うん、「ネコと飼い主」と言うのは不適切な表現だ。
この「二人」は真のパートナーなんだろうな。
そして、この本をより生き生きとさせているのが訳者。
この様な世界観は江國香織さんの独壇場である。
僕はあんまり訳本に感動を覚えないのだがこれだけは数少ない例外の一つだった。
ネコがお好きな方は是非ご一読を…
投稿元:
レビューを見る
猫を飼ったことはないけれど、ほんとによく観察したんだなあと思う。こんなシンプルな人生、うらやましいです。
投稿元:
レビューを見る
洋物は読まないが、これは読んでしまった・・・
そして涙。
ウチの猫も最期はこんなふうに思ってくれるといいな。
投稿元:
レビューを見る
数多い猫本の中で、一番好きな本です。
あとがきで江國香織さんが書いていらっしゃるように、主人公のダルシーの目線は、猫の目そのもの。「あたしの人間」の外の生活に思いをめぐらせたりはしません。目の前の人間をただ愛するだけ・・・。
せつなくて、読み終わった後に、猫をぎゅーっと抱きしめたくなる本です。
投稿元:
レビューを見る
読みたい。けど書店を巡ってもない…
評判が凄く良いみたいなので本気で探しているのですが><
アマゾンで購入するしかないのかー;
投稿元:
レビューを見る
飼い猫が亡くなるというストーリーは知っていた。
感情移入しそうで6年間積読していたが、
ページを開いたら一気に読んでしまった。
ねこの距離感がいい。
海外でも日本でも、ねこにとって人間って下僕なんだなーと面白かった。
ただ、2匹めのねことの別れ方(安楽死選択)や
病気のねこを外出させるという行動は共感しづらい。
飼い主のために必死に生きようとするダルシーがけなげで
涙が止まらなかった。
投稿元:
レビューを見る
さて。困った。
読み終わってから、レビューを書けずに早数日。
わたしの手を止めた原因。
それが、訳者の江國香織さんのあとがき。
本書を読んで感じたこと、書きたかったことがほぼ全て書かれている。
端的でありながら深く、ダルシーの愛を語っておられる。
なので、そちらを読んでください。
……で終わるわけにもいかないので、うんしょっと重い腰をあげてみる。
原題『A CAT'S LIFE』の通り、一匹の猫の一生の物語。
「あたし」という一人称で猫のダルシーと、飼い主(と呼ぶとダルシーは嫌がるだろうけれど)の「あたしの人間」との濃密な愛の日々が綴られている。
「一生」と銘打ってあるからには、お別れのときまで描かれているだろうことを覚悟で読んだ。
悲しいんだろうなー。泣いちゃうかなー、気力落ちてるのでいやだなー。
と心配だったのだが、――泣かなかった。
悲しくないからではなくて(お別れはいつどんなときでも悲しい)、もっとずっとずっと満足感のほうが大きかったからだ。
ダルシーの目線で描かれている彼女の毎日は、なににおいても中心は「あたし」と「あたしの人間」。
いつの間にかダルシーになった気持ちで読んでいたわたしは、「あたし」が「あたしの人間」を熱烈に愛し、また心から愛されたことに満足して一生を終えることができたのだ。
ダルシーが瞳を閉じる瞬間まで、愛する「あたしの人間」のことを考え、見つめていた顔が「あたしの人間」だった。それだけで満足。
ダルシーの命の終わり方(終わらせ方)については、いろいろな考え方があり、なにが正しいと感じるかは人それぞれだと思う。正解がないことだとも思う。
(バートルビーのほうは、残念すぎるけれど……。)
ダルシーの目線で描かれているといっても、実際のところ本当のダルシーの気持ちがわかるわけではない。
「あたしの人間」=作者の「こうであってほしい、こう思っていてほしい」という自己満足だけで書かれたお話かもしれない。
でも、それならそれでやっぱり、作者のダルシーへの愛の物語であることにかわりはないのだ。
“けっきょくのところ
もんだいなのは愛ということ……” プロローグより
投稿元:
レビューを見る
猫好きブクログ仲間さんたちのおかげで、
また忘れられない一冊に出会うことができました。
生まれて、「あたしの人間」を選び、引き取られ、成長し
やがて老い、病気になり、この世に別れを告げる。
生き物としての運命を淡々と受け入れながら
ただひたすら、「あたしの人間」を愛するダルシー。
ダルシーにとって、あたしとあたしの人間以外はすべて、
「その他おおぜい」と一括りにしてかまわない、取るに足りないもの。
クリスマスの旅行で置いていかれても
遥か彼方にいる「あたしの人間」の気配を感じ取ろうと
耳をそばだて、ヒゲをピンと張りながら待っている。
ダルシーの小さな心の中を占めている「あたしの人間」への想いの
なんと大きく、深いこと!
「あたしの人間」はあたしのもの。 あたしはあたしのもの。
が口癖だったダルシーが、
「あたしはあなたのダルシーよ」と告げる最期の瞬間に、涙が止まりません。
私を選んでくれた猫たちの想いに、ちゃんと私は応えられているのかな?
猫たちと過ごすかけがえのない時間を、もっともっと大事にしなくっちゃ!
と心に刻み付ける本です。
投稿元:
レビューを見る
あとがきで役者の江國さんは原文を損なわないように、と書いている。
原作のすばらしさは言うまでもないことなんだろうが、やはり江國さんの言葉遣いの繊細さがこの本をいっそう比類のない珠玉の作品にしているのだろう。
洋書を読むとその不自然な会話や描写にがっかりすることも多く、最近はなかなか手が伸びなかった。
江國さんがどこまで意訳しているのかわからないが、訳本であることを忘れるほどの自然さだった。
本の内容はなんてことのない、猫の一生の話。
なんてことないんだけどグッとくる。
猫を飼ったことのある人なら誰もが分かるであろう感覚。それが宝石箱のようにキラキラといっぱいつまってて切ないほど。
猫の気持ちをこれ以上ないほど素敵に描いた作品になっている。
江國さんの本は数多く読んできたけれど、訳本は初めて。
最近は江國さんはもういいかなと思っていたけれど、いやいややはり彼女の紡ぐ言葉は他の作家では体験できないな。
余談であるが、この本を読んだきっかけはブクログ仲間さんの間で絶賛されていたから。
みなさんのレビューで滅多に江國さんの作品は登場しないにも関わらず、この本が話題に登るって面白い。
ブクログっていいなって再認識してしまった。